時間は、朝方に戻る。
 夜が明けて、幸村が目を覚まさぬうちにねぐらを後にした佐助とは、タタラ場を臨む森の外れから、それを見ていた。
 今まで見たことのない装束の男たちが、森に向かって火を焚いている。
 にニンゲンの区別はあまりつかないが、その男たちはあのタタラ場の里人とは違うように見える。
 なにか、もっと嫌なモノに、見える。
 立ち上がる煙が赤銅色をしていて、それがただの火ではないことを示していた。
「・・・・・・ひどい、においだ」
 が鼻を押さえるその横で、木の幹にもたれている佐助が冷めた視線を眼下へ送っている。
「イノシシどもの鼻を利かなくさせてるんだろ、用意周到なことだ」
 その煙が立ち込める背後に、唐傘が並んでいる。眼をこらせば、ニンゲンたちが石火矢を準備しているのが見える。その数が、これまでの比ではない。
 陣営の先端に、目に鮮やかな蒼い陣羽織が見える。
「あの男がいる」
 つぶやくように言うの声に頷きながら、佐助はその傍らに立つ白と黒の装束の男を見つめている。
 何だ、アレは。
 その身から感じる禍々しさが、ともすれば伊達政宗より酷い。
 めきめきと音を立てて、木が倒されていく。
「・・・・・・あれも、イノシシたちへの、」
「うん、挑発」
 あっさりと、佐助は言う。
「イノシシどもをおびき出そうとしてるんだろ。ニンゲンの考えることだ、よほどの仕掛けをしてるんだろうけど」
「元親殿に報せなくては、イノシシたちはもう動き出している!」
「鬼の旦那だって馬鹿じゃないさ」
 佐助はいつもの、へらりとした笑みを顔に張り付けたままだ。
「全部わかってても、正面から突撃したいんだよ。それがアイツらの、誇りってヤツだ」
 はぎりりと奥歯を噛みしめた。
 傍らの眉根を寄せて、傍らの佐助を見上げる。
「・・・・・・ここで、お別れだ、佐助」
「うん」
 佐助が左腕を広げ、その胸元にはそうっと頬を寄せた。
「わたしは、元親殿の眼になりに行ってくる。あの煙で、難儀しているだろうから」
 左腕をの背にまわし、鼻先をその頭に埋めながら、佐助は頷く。
「うん・・・・・・、お前には、あの旦那と生きる道も、あるんだよ?」
「ニンゲンは嫌いだ」
 感情を覗かせない声が、即答した。
 佐助は眉を下げて身を離し、の顔を見ながらその頭を撫でる。
 は佐助の眼を見つめ、そして踵を返す。
 刀に手をかけながら木々の間を駆けていくその背は、もうこちらを振り向かない。
 その姿が見えなくなるまで見送ってから、佐助は眼下のニンゲン達に眼を戻す。
「さて、と」
 ずるり、と闇色が足元から這い出る。
 のこりわずかなこの生命で、確実にあの男を殺るためには、どうすればよいか。
 考えながら、佐助はこん、と頭を木の幹に軽く当てた。




 顔や体に泥で戦化粧を施したイノシシたちが、大軍となって一直線に突進している。
 その間を、は駆け抜ける。
 黒い塊のようになってニンゲンたちの陣営へと迫っているその先鋒、あの大きな槍が陽の光をぎらりと反射するのが見えた。
 このまま走っていても追いつけない、そう判断したはイノシシたちの背と背の間を跳ぶ。
「――すまない!」
 ちょうど頭を足蹴にしてしまったイノシシに謝罪したが、イノシシたちはすでに前しか見えていない様子で、の姿に気づく者はいない。
「元親殿!!」
「――あァ?」
 漸く元親のもとにたどりつき、その横をは並走する。においで判断したのか、元親が鼻をひくつかせてこちらを見下ろす。
「なんだ、お前は佐助の!」
「加勢する!」
 短く言うに、元親は眉を上げる。
「あァン?狐の施しは受けねェと言ったはずだぜ」
 それが侮辱と受け止められたのか、怒りすら孕んだ低い声に、しかしは表情を変えずに答える。
「貴方は眼が見えていないのだろう!この先、ニンゲンたちの石火矢がたくさん構えている!他にも何か仕掛けがあるはずだ!!」
「・・・・・・」
 の言葉に、元親はしばし考えるようなそぶりを見せ、その左腕を伸ばしての着物の首を掴む。
「――ぅわ!?」
 左腕一本で襟首を掴んで持ち上げたをその左肩に座らせ、元親は右手で槍を振るう。
 鎖がじゃん、と音をたて、地に突き立てた矛先に足をかけると、そのまま元親とその上のを乗せて、槍が地を削りながら滑るように突進する。
「あのへそ曲がりが貸してくれた大事なお嬢ちゃんだ、傷つけないで返さねェとな!」
 腰を元親の左腕が支えてくれているものの、急な加速に驚いたは思わず元親の頭にしがみつく。
「ッ、・・・・・・その心配は、無用だ。わたしの生命は森と共にあるし、それに、――佐助の生命は、もう」
「――そうかい」
 もうすぐ、ニンゲン達の陣営に到達する。石火矢が、こちらを向いているのがわかる。
 あの男の方は、佐助がきっとなんとかするはずだ。
 だから、自分に、できることを。
 は視線を前に向け、元親の頭から離した右手を刀にかける。
 元親が、にいと笑って言う。
「それなら、なおさらだな、天狐の血を途絶えさせちゃァならねぇ」
「・・・・・・!」
 驚いたように、は元親を見下ろす。からは、眼帯に覆われた左目しか見えず、その表情がよくわからない。
「突っ込むぜ、お嬢ちゃん!」
「――名なら、だ」
 左手を刀の鯉口にかけて、が憮然とした声で答える。
 元親が肩を揺らす。笑っているのだろうかと思う。
「わかった、じゃぁ頼むぜ?
「ああ」
 二人を乗せた槍がさらに加速する。
 元親が、声を張り上げる。
「――行くぜ、野郎共!!!」
『兄貴イィィィィィ!!!!』
 イノシシたちの怒号、視界の先でニンゲンの石火矢が火を噴くのが見える、
 ――足元から、爆炎があがった。




