あたたかいと、思った。 己の身体が揺れる感覚に、は眼を覚ます。 ここが馬上だとわかり、見下ろせば自分の腹に腕が回されていて、驚いて背後を振り返る。 「!」 そのの動きで、背後から腕を回していた男が落馬した。 主が離れたせいか、暴れる馬をなだめて飛び降り、地に臥す男に駆け寄る。 月明かりが辺りを照らしている。森の入り口に近いところだった。このあたりはあのニンゲンが木を切ってしまったので、岩が転がるばかりだ。 男を見下ろす。 あのニンゲンだ。確か、幸村と名乗った。 腹のあたりから、ひどく出血している。 「・・・・・・撃たれたのか」 答えはない。 「貴方は、死ぬのか」 答えの替わりだろうか、呻きのような声が聞こえた。こちらの声は聞こえているらしいとわかり、は幸村の身体を仰向かせる。 その、血の気の引いた顔を見下ろす。 「死ぬ前に、答えろ。何故、わたしの邪魔をした」 力なく伏せられていた瞼が、わずかに持ち上がる。 「・・・・・・そなたの・・・・・・いのちが、危なかった」 「何を言う。もう少しで、あの男を仕留められた、貴方さえいなければ、」 「――そなたを、死なせたくは、なかった」 つぶやかれるようなその言葉に、は眉を跳ね上げ、腰の刀を抜いた。 「死など怖いものか!あの男を殺し、森を守れるならばこの命など惜しくはない!もうよい、その喉切り裂いてやる!!」 抜いた刀を振り下ろす、その刃が幸村の喉に迫る直前、その口が、動いた。 「生きろ」 刃が、幸村の喉に触れたところで止まる。 その切っ先が、月の光を反射する。 幸村の、鳶色の瞳が、まっすぐと、こちらを見上げている。 「――そなたは、うつくしい」 「ッ!!!」 無意識に、その場から飛び退いてしまった。 刀を取り落とす。乾いた音を立てて、刃が地に転がる。 それに構わず、右手で己の頬に触れる。熱い。 今、 この男は、 何を。 うつくしい。 誰が? 恐る恐るという風に足を動かして、幸村に歩み寄る。 幸村は再び眼を閉じていた。眠ったか、気を失ったか、息はあるようだが、このまま放っておけば死ぬのだろう。 「・・・・・・」 からん、と、足元に木の枝が転がってきた音で、我に返った。 「!」 背後を振り返る、その顔を目がけて飛んできた小石を手で払う。 「くらえ!おれさまじるし、石つぶて!!」 ばらばらと投げられる小石や枝を振り払いながら、は相手を睨んだ。 「やめろ!」 「うるせぇ!そのニンゲン寄越しやがれ!!」 数歩ほど離れた岩の上から、こちらに小石を投げているのは、とそう変わらない背格好の、少年だ。 「やめろ、武蔵殿!ニンゲンなどどうする気だ!」 「決まってンだろ、食うんだよ!」 当然のように言われたその言葉に、は眼を見開く。 「なッ、森の最強を名乗る貴方が、何故ニンゲンなど食べようと言うのだ!」 手持ちの小石がなくなったのか、武蔵が岩の上に仁王立ちして言う。 「ニンゲンの力を手に入れるためだろ、ばーかッ!だっておれさまがいくら木を受けたって、アイツらすぐ切り倒しちまう、ニンゲンに勝つにはニンゲンの力がいるんだよ!」 「それは違う!ニンゲンを食べてもその力など手に入らない、貴方の血が汚れるだけだ!猩々(しょうじょう)ではなくなってしまう!」 「うるさいな!最強になれるんなら別に猩々じゃなくったっていいんだおれさまは!」 「そのようなことを、言わないでくれ!木を植えてくれる、貴方の力も必要なのだ」 武蔵が、こちらを睥睨する。拗ねたように、頬を膨らませている。 「ニンゲンは何してくるかわかんねぇぞ、ぼけぼけしてたらシシ神様もおれさまたちも、まとめてみんな殺されちまうんだ!」 「そうならないように、天狐の一族も最後まで戦う!だから、」 「そりゃ、お前はいいよな」 の言葉に、武蔵は平坦な口調で答える。 子どもらしい、残酷な響きで。 「お前は、ニンゲンなんだから」 ぎくりと、の肩が強張る。 「いざとなったらニンゲンに味方するんだろ?それでお前だけは死なずに済むんだ」 「ッ、」 が一歩後ずさる、その前にひらりと闇色が舞い降りた。 「――聞き捨てならないねェ」 「げ」 武蔵が顔色を変える。 闇色から滲むように現れた大手裏剣の刃が、月光を反射してぎらりと光る。 「行きな、俺様の刃が届かないうちに」 どこまでも冷たいその言葉に、武蔵はあかんべえをした。 「へーんだ!おまえのかーちゃんでーべそ!!」 捨て台詞を残して走り去る武蔵の背を見送って、佐助はひとつ息を吐くと、手裏剣を納めて振り向いた。 が、俯いている。 その肩が、小さく震えているのが見える。 「?」 「わた、しは」 絞り出すような、声。 「わたし、は、狐、だ」 縋るような、祈るような。 佐助は眉を下げて、左腕でその震える肩を抱く。 「うん、わかってる」 幼子をあやすように、安心させるようにその背を撫でる。 「ところで、また妙なもの拾ってきたね」 佐助の視線の先、地に転がる男の姿。 