タタラの里の、目抜き通りに面した小屋の縁側に腰を下ろして、通りを行き交う民たちを眺めながら、政宗は刀の手入れをしている。 里の者たちは、政宗に気が付くと「筆頭」と声をかけていく。 今日も皆、元気だ。 「ほう、卿もそのような顔をすることがあるのだな」 聞こえた声に、政宗は思い切り口を歪めて、傍らを見上げた。 「・・・・・・テメェがいなければ、な」 「それはそれは。ずいぶんな挨拶だ」 松永久秀はそう言って鷹揚に笑い、当然のように政宗の横に腰を下ろした。 「どこに行っていた?ここに着くなり姿が見えねぇから狐にrevengeでもされてくたばったかと思ったぜ」 「卿こそずいぶんとゆっくりしているではないか。森にイノシシどもが集まっていることを知らぬわけではあるまい」 政宗は磨いた刃の具合を確かめてから、刀を鞘に納める。 「別に、放っとけばいいだろ、こっちが手を出さなければそのうちいなくなるさ」 「――ほう。これを好機とは、捉えないのかね」 松永の言葉に、政宗は通りの様子を眺めながら言う。 「このままここで鉄を作り続ければ、森のケモノたちは弱くなっていく。シシ神退治はそれからの方が、要らん犠牲も抑えられる」 その言葉に、松永は笑う。 「いや、結構。民草を第一に想う卿の志はまこと立派、美しいよ」 嘲笑じみたその声を、政宗は無視する。 松永は気にせずに続けた。 「だが時間も金もすでに有り余るほどつぎ込んだ。石火矢衆を貸し与えたのは、このタタラ場のお守りのためではないのだよ」 政宗は視線を動かして、松永の横顔を見つめる。 何を考えているのかわからない、胡散臭い笑みを張り付けた横顔だ。 生理的に受け付けない、そう思いながら政宗は言う。 「まさかテメェまで、シシ神の首が不老不死の薬になるとか信じてるんじゃねぇだろうな」 「さてね。私はただ、私の欲するままに生きている、それだけだよ」 政宗は眉根を寄せる。 「・・・・・・つまり、これを機にイノシシともどもシシ神の首をとれ、ってか」 「判断は、卿に任せるよ」 「・・・・・・」 本当に気に入らない男だ。 政宗は息を吐く。 「・・・・・・I see、てめぇのplanに乗ってやる。崖の裏に潜んでいる怪しげな手下どもを呼び寄せな」 「ほう、気づいていたのかね」 わざとらしく肩をすくめる松永を、政宗は底冷えするような眼で見つめる。 その瞳に灯る、冷たい炎。 「覚えておけ。俺は俺の縄張りで好き勝手されることを、何よりも嫌う」 あからさまな殺気を隠さないその言葉に、松永はもう一度肩をすくめて立ち上がる。 「ふむ、肝に銘じておこう」 そう言い置いて、後ろ手に手を組んで松永は鷹揚に歩いて行く。 その背姿を舌打ちと共に見送っていると、そこに小十郎が現れた。 「政宗様」 「小十郎、陣触れだ」 「――よろしいのですか。あの男、信用なりませぬ」 「Ah、そうだな」 胡坐をかいた膝に肘をつけ、頬杖をついている政宗を、小十郎はその場に跪いて見上げる。 「今一度、お考え直されませ、そもそもあのような石火矢などなくとも、政宗様がカミどもに後れをとるとは、」 「シシ神や狐、イノシシだろうとただ殺すだけなら俺やお前がいれば十分だ、小十郎」 だがな、と続ける政宗の隻眼は、民たちを映している。 「この先何年、何十年――俺やお前が死んだ後も、民たちが安心して暮らせる国を作るためには、ただ個別に殺ってても意味がねぇ。大きな力で一掃して、人間の恐ろしさを知らしめる、そうすりゃ後になってもケモノたちが襲ってくるようなことはないだろ」 「政宗様・・・・・・」 「陣触れだ、小十郎」 もう一度そう言って、政宗は刀を片手に立ち上がる。 