「――・・・・・・はい、すみません。はい、それは企画のほうに渡してますので、はい。ご迷惑をおかけします、・・・・・・はい、それでは失礼いたします」
 通話が終了するのと同時、はげほごほと盛大に咳き込んだ。布団の中から腕だけ伸ばして右に左に動かし、漸く目当てのティッシュを掴むと二枚まとめて引き抜いて鼻をかむ。丸めたティッシュを放り投げるが、力が弱すぎてゴミ箱までは届かなかった。ごみ箱の周りには同じようなティッシュがいくつも落ちていて、しかしそれをきちんとゴミ箱に収めるために動くのはひどく億劫だ。
 布団の中で丸くなったまま、今しがた会社へ連絡するのに使ったばかりのスマートフォンの画面を見る。
 スタンバイ状態の待ち受け画面は、去年友達と初めて行ったハワイで食べた、生クリームがこれでもかと盛られたパンケーキ。量が多くて食べるのが大変だったけど美味しかった。いいなあハワイ、暖かいところでひたすらのんびりしたい。いや今も十分のんびりしているわけだけど。画面上部の時計表示は、二月二十一日木曜日、午前八時三十分。
 端的に言うと、は今、寝込んでいる。
 一週間前のあの日、極寒の中借り物のジャケット一枚ではやはり寒かったらしく、は見事に風邪をひいた。咳と鼻水がぐずぐずと続いて、それでも症状はそれだけだったので、マスクをして仕事を続けた。幸い同窓会の翌日は金曜日で、一日乗り切れば週末は休める。その間安静にしていれば風邪なんてそのうち治るだろう、そうタカをくくったのがよくなかったらしい。なんとなく体調の優れない週末がゆっくりと過ぎて、月曜の朝に高熱が出た。これはだめだと午前半休をとって病院に行ったら、インフルエンザだと診断されたのだ。数年前に新型が大流行したときから社内ではインフルエンザについてのガイドラインが設けられていて、曰く、インフルエンザと診断されたら一週間強制的に出社停止となる。
 そういうわけで、期せずして一週間もの休暇に突入しただが、それを楽しめるような余裕はない。処方された薬のおかげで高熱は過ぎ去ったものの微熱の状態が続いていて、咳も鼻水もまだ治まらない。こういうときに面倒を見てくれる人がいないのが、一人暮らしの寂しいところだ。
 とりあえず思い出した仕事の引き継ぎ事項を上司に連絡できたところで安堵の息を吐く。こういうとき恨み言のひとつも言わず、「いいからお前は休んどれ」と言ってくれる課長は所謂良い上司と言っていいのだろう。たとえセクハラでも。
 朝の薬は飲んだし、意味があるかはわからないけれどおでこに熱さましの冷却シートも貼った。とりあえず寝るか、そう思って、枕元に置いたままにしているCDをこれも置いたままにしているノートパソコンに突っ込んだ。ノートパソコンに繋がっているイヤホンを耳に当ててから、再生が始まるまでの間、何とはなしにCDのジャケットを眺める。虹のかかった青空と男の子の絵のそれは、高校の時にクラスで流行っていたパンクロックバンドが活動休止前最後に出したアルバム。先週の同窓会で流れていたアルバムだ。あの後なんとなく気になって家を探したら、実家から持ってきていたらしく、仕舞いこんでいたCDケースにこれも入っていたのだ。
 再生が始まった。
 およそ寝ながら聴くには似つかわしくないアップテンポで刻むギターが、なんだか懐かしくて頬が緩む。
 が知る限り、クラスの男子はほとんどみんな、これを聴いていた。男子は女子とは思考回路からして違うのだと気付き始めたころのことで、これを聴いたらなんとなく、男子のことがわかるような気がしたものだった。
 ・・・・・・本当のところ、理解したかった男子といえばひとりだけだったのだけれど。
 そしてその唯一の男子は、ハードコアパンクなどというものとはおよそ縁遠い存在だったから、このバンドを覚えた意味はあまりなかったのかもしれないけれど。
 それでもは、このバンドの曲が、好きだった。










 軽く肩を揺さぶられて、は目を覚ました。
「あ、れ」
 視界が焦点を結ぶまで幾度か瞬きを繰り返した。
