「石田は、このゴールド、なんやと思う?」 視界を埋めるのは、厚く垂れこめた鈍色の雲だった。雨が降らないのが不思議だ。ただ黒い、空。否、黒いのは、眼がもはや見えなくなりつつあるからなのかもしれない。 先ほどまで鼻についた鉄の錆びたようなにおいも、いつの間にか消えている。眼よりも鼻が先に駄目になったか。 耳はまだ、音を拾っていた。どこか遠くに響く怒号と銃声。そして、すぐ傍から聞こえる、押し殺すような嗚咽。 そちらを見ようとしたが、もう首も動かなかった。仕方がないので眼球だけをくるりと動かす。狭まりつつある視界の端に、なんとかあの男が頭に被っている山吹色の上着の頭巾を捉えることができた。 理解ができなかった。 この男が、いったい何を嘆くことがあるというのだ。 自分から全てを奪った男だ。敬愛する主君を、尊敬するその軍師を、そして今日まで付き従ってくれた同胞を、――自分の持つ、すべてを。 その結果、この男は全てを手に入れたはずだ。 主君から奪い取った天下を、自分を殺すために築いた絆を、そして一番の願いだった、泰平の世とやらを。 満足だろう。全て、貴様の思い描いたとおりになったではないか。 それなのに、この男は、何を嘆いているのだろう。 宿敵を斃(たお)した総大将が、無様に涙するなど許さない。そう言ったつもりだった、しかし口を動かすことは叶わず、声もまた喉を震わせることは無い。 痛みもとうに感じなくなっている。手足の感覚も無い。少し寒い。 ふと、光が差した。 視界の端で雲が割れていた。そこから夕陽が帯のように、降り注ぐ。 まるであの男を、照らすように。 男の頭巾が、光を吸って金色に輝いた。 それを最期に、視界が暗く閉ざされていく。 最期の最後、その瞬間まで、彼奴に対する憎しみは忘れなかった。 それでも、その最後の一瞬、意識は透明に凪いで、そしてひとつの思考が残った。 「どうして」。 四百年前の、秋の深まりを迎えたあの日、西軍総大将・石田三成の意識は、そこで途切れる。 金色と言われて思い浮かぶのは、その最期の光景だった。
長く居座った寒波も漸く薄れたらしく、その日は穏やかな陽光に恵まれた。 教室では胸元に造花を付けた生徒たちが、配られたばかりの卒業文集に寄せ書きをしあったり、使い捨てカメラで写真を取りあったりしていて、些か騒がしい。黒板には大きく「卒業おめでとう」の文字と、その周りを飾る色とりどりのチョークで描かれた花やらハートマークやらよくわからないキャラクターの落書き。「ウチら最高」、「ずっと友達だよ」、女子特有の角の丸い字体で書かれたメッセージに混じって、「冴木先生愛してるぜ」などという走り書きが男子生徒の雄叫びを主張している。音楽教師の冴木は何かと人気だった。 窓際の自席で、三成はそれらをぼんやりと眺めている。 三年間、同じ環境で過ごした者たち同士だ。それ相応に仲を深めることもあるだろうことは、三成にも理解ができる。 ただ、先ほど卒業式を終えたからといって、その関係がすぐに消えてなくなるわけではないはずだ。わざわざ黒板に書くことで皆に向けて宣言するまでもなく、友人関係にある者はこの先もずっと友人だろう、――どちらか片方が、相手を裏切るようなことが無い限りは。 ところが、どうやらこの時代の人間は、環境が変われば相手との関係も変わるのだと考えているらしい。 同じことを、中学校を卒業する時にも感じたのだと、三成は思い出した。その時には、環境の変化に影響される程度の関係性は、友と呼ぶにはあまりに脆弱であるように感じたものだったが、高校生活の三年で三成もそれなりに理解した。 これはこれでひとつの処世術なのだ。 「あの頃」と比べて、ひとりの人間が生涯のうちに出会う人間の数は、比較にならぬほど多く、そしてそのひとりひとりと深く付き合うことは時間的余裕から言っても困難だ。しかしひとは、特に今の三成と同年代の少年少女たちは何かと群れたがる。確かに数の優勢は、多数決がものを言う今世にあっては明らかで、そのためには少々心もとない関係であっても友とひとくくりにしてしまうのが肝要なのだ。 学校というところは実に興味深い。