首を回すと、小気味いい音がする。 「・・・・・・ま、どっちにしたってpartyには程遠い、――胸糞悪ィ戦になることは、間違いねェだろうさ」 心の臓が脈打つたびに、右腕が疼くように鈍く痛む。 「・・・・・・ッ、」 その痛みで幸村は眼が覚めた。 岩の天井が眼に入り、傍らの壁も岩と知る。 洞窟だろうかと思って半身を起こす。獣の毛皮だろうか、己の身にかけられている上掛けに眼をやり、そして隣で身を丸めて眠っているを見た。 年相応の、あどけない寝顔だ。 ひとつ息を吐いて、幸村は立ち上がる。 その途端痛んだ右腕を左手で擦りながら、洞窟を出た。 夜空には満天の星が散らばっており、月光が穏やかに辺りを照らしている。洞窟の下は崖で、眼下に森が広がっている。 「――痛むかい、旦那」 すぐそこに、青年がいた。天狐だ。名前を、たしかが呼んでいた。 「・・・・・・佐助」 「なんならそこから飛び降りてみたら?すぐにカタがつくよ」 へらりとした笑みを顔に張り付けて、佐助は言う。 「馬鹿正直に苦しみながら死ぬのを待たなくてもさ、これならカンタン」 それには答えず、幸村は森へと視線を動かした。 「――某は、何日も眠っていたのでござるな。夢うつつに、に世話になったと覚えている」 「アンタが一声でもうめき声をあげたら、その喉掻っ切ってやろうとおもったんだけどさ」 惜しいことしたよ、と佐助は苦笑しながら、岩壁にもたれる。 幸村は、森を見下ろして言う。 「美しい、森でござるな。――西海の鬼は、まだ動いてはいないのか」 「アンタには関係のないことだ」 振り返ると、佐助はとらえどころのない笑みを浮かべたまま森を見下ろしている。 「ま、俺様にもあんまり関係はないけどねー、もう残った時間も少ないし。あの男の息の根を、この手で止めれるならなんでも」 タタリ神となった毛利元就と同じ銃弾をその身に受けたのだと、佐助は言っていた。 肉を裂き血を腐らせる毒礫。 涼しい顔をしているが、その痛みや苦しみが絶えずこの天狐の生命を削っているのだ。 「・・・・・・森と人が、争わずに済む道は、ないのでござろうか。本当にもう、止められないのか」 自問のようにも聞こえるその声に、佐助がわずかに眉を動かして幸村を見る。 「・・・・・・さすが、が拾ってくるだけあるわ。変わってるねぇ、旦那」 そして、森へと視線を戻す。 「ニンゲンどもが、集まってる。奴らの火が、じきにここにも届くよ」 その横顔が浮かべるのは、どこか諦めたような、笑み。 幸村は拳を握る。 「をどうする気だ、あの子も道連れにするつもりでござるか」 佐助が、すうとこちらへ視線を動かす。 その眼が、笑っていないと気付く。 「いかにもニンゲンらしい考え方だね」 そして、佐助がこちらに身体を向ける。 月を背にする彼の、その双眸が光る。 「は天狐の一族の娘だ、森と生き、森が亡ぶときはともに死ぬ」 その言葉に、幸村が眉を跳ね上げた。 「あの子を解き放て!は人間でござるぞ!!」 そう言い終えた幸村の喉に、冷たいものが触れる。 瞬きのうちの眼前に迫っていた佐助の、左手が持つ大手裏剣の刃だ。 「・・・・・・アンタに、の何がわかるの?」 わずかに身を屈めて、幸村の顔を覗くように見上げているその温度を感じさせない眼。 「森を穢したニンゲンが、この刃を逃れるために投げてよこした赤ん坊が、だ」 その声は、どこまでも冷たく鋭い、鋼の刃の切っ先のようだ。 「ニンゲンにもなれず、狐にもなりきれない。哀れで醜い、――かわいい、こどもだ」 佐助の足元が、夏の蜃気楼のように闇色に揺らぐ。 