「今日から毎日、どうしてもドレスを着ろという命令なのだ」
 今朝一番に王から呼び出され、謁見の間から戻ってくるなりはそう言って、衣装を漁っている。
 これは腹を締め付けて苦しいから嫌だ、これは色が派手すぎる、これは身動きがとれない、――
 そうが言うたびに、部屋をひらひらと舞う布の塊を、幸村はいちいち目で追いかけている。
 ここは、本当に見慣れないものばかりだ。
「ドレスは嫌いだ、なぜ着る人間がドレスに合わせて身体を締めなければならんのだ。衣服はこの身体を守るためのものであって、飾り立てるものではなかろう」
 そう思わないか、と言ってこちらを見るに、幸村は頷いた。
 確かにこのように裾の長い服では、動きづらかろう。
「・・・・・・姫」
 こちらを見たがそう言って、ドレスの山を越えてこちらに来る。
「釦を掛け違えているぞ」
 前合わせの服の、ずれている釦をが何の躊躇もなく外す。
「!」
 幸村が後ずさる。はその様子に、わずかに眉を動かす。
「なんだ、貴方は魚であったころは半裸であったのだから恥ずかしくはいだろう?」
 首を横に振る。
 裸が恥ずかしいのではなく、に服を脱がされるのが恥ずかしいのだが、そのニュアンスはおそらく伝わるまい。
 釦くらい、自分で止めれる。
 を手で制して、幸村は自分で釦を掛け直した。
 その様子を見て、が嘆息する。
「人間の衣服は窮屈だろう」
 頷く。
「それでも男はまだましだ。女は大変だぞ」
 そう言いながら、は衣装の山からドレスを二着手に取る。
「やはり、これか、これだな」
 片手に一着ずつ持ち、鏡の前で合わせている。
「これは頂きものだが、生地が柔らかくて着やすい。飾りも少ないし」
 と言って幸村に見せたのは、鮮やかな青のドレス。確かに床に散る他の衣装と比べて、飾りが少ない。
 そもそもに飾りは必要ないと幸村は思っている。彼女はそこに立っているだけできれいなのだから。
「こっちは唯一わたしが口を出して作ってもらったものだ。多少動きづらさはあるが、色は気にっている」
 もう片方は深い紅のドレスだった。青い方に比べると華やかだが、他の衣装に比べると、こちらも飾りは少ない。
「――だが、何を着たところで男のようなわたしに似合うとは思えない。まったくこんなものに金をかけて、無駄なことだ」
 辟易したというようなため息交じりに声で、が言う。
 そんなことはない。
 にはどのドレスだって似合うだろう。
 そう伝えたくて、幸村は首を横に振る。
「・・・・・・貴方はどちらがいいと思う?」
 多少投げやりな口調で、が言った。
 どちらかと聞かれれば、答えは一つであった。
 幸村が紅のドレスを指さす。
「そうか」
 が口の端を上げる。
「姫がそう言うなら、今日は赤にしよう」
 そう言って、は着替えるために侍女を呼んだ。




 が着替えている間、幸村は部屋の外で待つ。
 まだ長時間立っていることに慣れないことを知っているが椅子を出しておいてくれたので、そこに腰掛けていた。
 幸村が、この城で暮らし始めて、しばらくたった。
 幸村にこの世界で行く当てがないことを知ると、は従者として城で暮らせるように取り計らってくれた。
 はこの城の姫君で、そういったことが可能な権利を持っているのだという。
 太陽と風、見たことのない木々や花、この世界も、海の世界と変わらずきれいだ。
 だが、人間はどうも慣れない。
 は幸村があまり他の人間の眼に触れないようにしてくれているのがわかったが、それでもここの人間たちの探り合うような目線を感じたり、ひそひそと誰かの陰口を話しているのが聞こえることがある。
 佐助の言っていたとおりだと思った。
 を除いては。
 は、親切だった。
 衣服の身に着け方も、ものの食べ方も、およそこの世界で生きていくために必要なことは全て教えてくれた。
 彼女は今、一日に数時間ある「稽古」の時間を除いてはすることがなく暇だということで、人間の世界の話をしてくれたり、木や花の名前を教えてくれたり、何かと幸村の世話を焼いてくれている。
 「稽古」の内容は、ダンスだったり、礼儀作法だったり。はこれまで男同前の暮らしをしていたので、女らしさを身につけろというのが王の命令なのだという。
 本当は自分が彼女を守りたかったのに、すっかり立場が逆転している気がする。
 やはり声がないというのが、大きかった。
 魔術師に声が代償になると言われた時は、たいして困るとも思っていなかったし、彼女も会話は身振りで伝わると言ってくれたのだが、細かい内容は伝わりづらいし、何より積極的にこちらから会話ができない。
 こちらから呼びかけることができないのが、もどかしい。
 しかも声が出ないおかげで、彼女からは「姫」と呼ばれるようになってしまった。
 当初は「人魚姫」と呼ばれていたのだが、長くて面倒だと言いだして、いつの間にか「姫」に省略されている。
 自分はれっきとした男で、真田幸村という名前もあるのだが、初めてが自分を「人魚姫」と呼んだあのとき、が笑ったから、どう呼ばれるかなど些末なことだと思うようになった。
「――待たせたな」
 扉が開いて、身なりを整えたが現れる。
 深い紅のドレスは、の白い肌を際立たせる。
「似合わないだろう?」
 がわずかに顔を赤らめ、眉根を寄せててそう言ったので、幸村はその細い身体を抱きしめる。
 とてもきれいだと思った。
 こうして、それが伝わればいいのだけれど。
「・・・・・・そうか。貴方がそう言うのなら、信じよう」
 その声に、幸村はの顔を見る。
 わずかではあったが、それは笑顔だった。
 そう、が笑ってくれるだけで、幸村にはそれ以上の望みはなかったのだ。
 そのときは、まだ。