 ひどいにおいだ、と幸村は鼻を押さえて、その先に広がる光景を見つめた。
 生きものの、焼けるにおい。
 いまだ燻る炎が、ところどころで狼煙のように煙を上げている。
 積み重なる、夥しい数の、イノシシたちの死骸。
 爆発によるものなのだろう、辺りにはもはや草木の一本も見当たらない。
 太陽はすでに天頂を過ぎている。この辺りでの戦は、どうやら終結しているようだった。
 ――間に合わなかったのだろうか。
 死骸の山の中を、幸村はゆっくりと進む。
 この中に、彼女のものがあったら――
「!」
 動く人影が見えて、そちらへ駆ける。
「さ、真田の兄さん!?」
「生きてたんスか!」
 それは、里人たちだった。
 顔も着物も泥や煤で汚れている。木の棒や鶴嘴を担いでいる者もいて、何かを掘る作業の途中のようだ。
 タタラ場で世話になったのは一晩に足りない時間ではあったが、その中でも会話をした覚えのある男を見かけて、幸村は声をかけた。
「孫兵衛殿、これは・・・・・・」
「ああ、全部松永のヤロウの仕業っすよ。アイツら、俺らを餌に引き寄せたイノシシどもを、地面ごと吹き飛ばしやがった」
「松永、とは?」
 問うと、孫兵衛は憎々しげに眉根を寄せる。
「筆頭に石火矢衆を貸してる、不気味な野郎でさァ。他にも怪しい手下がたくさんいて、崖の上からも地雷火を落としてきやがった。おかげでここいらの陣はイノシシともども全滅だ」
「そのイノシシの中に、、いや狐の姫はいなかったか」
「いや・・・・・・俺は見てねえっす」
 孫兵衛が首を横に振ると、足元から、見ました、という細い声が聞こえた。
 視線を降ろす、そこに頭を抱えてうずくまっている男がいる。
「――そなた、」
 あの、幸村に向けて石火矢を放った男だった。
 男が、のろのろとつぶやくように言う。
「もののけ姫も、いやした・・・・・・、西海の鬼と、いっしょに」
「元親殿か」
 幸村は膝をついて、男と顔の高さを合わせる。
「それで。どうなったか、わかるか」
「わからねぇ・・・・・・!真っ黒になって、押し寄せてきやがった・・・・・・、そこからさきは、何も」
 わからない、わからないと男は頭を抱えて繰り返し、見かねた孫兵衛がその背を擦る。
「いい、もういいからしゃべンな」
 孫兵衛がこちらを見る。
「まだ、何人も埋まってやす。手分けして掘り返してるけど、助かるヤツがいるかどうか・・・・・・」
 あの、活気ある里の様子を見たのが、つい先日のことだと言うのに。
 身体を、こころを傷つけられた者たちを見つめて、幸村は右目の下の皺を刻んだ。
「あの、政宗殿が、このような」
 にわかには、信じられなかった。
 里人たちから慕われ、また里人たちのことを想っていたあの男が。
 自らの民を、犠牲にするようなやり方を。
「――筆頭は、松永のヤロウに騙されてるんです!」
 孫兵衛の、吐き捨てるようなその声を聞きながら、幸村は立ち上がる。
 石火矢衆は遠からず敵になると、政宗は言っていた。
 つまり彼は、石火矢衆や、その大本であるらしい松永なる者を、信用してはいなかったのだ。
 ならばこの現状は、彼が己の意思で、選択した結果。
「・・・・・・政宗殿は、どちらに」
「筆頭なら、松永たちとシシ神対峙に向かってます。この森の、奥の奥に、シシ神が出るっつう池があるんでさ」
 おそらく、元親たちに会った、あの場所だ。
 幸村は拳を握る。
「わかった。政宗殿は、某が連れ帰ろう」
「兄さん!」
 孫兵衛が、そして遅れて良直が、こちらを見上げる。
「頼んます・・・・・・!筆頭はいつもひとりで何でも背負い込んじまうんです、俺らが不甲斐ないばっかりに・・・・・・」
 幸村が、ふたりを見下ろして頷く。
「承知仕った」
 そして槍を手に、森の奥へと足を進める。
 どうあっても、このようなことが正しいはずがない。
 政宗を、止めなければ。
 そして、彼の男を狙う、も。
 この先に、いるはずだ。


   


20120827 シロ@シロソラ