「どーするの、アレ」 「・・・・・・シシ神様に、委ねようと思う」 「へェ?」 意外そうに、佐助がその柳眉を持ち上げる。 が、佐助から身を離す。その顔が、月明かりの下、わずかに朱に染まっていることに、佐助は気づいた。 「それとも、この場で殺すべきだろうか。このままここに置いておけば、遠からず死ぬと思うのだが」 あくまで感情を覗かせない声色で、がそう言うのを、佐助は笑って見つめる。 「好きにしな。お前が拾ってきた、お前の獲物だ」 その言葉に、は頷いて振り返る。 たちからは少し離れたところで、幸村の馬が威嚇して鼻を鳴らしている。 「――おいで。仲直りをしよう。お前の主を運びたいのだ、力を貸してはくれないか」 そう言って、馬の眼をまっすぐと見つめる。 馬はしばし逡巡するように前足を動かして、そしてゆっくりとこちらに歩み寄った。 東の空を見やれば、濃紺の夜空にわずかに暁の色が混じり始めている。 夜明けが近い、そう思いながら男はゆっくりと、木々の間に組まれた隠し小屋に足を踏み入れた。 「どうかね」 「もうすぐです」 返事と共に、物見のための小窓を案内される。 葉の間に隠れるように作られた窓からは、森を見渡すことができる。 風が、吹き抜ける。 ざわざわと、まるでそれが森の声であるかのように、葉擦れの音が辺りを支配する。 ――唐突に、女の歌う声が、聞こえた。 『――死にゆく呻き、花のよう・・・・・・』 男は眼を細める。 その視線の先、森の木々の上を、漂うように進む女の姿がある。 どのような仕掛けなのか、闇の色を押しこめたような大きな掌のようなものが、女の足元を支えている。 聞こえる歌声は、その女が発しているものだ。 「あれが・・・・・・シシ神の、夜の姿、か」 「仰る通りです。そして、アレが消える場所が、」 部下の男の言葉と同時、山深い森のある一点で、 『・・・・・・開け根の国、根の社・・・・・・』 女の姿が沈むように消えていく。 「あそこが、シシ神の住処」 男が、満足げにその口の端を上げる。 「夜の間は、あのように実体が曖昧であるため、手は出せません。仕留めるなら日のあるうちに」 「ふむ、結構」 部下の言葉に鷹揚に頷いた男の背後に、獣の皮で作った装束を身に纏った男が現れる。 「松永様」 その男の報告を聞いて、松永久秀は顎を撫でた。 「ふむ・・・・・・、それはこの眼で確かめるとしようか」 部下の案内で、森を進んで別の隠し小屋にたどり着く。 移動している間に陽は昇り、森は朝を迎えている。 「こちらです」 案内された窓から見える光景に、松永はわずかに眉を動かした。 「――ほう。これはまた、夥しい数だな」 森の向こう、崖のような山肌を、ひしめくようにイノシシの大軍が進んでいる。 「あれはそれぞれ、名のあるカミです」 「ふむ。ただの獣に見えるが」 「チカラのないカミは、その本性の姿から変化することはありません。ある程度以上のチカラがあれば、あのような」 そう言って部下が指すのは、崖の先、イノシシの大軍を率いる男の姿。 身の丈とそう変わらない、巨大な矛――船の錨だろうかと松永は思う――を肩にかけた、大柄な男だ。 「我らとそう変わらぬ人のような姿に変化することができるのです」 「成る程。天狐と同格と、いうことだな」 男が、肩を揺らしてこちらを向く。 「・・・・・・あれは、西海の鬼、です」 「ふむ、海を渡ってきたということか。ご苦労なことだ」 この小屋は木々の枝葉に隠れるように作られているし、男の位置からここまではずいぶんと距離があるのだが、こちらに気づいているように見えた。 「――気づかれています」 「何、かまわんさ。遅かれ早かれ、獣たちにはお引き取り願うのだから」 結構結構、と松永は笑って、ゆったりとした足取りで小屋を後にした。 夜明けの、陽の光が一筋、その池の中央に位置する小島に降った。 山深い森の中、風はないというのに池の水面(みなも)が波打つ。 そこに、ひとりの男が現れる。 水面を、まるで地の上であるかのように、ゆっくりと歩く。 南蛮鉄の鎧に包まれたその足が水面に着くたびに、足元に草木が生えて花が咲き、足が離れるととたんに枯れて水の底に沈んで行く。 やがて、男は小島にたどり着く。 その小島の、草の間には、幸村が横たえられている。顔からは血の気が引き、瞼は力なく降りたまま、投げ出された手足はぴくりとも動かない。 腹から下は池に浸されていて、石火矢が穿った傷口からは今もなお流れ出ている血が水に溶けている。 幸村の、ちょうど頭の先に、葉のついた木の枝が一本、刺さっている。 男はその枝に手を翳す、とたんに枝は枯れ、変色した葉が落ちる。 ゆるり、と男が眼を動かし、幸村をその視界に納める。 その口が、ゆっくりと開いて、言霊が漏れ出た。 「――是非もなし」 戻 続 上 戻 20120822 シロ@シロソラ |