「!」 「わかった!」 松永の脇を、首桶を担いだ部下たちが走り抜けていくのに気づいた幸村が短く言い、は頷いてその後を追う。 背後から剣戟の音が聞こえる。 すべてを見透かすような、気味の悪い男だ。どうかするとあの伊達政宗よりもよほど、不快だと思う。 幸村が気にかかるが、今は彼を信じるしかない。 は前を走る男たちを見据える。 足はこちらの方が速い、追いつけるとそう思った瞬間、 「ぅわあ!」 「もうだめだー!!」 先回りしていたらしい闇の腕が前方から現れて、慌てふためいた男たちは首桶を放り出して逃げて行く。 「!!」 首桶を受け取ろうと腕を伸ばすがわずかに足りず、そのまま首桶は斜面を転がり落ちていく。 「幸村ッ!!」 首桶を追って駆け下りながら叫ぶ、首桶はちょうど幸村と松永の方向へ転がっていく。 「ッ!」 「ふむ」 がきりと硬質な音が響く。 同時に繰り出された幸村の槍と松永の刀が、首桶を受け止めていた。 「・・・・・・その、刀を、退かれよッ!」 「卿もよくよくわからぬ男だな」 「幸村、囲まれる!」 駆け下りてきたの声にふたりは周囲を見回す、すでに周りは闇の腕に埋め尽くされていた。 幸村が、刃を交える松永に視線を戻す。 「もう退路はござらぬ、観念なされよ」 そのぎらと輝く双眸に、松永は嘆息して薄く笑う。 「苛烈、苛烈」 そうしてあっさりと刀を退いた。 「好きにしたまえ」 「!」 幸村が驚いたように槍を退く。 「幸村!」 戻ってきたが首桶の栓を抜こうと手にかける力を籠め、すぐに幸村がそこに手を添えた。 鉄製と思しき首桶は二人がかりで栓を抜くとがたりと震えて独りでに蓋が外れた。 「!」 「首が、シシ神を呼んでいるのか・・・・・・?」 納められていたシシ神の首を、幸村が持ち上げる。 がそれに、手を添える。 「――シシ神よ!!」 ふたりで首を天に掲げ、幸村が声を張り上げる。 声が届いたのか首が呼んだのか、女の姿のシシ神が首を傾げてこちらを見下ろす。 「首を、お返しする!!静まりたまえ!!!」 一際大きな闇の腕が、首を目がけて降りてくる。 あの腕に触れれば生命はない。 それがわかっていても、は見上げる眼を閉じない。 怖くなど、あるものか。 ふと、背にあたたかなものを感じて、傍らを見上げる。 片腕でを抱き寄せた幸村が、こちらを見て微笑んでいる。 そういえば。 ニンゲンの笑顔を見たのは、この男が初めてだったのだと気付く。 闇色が、視界を埋め尽くす。 身体が引きちぎられそうになる衝撃の中、それでも背に感じるあたたかさだけは消えない。 だから、もうこわくない。 闇の色と光の色が弾けるなか、は意識を手放した。 「見ろよ!」 「あそこだ!!」 民たちが指さす方向を、小十郎も見据える。 シシ神が闇の腕を降ろした場所から、光の色が弾ける。 その光が台座からシシ神にも伝わっていく。 『・・・・・・にい、さま・・・・・・』 そして、そのとき。 シシ神の向こう、東の空に、光の筋が生まれる。 朝日だった。 シシ神がそれに気づき、 『あ・・・・・・』 力を失ったように、闇色の台座が音もなく傾いていく。 「倒れるぞ!」 「こっちに来る!」 「落ち着け、ここまでは届かねェ!」 浮足立つ民たちに喝を入れた小十郎の視界の先、闇の腕の塊が、シシ神ごと湖の水面にぶつかり、 ――ゴオオオオオオォォオオ!!!! その姿が霧散して、突風が吹き荒れた。 風にあおられた湖面が大きく波立つ。 民たちの悲鳴。 「騒ぐんじゃねぇ!!隣のやつに掴まって身を低くしろ!!」 轟音に負けじと小十郎が声を張り上げ、民たちが身を寄せ合う。 風は森やタタラ場に蠢いていた闇の腕を吹き飛ばしていく。 大屋根から激しく噴き上がっていた炎も、風にあおられて消えていく。 さらに風は、タタラ場の柵やへしゃげた家屋の木材をも山々の彼方へ吹き飛ばして行った。 そして、風が収まった場に、静寂が落ちる。 「・・・・・・な、に・・・・・・?」 静寂を破ったのは、小十郎の驚愕の声だった。 「おい、見ろ・・・・・・!」 「山が!」 闇の腕に蹂躙され、すでに枯れ木しか残っていなかった山々に、だんだんと緑の色が戻っていく。 眼をこらせば、新たな草木が常にはありえない速さで成長しているのだとわかる。 タタラ場も例外ではなく、かろうじてその形をとどめた大屋根にも緑の色が広がっていく。 「すげェ・・・・・・花咲かジジイみてぇだ・・・・・・!」 孫兵衛の呆けたような声、民たちの眼に映る朝の山々はすっかりその木々を取り戻していた。 戻 続 上 戻 20120830 シロ@シロソラ |