授業で教師が話す内容だけが学ぶべきことではないということを、三成はここで学んだ。生徒たちのそうした関係性も、そのひとつだ。八十年以上も生きることができるこの世にあっても、十代半ばの数年という時期を学校で過ごすことがその人間に与える影響は、とても大きいのだろう。 「――!もう帰んのー?」 耳に飛び込んできた声に、三成はひくりと眉を動かした。 そちらを見れば、女子生徒のひとりが廊下側の窓から身を乗り出している。相手はすでに廊下に出ているらしい。応える声はよく聞こえない。 「――そっか、だぁいじょうぶやって!ほんまがんばって!またメールしてや!」 最後のホームルームが終わってしばらくたつ。生徒の中にはすでに帰宅した者もいた。 が帰るのだと気が付いて、三成は立ち上がる。
卒業生の多くはまだ教室にいるのだろう。校庭でサッカー部が円陣を組んだり、野球部が胴上げしていたりするのが見える以外は、人影はあまりない。 「――!」 校内では自転車に乗ってはならない。違反者の多いその校則を守って、自転車を押して歩く背中に、三成は声をかけた。 紺色のブレザーの背姿が、三成の声にびくりと震えて立ち止まったのが見える。 ブレザーの袖や裾からはみ出していたあのベージュ色のニットは、無い。去年の秋口に、三成がに渡したニットだ。あれからは毎日あのニットを着ていて、季節が冬になってブレザーを着るようになってからはブレザーからはみ出る様がだらしがないからやめろと言ったのだが、頑として聞き入れなかった。この女はときとして、そういう妙なところで頑固なのだ。 それが、あの日を境にぱたりとあのニットを着るのをやめた。 ちょうどひと月前。二月十四日。その次の日からだ。 冬が終わりに近づいていることを鑑みれば、ニットは着ずともよかったのかもしれないが、それでもまだ寒い日はあったのに、はシャツの上はブレザーだけを着て過ごしていた。とはいえその頃は大学入試の時期で、そう毎日顔を合わせていたわけではないのだけれど。 「、もう帰るのか」 追いついてそう言えば、はゆっくりとこちらを振り返る。 その瞳の奥に、一瞬の揺れ。 「――なんやぁ石田か、」 そしてにこりと笑う。 「ん、帰るー、あんまりのんびりしてられる御身分でもないからさ」 「・・・・・・そうか」 は、よく笑う女だった。 試験で赤点を取ったと言って笑い、体育で転んだと言って膝から血を流しながら笑い、風邪を引いて喉が痛いと言って笑った。 高校一年生の春、球技大会の実行委員をくじで引き当ててふたりで任されて以来、はずっと三成の近くにいたのだが、三成が気づくのには一年以上の時間がかかった。 がそう言って笑う時の、――ちょうど今のような笑顔の、ぎこちなさを。 その笑顔は、偽りのもの。 三成は、嘘を嫌う。昔からそうだったし、今もだ。嘘はひとを貶めるためのもの、それは裏切り行為だと、今も思っている。 それでもに対する嫌悪の情が湧かなかったのは、がそうやって笑う時に嘘をついている相手が三成でも、他の誰でもなく、自身だったからだ。自分につく嘘あるならば、それは他人を貶めるものにはならない。証拠に、が三成に対して嘘を言ったことは一度もない。 ただ、気にはなった。 何故そうまでして、自らを偽るのかと。自分を貶めて、何の得があるのかと。 「後期は、いつだ」 「来週ー」 答えながら、また笑う。 が、国立大学入試の前期日程で不合格だったことを聞いたのはごく最近のことだ。これまで探すまでも無くは三成の傍にいたのに、このところはわざわざ探さなければ視界に捉えることができなかった。授業が終わればいつの間にか姿を消し、入試期間に入ったせいか図書室にも現れず、ようやく声をかけることができたのは三月になってから。そしてそのときも、は「あかんかったわ」と言って笑った。 金銭的な余裕が無いからと言って、は所謂「滑り止め」と呼ばれる私立大学を受験しなかった。残るは国立の後期日程のみ、これも不合格となると、春からには行先が無くなる。追いつめられている、はずだった。 「三角関数と数列は理解できたのか。