 その日、は青いドレスを着ていた。
 幸村が紅のドレスを選んで以来、それしか着ていなかったのに、今日はどうしたのだろう。
 声がなくてはそう問うこともできず、幸村はただ、鏡越しに、を見つめていた。
「・・・・・・姫?」
 その視線に気が付いて、がこちらを振り返る。
「どうかしたか」
 その問いを口にして、はいや、と口ごもる。
「貴方にそう問うても答えられないな、・・・・・・・どこか、身体に不具合でもあるのか」
 幸村は首を横に振る。
 「はい」か「いいえ」しか伝えられない我が身が、だんだんと疎ましく感じられるようになってきた。
 はしばし考え、
「ああ、もしかして、今日はいつもとは違うドレスを着ていることか」
 幸村はこくこくと何度もうなずく。
 そうだ、この人は、そうやっていつでも幸村が言いたいことを言い当ててくれているのだ。
 声などなくても、いいのだ。疎ましいなどと思ってはいけない。
 そばにいられるだけで、いいのだ。
「――今日は、これをくれた方が来られるから、これを着ていた方がいいだろうと思ってな」
 そういえば以前、青いドレスは貰いものだと言っていた。
 こちらも、によく似合うドレスだ。飾りが少ない分、自身の美しさを際立たせる。
 幸村が見惚れていると、はうろうろと視線を泳がせる。
 いつでも潔い彼女には珍しいことだ。
 どうしたのだろう。
 椅子に腰かけている幸村の前、は絨毯の上に腰を下ろした。
 青いドレスが、海の波のように、部屋に広がる。
 の深い色の瞳が、こちらを見上げる。
 表情の変化に乏しい彼女の、しかし見たことのない表情だった。
 困っているような、悲しんでいるような、寂しがっているような、――縋るような。
 どきりと、心臓が早鐘を打つのがわかった。
「・・・・・・貴方は、いつまでわたしの傍にいてくれるのだろうな」
 いつまでだって傍にいる、それが伝わるように頷く。
 はそれを見て、眉を下げる。
「そうか」
 そして、はその言葉を口にした。
「実は私は、もうすぐ隣国へ嫁ぐことになっている」
 幸村は頭の中が真っ白になるのを感じた。
 今。
 何と言った。
 嫁ぐ?
「この国の将来のために、な。なに、相手の王は悪い男ではない。このドレスを下さった方だ。心配は不要だ。・・・・・・だが」
 言葉を理解するのに、時間がかかる。
 彼女は何を言っているのだろう。
「貴方と、離れたくはないのだ。わたしに、ついてきて、くれるだろうか」
 が笑ってくれればよかった。
 そばにいられるだけでよかった。
 そのはずだったのに。
 彼女が、嫁ぐ。
 誰かの――この青いドレスの送り主の、ものに、なる。

 ――『卿は彼女を我が物にしたいと思ったのだろう』

 空白になった頭のなかに、魔術師の声が入り込んできた。
 気づけば、幸村は首を横に振っていた。
 こちらを見上げていたが、小さく小さく笑う。
「そうか」
 違う。そんな悲しそうな顔をさせたいわけではない。
「そうだな、あなたは海の住人なのだから、いつかは帰らねばならんのだろう」
 違う、そうじゃない。俺はあなたの傍にいたい。
「今のは、聞かなかったことにしてくれ。わたしはどうかしているんだ。この国のため、あの方のことだけ考えていればいいものを」
 違う。
 幸村は首を振ることしかできない。
 がひとつ息を吐いて、立ち上がる。
 違う。
 あなたの傍を離れたくない。
 俺以外の者のことなど考えないでほしい。
 俺のことだけ、考えてほしい。
 そう伝えるために、幸村は立ち上がり、腕を伸ばす。
「ッ!」
 の細い腕をつかんで抱き寄せ、その頭を抱えるようにして、