 教室だ。窓から差し込む夕陽で、全体がオレンジ色に見える。きれいに拭かれた黒板の、日直が書き直した明日の日付は十月二十二日、その上の丸い掛け時計の時刻は五時半を過ぎたところ。いつの間にか自分の席で突っ伏したまま眠っていたらしい。顔の下に敷いていたのは教科書と参考書。ようやく記憶が追いついてきた、明日からの中間試験に備えて勉強をしていたのだ。自宅だと色々と誘惑が多くて、は基本的に図書室で勉強することが多いのだが、今日は試験前だからか図書室は早々と閉鎖されてしまったので、仕方なしに教室で参考書と睨みあいをしていたはずだった。
 ゆっくりと頭を持ち上げると、そこに石田がいた。
「 」
 石田が何か言っている、だが何を言っているのかがわからない。
 それもそのはずで、両耳に突っ込んだイヤホンから大音量のパンクロックが流れてきているからだった。
 音量を下げるとか再生を止めるとか、そういうことに思考が追いつく前に、石田がこちらに右手を伸ばして、いささか乱暴にイヤホンが耳から引き抜かれた。
「音漏れしている。あまり大きな音で聴くと耳を悪くする」
「・・・・・・、」
 は石田のいつもの仏頂面を見上げ、そしてへにゃりと笑った。
「何が可笑しい」
「や、なんか、石田ってほんま面倒見ええよなぁ」
「・・・・・・?」
 石田がわずかに首を傾げた。何を言っているのかと思っているのだろう。石田はあまり表情を変えないから何を考えているかわからないという者は多いが、眉や眼の細かい動き、声の調子からでも、考えていることはわかるものだ。
 もちろんクラスでそれがわかる女子がだけであることを、は密かに自慢に思っているのだけれど。
 机の上に置いていたMDプレーヤーの電源を落として、本体にイヤホンをぐるぐると巻き付けながら、は口を開いた。
「石田委員会帰りやろ?わざわざ私なんか起こさんでも放(ほ)って帰ったらええのに」
 ほんの少しの期待を込めて、は努めて明るい口調でそう言った。
 こう言えば、石田はきっと、心配だったとか言ってくれるんじゃないかと思って。
 すきなひとに気にかけてもらえる、これほど嬉しいことはない。
 見上げれば石田は、不機嫌そうに眉を動かした。
「・・・・・・忘れた教科書を取りに戻ったらここで貴様が寝ていた。放っておけば貴様、暗くなるまでここにいるだろう、それで明日の試験に遅刻されても寝覚めが悪い」
 ほら、やっぱり心配してくれる。
 なんだか面映ゆいような気分になって、は笑う。
「そゆとこ面倒見がええゆうねん、てか優しいよなあ石田は」
 三年使ってくたびれた学生鞄に教科書と参考書とMDプレーヤーを放り込んで立ち上がると、動きを止めた石田と眼があった。
「・・・・・・石田?」
「貴様は私が優しいと、そう言ったのか?」
「は?うん、言うたけど?違うん?」
「・・・・・・」
 石田はその場でわずかに顔をうつむかせて、何か考えているようだった。
 そんなに変なこと言っただろうか。
 







 石田三成は、不思議な男だった。
 が彼と出会ったのは、高校一年生の春。入学直後から、石田はクラスの女子の注目の的だった。とてもきれいな姿かたちをしているからだ。テレビで見るようなどんな俳優もモデルも目ではない。もこんなに美人な男子を目の当たりにするのは生まれて初めてだった。
 ところが、眉目秀麗で勉強も運動もできる石田にも欠点はあって、それは極端なまでの社交性の無さだった。誰とも関わろうとはせず、教室ではいつも自席でぼんやりとしているか本を読んでいるかのどちらかで、何やら近寄りがたいものがあったのだ。男子高校生なんてくだらないことで馬鹿騒ぎするのが普通だと思うが、石田はそういうものには興味がないらしい。見た目には同じ年であるのに、クラスの誰よりも、どこか大人びていた。
 クラスの女子のほとんどが、石田と仲良くなろうと話しかけたが、その全員が等しく冷たくあしらわれたらしい。らしいというのは、はその「声をかけた女子」に加わらなかったから本当のところを知らないからで、それでも噂は聞いたし、今ならなんとなくどんな状況だったか想像もつく。そもそも石田は相手を呼ぶときは基本的に「貴様」呼ばわりだ。そんな呼ばれ方をしたことがある女子なんてほとんどいないだろう。