フェーン現象の計算も覚えたか」 「・・・・・・ほんま石田世話焼きやな」 「茶化すな」 「はーい、心配せんでも後期は小論だけやから。もう数学とも地学ともオサラバやもん」 そう言う、の笑顔に、悲壮感はない。 ただ、とても脆いものであるように感じた。 触れたらそこから崩れるのではないかと、錯覚するほど。 「じゃ、行くわ」 「待て、」 踵を返そうとしたにそう言って、三成は学生鞄とともに右手に提げていた紙袋を、に付きだした。 「え、」 「礼だ。チョコレートの」 「は、え?」 眼を瞬かせるへ、紙袋を押し付ける。 「食えない味ではないはずだ」 「ぇ、手作りなん!?」 「貴様がくれたものがそうだったから。作ったのは私ではないが」 「・・・・・・ッ」 一瞬顔を真っ赤にしてから、はおずおずと手を伸ばして、紙袋を受け取った。 「っ、えと、お礼、なんよね?バレンタインの」 「今日は三月十四日だ。そうする日だろう。貴様から受け取った、『友チョコ』の礼だ」 「やんな、そうやんな。ん、ありがとぉ」 へらりと笑って、は紙袋をそうっと自転車のかごに入れた。 「」 歩き出そうとするへ、三成はもう一度声をかける。 「貴様は現代文が得意だ。小論文なら問題ない、自信を持て」 それを聞いたは、驚いたように眼を丸くする。 「さっすが、クラスで唯一の現役キョーダイ合格者が言(ゆ)うと信じれそうな気ィするわ」 言ってから、は「や、ちゃうか、」とひとりごちて、 「石田が、そう言うんやったら、信じるわ」 そう言って、へにゃりと破顔した。 三成はその顔を見て、小さく息を吐く。ようやくが、「本当に」笑った。 「じゃ、石田。ありがとぉ。――ばいばい」 は手を振って、今度こそ踵を返す。 「ああ」 答えた三成の視線の先、その背姿はきっかり正門まで自転車を押して、そこで自転車に跨って道路の向こうに消えて行った。
背後から聞こえたさも面白そうな声に、三成は眉間に皺を刻むとその三白眼をそちらへ向けた。 「何の用だ、長曾我部」 「用、つうかアンタと帰ろうと追っかけてきたんだがよ、もしかして邪魔だったかァ?」 そこにいたのは受け取ったばかりの卒業証書が収まっている筒を肩に担ぐようにして持っている長曾我部元親で、三成が不機嫌そうに睨んでもどこ吹く風、にやにやとあまり品の良いとは言えない笑みを浮かべている。 仏頂面のままその顔を見て、三成は吐息した。 「貴様を邪魔と思ったことは無い」 「そうかい、それは光栄なこった。・・・・・・じゃなくてよう、だ。さっき渡してたのって、アレだろホワイトデーだろ?お前らよーうやくそういう気になったのか」 「・・・・・・そういう気、とは」 「だァから。ここいら風に言うと、アレだ、『お付き合い』つうのを始めたんだろ?」 長曾我部の言葉に、三成は表情を消す。 「それは貴様の勘違いだ」 そう言い捨てて歩き出した三成の後を、長曾我部が慌てて追う。 「っと!そう照れんなよ!」 追いすがる長曾我部に、三成は表情を変えないまま答えた。 「照れてなどいない。が私にチョコレートをくれたのは、友情の証だ。友チョコだとが言ったのだから間違いない。私はその礼をしたまでだ」 「・・・・・・、が?友チョコ?」 「そうだ。何度も言わせるな」 「悪ィ悪ィ」 長曾我部は三成の隣に追いつき、片手をたてて謝罪の仕草をとってから、「友チョコねェ」と何やら意味ありげに呟く。 「ま、アンタがいいんならそれでいいんじゃねぇか」 「始めから問題などない。貴様先ほどから何が言いたいのだ。私に友人ができたことを、貴様なら喜びそうなものを」 「そりゃァ嬉しいさ、アンタ他には俺と大谷くらいしか友達いねぇもんなァ」 その言葉に、三成は答えなかった。 それには構わず、長曾我部は言う。 「にしても、ねぇ。アイツちょっとおっかなくねぇか?関西弁ってのァもともとキツく聞こえるモンかもしんねぇけど、野郎共にも怒鳴り散らしたことがあるしよう。アンタはもうちょい物静かなのがタイプなんだと思ってたぜ」 それを聞いて三成はわずかに眉を動かした。 「知らないのか」 「何が?」 「が強い言葉を使うのは、威嚇だ。不安や恐怖を隠すためのな。