 噛みつくような口づけをした。

「――ふ・・・・・・ッ!」
 の口から、驚いたような声が漏れたが、構いはしなかった。
 の身体の動きに遅れて、ふわりと青い布が躍る。
 その色が、目障りだ。
 には、紅が似合うのに。
 貪るように、刻みつけるように、その唇を奪う。
 が腕の中で抵抗し始めて、その小さな拳が胸に打たれるのに気付いて、漸く幸村は我に返った。
「――ッは、」
 力の抜けた一瞬をついて、が幸村から離れる。
「ひ、め、何、を」
 俺は今、何を。
 おなごに、無理強いのような真似を。
 を困らせたいわけではない。
 国のための婚儀、それをが望むなら、それがの幸せであるなら、それでいいはずではないのか。
「・・・・・・姫?」
 が、こちらを覗き込む。
 どうしていいかわからなくなって、幸村は部屋を飛び出した。
「姫!」
 ドレスでは走れず、はその背中を見ていることしかできない。
 背中が見えなくなってから、おそるおそる唇に指で触れる。
さま?今姫サンが走ってったけど何かあった?」
 そう言いながら部屋をのぞいた従者の一郎が見たのは、彼が見たことがない――顔を朱色に染めた、主の姿だった。





 ――『彼女にもう一度会うだけで卿は満足するのかね』
 走っても走っても、魔術師の声が追いかけてくる。
 ――『声が聴きたい、名を呼んでほしい、』
 両手で耳をふさぐ。
 ――『触れたい』
 違う、俺は決してそのような。
 ――『恥ずべきことではないのだよ』
 いつの間にか、海辺にたどり着いていた。
 夕暮れだ。
 あんなに美しいと思っていた陽の光までも、今は邪魔に思える。
 人間の二足歩行にはもう慣れたはずだったが、城からここまで一直線に走ってきたせいか、息が上がってしまった。
「――旦那ァ!」
 しばらくぶりに聞く声がして、幸村は眼を見開く。
「佐助!?」
 水音がして、佐助が海面から顔を出した。
 慌てて幸村は波を蹴立てて駆け寄る。
 腰まで水につかったところで、佐助と顔を合わせた。
「旦那、探したよ・・・・・ッ、なにやってんだ馬鹿!!」
 佐助が、苦しげな息を吐く。
 そうだ、海の住人はここでは呼吸ができないのだ。
「どうしたのだ佐助、こんなところまで」
「どうしたじゃないよ!何勝手なことやってンだ!あんな野郎の言うこと聞きやがって!」
 そこで、幸村は佐助が満身創痍であると気付いた。
 体中に太刀傷や、焼け焦げたような痕が見え、血が海に滲み出ている箇所もある。
「これは、どうしたのだ佐助」
「時間がない、黙って聞いて」
 ひゅー、ひゅー、と佐助の喉が鳴っている。
「全部松永に吐かせた、こっちのこともだいたい把握してる」
 その双眸が、ぎらぎらと輝いている。
「旦那はこのままだと、泡になって消えてしまう」
 幸村の肩が、ぎくりと強張る。
「あいつはそれがもともと目的だったんだよ、旦那を消して国を乗っ取ろうとしてやがった」
 ばしゃ、と水音がして見下ろすと、佐助の手には幸村の槍が握られていた。
 その槍を、佐助は幸村に押し付ける。
「何を、」
「――あの女を、殺すんだ」
「!」
「旦那の想いはわかってる、あの女がいなくなれば、旦那はまた海に戻れる」
「その、ような」
 槍を受け取れずにいると、佐助が咳き込んだ。
「佐助!」
「黙って聞けッつってンだろ!」
 一喝されて、幸村は口を閉じる。
「いいか、こっちの世界では、あの人と旦那はどうあっても結ばれないんだ、あの人は旦那じゃない男のものなんだよ!」
 佐助は、まるで吐き出すようにそう言って、幸村を抱きしめる。
「俺は!アンタだけは死なせたくないんだ!!」
 血を吐くような声だった。
 身体を離して、佐助の双眸が幸村を見据える。
「いいね、旦那。あの人を手に入れたいなら、もう殺すしかないんだよ――それが、旦那の、生きる道だ」
 幸村はとうとう、槍を受け取る。
 それを見て、佐助がふわりと微笑んで、
 ゆっくりと仰向けに倒れこんでいく。
「佐助!」
 手を差し出そうとして、ひらひらと振られる佐助の掌に阻まれた。
「だぁーいじょーぶ、ちょっと本気になっちゃっただけだから。こんなの休んだらすぐ治る」
 だから、と佐助の声が続ける。
「早く帰ってきてよね」
 ぱしゃん、と軽い音を立てて、佐助の身体は海に沈んで行った。
 その波うつ海面を幸村は呆けたように見つめる。
 そして、槍を握る、己の拳に視線を移す。
 を、殺す。
 
 ――『それこそ愛のかたちだ』

 魔術師の声が、いつまでも耳元で木霊した。


+ + + + + 


声をなくした幸村が当然のように佐助と会話をしているのは、人魚にだけ通じる周波数の音的な何かを使っているのだと思います。
(書いてるときにまったく気がつかずものすごく後になってから気づいたのでもうこのまま修正せずに置いています・・・)
201206026 シロ@シロソラ