 はというと、石田のことをかっこいいなとは思っていたが、それ以上の行動には移していなかった。自分で言うのも何だが、はそれなりに世間をうまく渡っていきたいタイプで、厄介ごとに頭を突っ込むのはごめんだと思っていた。いくらかっこよくても何を考えているかわからないクラスメイトは、にとって厄介ごとの塊、さわらぬ神に何とやらだったのだ。
 不思議なものだと、は思う。
 その石田に、自分は今、恋をしている。
 あれからいくつかの偶然も重なって、は石田のことをそれなりに知ることになった。
 全教科について予習も復習も怠らない、どが付くほど真面目な優等生。それはつまり、身の回りのすべてに対して、彼が誠実であるということ。
 図書室の本を二年生まででほぼ読破したらしい、稀に見るほどの本の虫。読む内容にこだわりが無いのか、結果彼は見事な雑学王であるということ。
 誠実と雑学の合わせ技なのか、ある程度親しくなると石田は世話焼きの本性を現した。
 スカートが短いだのシャツの第二ボタンを開けるなだの、風紀委員かと突っ込みたくなるような小言はざらで、ダイエットをしようと昼食を抜けばおにぎりを押しつけられたり(石田だって食が細い癖に)、体育で転んでひざをすりむいたのをそのままにしていたときは絆創膏をくれたり(何故持っていたのだろう)、挙句の果てには季節の変わり目に風邪をひきやすいの体質を本人より早く見抜いて、咳の一つもしようものならネギと生姜をくれたりもした。学生鞄から生のネギと生姜が現れたときは、心配してくれた石田には悪いがしばらく笑いが収まらなかった。
 優しくて、面白い。
 ひとをすきになるのに、これ以上の理由はあるまい。
 







「待て、。貴様ブレザーはどうした」
 まさに帰ろうと一歩踏み出したところで詰問調の声が聞こえて、は振り返った。
「やぁ今日は暖かかったから要らんかな思て家置いてきてん、別に違反はしてへんしええやろ?」
 石田の小言は五月蠅いが、の高校は制服に関する校則が比較的緩かった。男女ともにブレザーの着用が必要なのは始業式や卒業式などの式典のときくらいのもので、それ以外は自由が許されている。十月も半ばを過ぎたとはいえ今日みたいに暑いくらいの日であれば着なくてもいいし、また寒くなればシャツの上にカーディガンやパーカーを羽織ることも許されている。もちろん、今の石田のように、いかにも優等生らしいベージュ色のVネックのニットを着ることも。
「天気予報くらい確認してから登校しろ、夕方から寒冷前線の通過に伴い気温が下がると言っていたのを聞かなかったか」
「わあ、偉いなあそんなんちゃんとチェックしてんねや」
「茶化すな」
「・・・・・・なんよもー、いーやん別に!そりゃさすがにシャツ一枚やと寒いか知らんけど阿呆は風邪ひかんってゆーし?」
 な?と笑ってみせると、石田がなにやら深いため息をはいた。
 そしてよほど大切に使っているのかのものとは比べものにならないほどきれいな学生鞄を机におくと、おもむろにニットを脱ぎ始める。
「は?」
 が目を丸くしている間に脱いだニットを、石田はそのままにがばりと被せた。
「ちょ、」
「着ていけ」
「待っ、ええて別に!家そんな遠(とお)ないし自転車(チャリ)で二十分かからんしてゆか石田が寒いやんか!」
「私は徒歩ですぐだからいい。貴様が着ていけ」
「・・・・・・っ」
 おにぎりのとき然り、絆創膏のとき然り、ネギと生姜然り、こういうときの石田はものすごく頑固だ。
 絶対に自分の意思を曲げないことを知っているは、早々に反論をあきらめた。
「・・・・・・ありがと、ちゃんとクリーニング出して返す」
「要らん。やる」
「は、え?」
 信じられないようなことを聞いた気がする。しかし石田は冗談は言わない。
「貴様にくれてやると言った」