貴様の手下は何をした」 「やぁくだらねぇ話だがよ、確かにあの時はアイツ等も悪かったし」 ばつが悪そうにそう言って頭を掻いた長曾我部は、そしてまじまじと三成の顔を見つめた。 「つうか、アンタほんとに気に入ってたんだな」 三成は答えない。 その様子に軽く肩をすくませてから、長曾我部は両腕を上げて大きく伸びをした。 「高校は楽しかったか、石田」 三成は長曾我部の顔を見る。 「俺ァ楽しかったぜ。いろんな奴がいて、馬鹿やって、楽しかった」 長曾我部の表情は先ほどまでのにやにやとした笑いではなく、どこか清々しい、朗らかな笑顔だった。 「すべての民が、こうやって青春とやらを謳歌できる時代だ。これがアイツの、――家康の、願ったこと、なのかねぇ」 「・・・・・・」 答えない三成を見つめて、長曾我部は眉を下げる。 「それを『知る』のが、今のアンタの、生きる意味だったか」 三成はしばし逡巡してから、口を開いた。 「・・・・・・否、それは『生きる意味』を探すための、手段に過ぎない」 静かな、声だった。 まだ立てもしない赤子の頃から、三成には確立された意識があった。四百年前に、天下分け目の戦場で散った武将としての意識だ。それは記憶と呼ぶにはあまりに生々しく鮮明だった。今だって、あの日のことを、まるで昨日のことかのように、脳裏に思い浮かべることができる。 「以前の私は、あまりに視野が狭すぎた。ただ家康を殺すことだけが秀吉様への恩義に報いることと信じて、それ以外の何も見ようとしなかった」 三成は、四百年前のあの日の「続き」を、今も生きている。 「わからなかったのだ。何故ひとは裏切るのか。何故誰も彼もが家康の元に集うのか。毛利元就は何を考えていて、そして刑部は、長曾我部、貴様に何をしたのか。何も知らず、そして知ろうともしなかった。その結果が、――」 風が吹いた。 ざあ、と街路樹の葉が音をたてる。 その風は三成の前髪を揺らし、そして頬を撫でて行った。 「――・・・・・・だから、私は知りたい。あのとき何があったのかということだけではない、この世のことも。知りうる限りのすべてのことを、だ。そうして、考えたいのだ。真に、秀吉様のご恩に報いることのできる、私の、生き方を」 長曾我部は笑って頷く。 「確かに、わけのわかんねェうちに大事なモンが手から零れてく感覚なんてのは、二度と味わいたいモンじゃあねえな」 長曾我部もまた、「四百年前の続き」を生きる者のひとりだ。 「まァなんだ、俺がアンタと同い年でこうして近いとこに生まれたってぇのも何かの縁だ。なんかあったら頼ってくれや」 三成は返事をせず、ただ鼻からふんと息を吐いた。 その様子を特に気にもせず、長曾我部はブレザーのボタンを外して一度脱ぐと、袖を通さずに肩にかける。これがこの男のいつもの制服の着方だ。今日は卒業式だから、校内では真面目に袖を通していたのだろう。 「・・・・・・なあ、石田。アンタ、『前』の話、にしたことあるかい」 そう言って、長曾我部が立ち止まった。 三成もその場で立ち止まる。真っ直ぐと、その双眸は長曾我部に向いている。 「話したことは無い」 「だろうな」 「貴様は誰かに話したか」 「いぃや?若いモンにはちょいと刺激の強い話だろうよ」 今は長曾我部も、その「若いモン」と同じ年齢の顔をしている。「あの頃」の記憶より少しあどけなさの残る顔だちだ。 「だが、なんつうか、アンタはにそれを言っても大丈夫なんじゃねぇかって、そんな気がした」 「・・・・・・」 三成は、長曾我部の言葉を咀嚼しながら、ゆっくりと瞬きをする。 この世で生きるようになってから出会った「あの頃」の記憶を持つ者は、大谷吉継とこの長曾我部だけだ。 他の者に話そうとしたことはなかった。そもそも三成には、必要事項以上のことを話すような相手はこの二人以外にいなかったのだ。 ――を、除けば。 「・・・・・・そうかも、しれんな」 一度、背後を振り返る。三年通った高校の正門だ。脇に立てかけられた看板には、「卒業式」の文字。 もう、ここでに会うことはないけれど。 いつか、話してみてもいいのかもしれない。 は、自分の言うことなら信じられると言った。 いつか、自分が真に、生きる意味を、悟ることができたら。 そのときには。 ――と連絡がつかなくなったことに気が付いたのは、それから二月ほど経った頃だった。