「アンタに、が救えるの?」 その、全身から発せられているのは、幸村に対するまごうことない殺気。 幸村は、その佐助の双眸から眼を逸らさない。 「――わからぬ」 脳裏に、の顔が浮かぶ。 そういえばまだ、笑ったところを見ていない。 「だが、共に生きることは、できる」 その言葉に佐助はわずかに眼を見張って、一歩身を退けた。 闇は揺らいだまま、しかし左手は手裏剣を納める。 「――何それ。どういうこと?と一緒に、ニンゲンと戦うつもり?」 「違う!それでは憎しみを増やすだけでござる!」 佐助は、ひとつ息を吐く。 闇色の揺らぎが、消える。 「ねェ、旦那」 その顔には、笑みが張り付いていた。 「アンタにできることは、もう何もないんだよ。それより自分のこと考えたら?」 諦めたような、疲れたような、――幸村にはそれが、深い悲しみにも、見えた。 「夜が明けたら、ここを去りな。俺様が、アンタをうっかり殺しちゃわないうちに、さ」 そう言い残して、佐助は姿を消す。 幸村はその闇色の残滓を見つめてから、洞窟の中へと戻った。 音を立てぬようにゆっくりと、毛皮の褥に腰を下ろす。 「・・・・・・歩けたか」 声をかけられて見下ろすと、の深い色の瞳がこちらをまっすぐと見上げていた。 幸村は微笑む。 「ありがとう、のおかげでござる」 そうか、と短く返事をして、は再び瞼を降ろした。 わずかに身じろぎをしたその身体に、幸村は己にかけられていた上掛けをかけてやった。 次に幸村が目覚めると、たちの姿も気配も、洞窟にはなかった。 差し込む陽の光は明るく、洞窟の中まで照らしている。 枕元に、幸村の槍が置かれているのに気付く。 身支度を整え洞窟から出ると、そこに月影がいた。 幸村の姿を見つけると、ゆっくりと歩み寄ってくる。 「月影」 名を呼ぶ、甘えるように伸ばしてきた首筋を撫でてやる。 「心配をかけた」 ぶるる、と鼻を鳴らす月影をもう一度撫でてから、その背に跨る。 洞窟は森のはずれにあり、森を出ることは容易かった。 そのわずかの間にも、森の異変に気付く。 静かすぎるのだ。 鳥や獣もいない。 森の終わり、眼の前の川は、あの嵐の翌日のような濁流はなく、穏やかにさらさらと流れている。ときおり、陽の光を反射して川面がきらきらと光る。 ちょうど、この場所だ。 と、初めて出会った場所。 口元を血に汚した、凄惨な姿だった。 それでも、うつくしいと、思った。 あのきれいな、深い色の瞳。 触れた唇の、柔らかさ。 そして、時折見せる、優しさ。 ――遠くから、音が聞こえた。 地響きのような音だ。 戦が始まっているのだと、悟る。 痣が広がる右腕を見下ろす。 遠からず、己の身を食い尽くす、呪い。 ――『アンタにできることは、もう何もないんだよ』 佐助の声が、頭をよぎる。 それでも。 「・・・・・・それでも、俺には眼を逸らして逃げることはできぬのだ・・・・・・!」 拳を握る。 そうだ。 俺は、何をしにここに来たのか。 故郷の姫巫女は、何と言っていたのか。 ここを訪れたのは、己が生命を長らえることでも、呪いを解くためでもない。 曇りなき眼で見定め、決めるためだ。 「月影」 名を呼んで、幸村はひらりと馬から降りる。 「そなたは森を出て、待っていろ」 鼻を鳴らす、その首筋を撫でる。 「大丈夫だ、必ず戻る」 そして、背に負っていた二槍を掴む。 矛が空気を裂いて、ひゅんと音が鳴る。 「真田源二郎幸村」 それは、森と、人への名乗り。 「――いざ、参る!!!」 幸村は、森の奥へと駆け出した。 戻 続 上 戻 20120825 シロ@シロソラ |