「いやいやそんなん言われたらほんまにもらうで?」
「だからそう言っているだろう、何度も言わせるな」
「・・・・・・ちょ、ほんまに?なんで?」
 聞いたらぎろりと睨まれた。
「貴様のことだ、どうせ仕舞い込んだブレザーを出すのが面倒などと言ってしばらく着てこないだろう。ならばそれを着ておけ」
 ちょっとうちの箪笥事情までお見通しですか。売り言葉に買い言葉で口から出そうになった突っ込みを、はぐっとこらえる。
 なぜなら今の石田は、すでに少し機嫌を損ねているから。こういうときは素直に従うに限る。
「・・・・・・ええんやったら、もらうけど」
 もぞもぞと言いながら袖を通す。裾も袖も長すぎて、袖にいたっては折らなければ指先も出ない。石田は色白でなんとなく体温も低そうなのに、ニットはなんだか暖かかった。
「・・・・・・へへ」
 思わず笑いが口から漏れた。
「何が可笑しい」
 先ほどと全く同じ質問が聞こえて、は石田を見上げた。
「んーん、ほんまにありがと、石田」
 礼を言うと、石田はどこか不機嫌そうに、ふんと鼻から息を吐いた。







 高校の正門から続く通りを、は自転車を押しながら、石田と連れだって歩く。
 石田の言っていた天気予報は当たったようで、風がずいぶんと冷たくなってきた。確かにシャツ一枚では寒かっただろう。
 ちらりと隣を見れば、今まさにシャツ一枚の石田が歩いているのだが、寒くないのか心配をしてみたところで「貴様の知ったことではない」とか言われそうなのでは黙っている。
 鼻先を、甘い香りがかすめていく。視線を動かせば金木犀の黄色い花が咲いている。
「・・・・・・先ほど貴様が聴いていた曲は、長曾我部も聴いていた」
 唐突に石田がそう言ったので、はぱちりと瞬きをした。
「――あぁ、ハイスタ?めっちゃ流行ってるもんなあ、そっか長曾我部も好きなんや」
 男子みんな聴いてるもんな、と言ってから、は隣の石田を見上げた。
「石田はああゆうのあんま好きやないんちゃうの?五月蠅いとか言うやろ」
 そもそも石田が音楽を聴いているところをあまり見たことが無い。ましてハードコアパンクなんて関心がないだろうと、は思っていたのだが、の言葉を聞いた石田はしばらく考えるようなそぶりを見せてから、口を開いた。
「・・・・・・どういう曲なんだ」
「え?せやなあ、私が一番好きなんはさっきも聴いていたやつで、ステイゴールド、っていうんやけど」
 まさか石田が興味を示すとは思わなかったので、は内心驚きながら話す。
「英語の歌やからあんまり歌詞がわからんのやけど、直訳するなら『金色を保て』ってことやんな」
 話しながら石田の顔色を窺う。嫌そうな顔はしていない。石田は会話中にあまり相槌を打たない。慣れないと自分だけが話しているような錯覚に陥るが、これでも石田はきちんと人の話を聞いている。
「金色って何のことなんやろうなあ。最初は一番ってことかなと思ってん、金メダルとかそうゆう意味で。ずっと一番でいろっていうことやったらそれでも意味は通りそうやねんけど、でもそれやったらやたら疲れるやんなあ、ずっと一番とか」
 そこで言葉を切って、は石田に会話を振ってみた。
「石田は、このゴールド、なんやと思う?」
「・・・・・・金色、か」
 そうつぶやいた石田の眼が、
 ――どこか遠くを見はじめたのを、は見逃さなかった。
 石田はときどきこうやって、遠い眼をすることがある。
 や、そのほかの目の前のことなんて何も視界に入っていないかのような眼だ。
 初めて気が付いたのは、高校一年のちょうど今頃だった。
 心ここにあらずのその様子が、「何か」を考えているというよりは、「誰か」のことを考えているのだと気が付いたのは、高校二年の今頃。
 元々石田には思案に耽る癖があるけれど、それが特に顕著なのがこの秋の深まりを迎える時期。金木犀の花が香る時期だった。
 ・・・・・・心臓が、つきりと痛んだ。
 クラスの女子の中では一番、石田に近いところにいる自信はあった。それも一朝一夕で築いた関係ではない、入学と同時に出会って二年と半年をかけてここまで近づくことができたのだ。