昨日までの寒さが嘘であるかのように、春の日差しが降り注ぐ日なたは暖かかった。 三成はその陽光に眼を細めてから、大学構内にある休憩スペースのベンチに腰を下ろす。左腕の時計は午後一時を過ぎたところ。教授との打ち合わせまで、一時間近く余裕がある。日付の表示は「二十八」、二月も今日で終わる。 春休み中であるから、構内に学生の姿は無い。研究員のかたわら、講師として学部生相手に教鞭もとっている三成だが、それも四月までは休みだ。学部四回生の卒業論文も、全て教授の評価が終わっている頃で、比較的余裕のある日々が続いている。 鞄から、最近替えたばかりのスマートフォンを取り出す。多くの機能は必要なかったから軽く五年は二つ折りの携帯電話を使っていたのだが、パソコンのメールを出先で確認できるという利点に惹かれて買い替えたのだ。だから初期機能のみでアプリなるものはほとんどダウンロードしていないが、事実としてメールの確認には重宝しているし文字入力に慣れさえすれば使い勝手は悪くなかった。 そのスマートフォンに、音楽再生機能があると気付いたのもここ数日のことだ。ためしにインターネット上のストアから一曲購入してダウンロードしてみた。 再生の三角印をタッチすると、内臓されたスピーカーからやや割れたギターリフが流れ出す。イヤホンは持っていないのだ。移動中など、他に人のいるところで音楽を聴くという習慣が三成にはないので、少々音質が劣化しようともスピーカーからの音色で十分だった。 アップテンポの、パンクロック。 あの日、同窓会の店で流れていた曲だ。 高校生の頃、が好きだと言っていた曲だ。 あれから、十年がたつ。 ――『そんなん全部そんなんぜんぶ嘘や!あんときのチョコは本命で、私は石田がすきやった!でもあんたには他に気になるひとがおったんやろ、やから友達って言うた、私からしたら失恋なんやから、石田のことなんか忘れたかったんや!』 二週間前、同窓会の夜のの言葉が、頭をよぎった。 わからなかった。 十年の間で、三成は数えきれないほどの本を読んだ。この国の歴史を学び研究すべく、大学院を経て研究員としてこの大学に留まっている。たくさんの物事を、見聞きし、「知った」。 それでも、どうしても、わからない。 が、自分に、嘘をついたのだ。 あのチョコレートは友情の証ではなかった。友という言葉は嘘だった。三成はに「前」の記憶について何か話したことはなかったけれど、は何か感じ取っていたようだった。 三成は、裏切りを最も憎む。それは今も変わっていない。 なのに。 が嘘を言い、自分を騙していたのだと、そう理解しても、怒りや憎しみの情は湧いてこなかった。 あのときに、似ている。 「石田三成」を殺したあの男の、嗚咽を聞いた、あのときに。 何故嘘をついたのだろう。 何故自分を裏切ったのだろう。 どうして。 一曲を繰り返し再生するスマートフォンのスピーカーが歌う。ずっと金色のままで。 ――”君がいなくなってずっと寂しかった。でもあれは、君なりの愛情表現だったんだね。” 「・・・・・・、」 音楽の再生を止めて、再生機能を閉じた。 次いで、連絡先一覧を開く。そう多くはない一覧の中から、「長曾我部元親」の文字を選ぶ。現れた電話番号を選択し、発信。 耳に当てれば、呼び出し音が聴こえる。 単調なその電子音を聴きながら、考える。 わからないことばかりだ。 わからないことは、十分に理解するまで調べるのが、今の三成のやり方だった。 だが、これだけは、の言葉の意味だけは、きっとどんな文献にも資料にも載ってはいまい。 ぶつ、と通信の繋がる音がした。 「長曾我部!」 アンタ相変わらず第一声がでけえよ、呑気そうな声の文句を、三成は黙殺する。 わかりたければ、理解したければ、本人に聞くのみだ。 有無を言わさぬ口調で、三成は言った。 「貴様の連絡先を知っているのだろう。私にそれを教えろ」 |
20130228 シロ@シロソラ |