 それでも。
 この先には、高い高い壁がある。
 そして石田が想う「誰か」は、その壁の向こうにいる。
「・・・・・・」
 無意識に歩みを止めたに気が付かない様子で、石田はそのまま歩いて行く。
 その、シャツの背姿を見つめて、はぐいと口角を上げた。
 姿の見えない誰かのことなんて、今は考えるだけ無駄だ。
 「金色」はどうやらNGワードらしい、それだけわかればそれでいい。
 今はこうやって、隣を歩くことが許されているのだから。
 ――今は。
 小走りで石田に追いついて、は努めて明るい声で言った。
「――こないだ進路相談あったやん?石田何か言われた?」
 声をかければ、石田は思案から戻ってきたのかこちらを見下ろした。
「・・・・・・ああ、この成績なら問題はないと」
「うっわさすが!夏休み明けですでにB判定出てたもんなぁ、やっぱ石田は違うわ」
「何がだ。貴様も毎日授業を受けているだろう」
「いやいやガッコの授業だけでそこまでいけるんは石田だけやって」
「・・・・・・貴様はどうするつもりだ」
「あー、んー、なんとか国立行きたいけどなぁ、理系ぜんっぜんできんけど、私立は学費がバカ高いし」
 ま、石田と同じとこはひっくりかえっても無理やな。自分でそう言ったのに、なんだか泣きそうになった。
 高校三年生の、もう十月も半ばを過ぎた。
 石田の隣を、こうやって歩ける時間は、もう半年も無いのだ。
「どうした」
「んーん、なんでもない」
 へらりと笑って、は自転車にまたがる。石田がくれたベージュのニットを指して、言った。
「じゃ、石田。これほんまにありがとぉ。また明日な」
「ああ」
 帰り道の分岐点である交差点で、はもう一度笑顔で手を振ってから、勢いよくペダルを漕ぎだす。







 信号待ちの間に鞄からMDプレーヤーを出して、イヤホンを耳に突っ込んだ。
 アップテンポのパンクロックがイヤホンから音漏れする音量で流れてくる。
 「ずっときんいろのままで」。
 は思うのだ。この「金色」とは、自分の大事なものという意味ではないかと。
 大事なことを、忘れるなという意味ではないかと。
 もし、そうであるならば。
 の大事なこと、それは。
「・・・・・・石田と、ずっと一緒におれたらええのになぁ・・・・・・」
 叶わないかもしれないと、わかってはいたのだ。










 意識が浮上した。
「・・・・・・むぅ」
 ずっとイヤホンをしたまま枕に押し付けていた耳が痛い。緩慢に腕を動かして、イヤホンを耳から引き抜く。
 音楽の再生はとっくに終わっていたのだろう、電源を付けたままだったパソコンの画面はスリープ状態で暗くなっている。
 もぞりと布団を抜け出すと、窓の外は夕陽だった。ずいぶん長い時間寝ていたらしい。
 窓のレールに引っ掛けたハンガーには、男物の黒いスーツのジャケットがかかっている。
「・・・・・・」
 しばらくジャケットを見つめて、は細く長い息を吐いた。
「・・・・・・嫌やなあ」
 もう、忘れたはずだったのに。
 高校生だった頃の、甘酸っぱい初恋なんて、「美しい思い出」として完結して忘れ去ったはずだったのに。
 鼻の奥が痛い。眼の奥も。
 心臓も。
 どうしてこんなに、痛いんだろう。
 ベッドに手を着いたら、その指先にCDのジャケットが当たった。
 ゆっくりとそちらを見下ろす。「ずっときんいろのままで」。
 今ならわかる。
 あれは、「金色」ではいられなかった人の歌だ。
 多くの人は、色々な「金色」を捨てて、大人になる。
 仕方なくて、どうしようもなくて、あきらめたり、捨てざるを得なかった「金色」のための賛歌だ。
 仕方が無かった、どうしようもなかった、だからあきらめた、だから捨てた、石田への想い。

 それなのに、きつく閉じた瞼の裏に、涙がにじむのは、どうしてなのだろう。

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20130221 シロ@シロソラ