「この道は、佐助とわたししか知らない狐の道だ。わたしの知る限り、最も早く森を抜けられる」 鬱蒼と茂る木々の間、常人には道には見えぬ獣道を走りながら、は言う。 その傍らに幸村、そしてすぐ後ろには意識のない政宗を背負った小十郎が続いている。 幸村は駆けながら、周囲に気を払っている。 近道を通っているおかげなのか、シシ神の闇の腕はこのあたりにはまだ届いていないようだ。もちろん、時間の問題であるのは明白だったが。 木々の間を抜けて、唐突に視界が開ける。 「!」 が立ち止まったので、幸村も足を止める。 「?」 の視線を追って、幸村の視界にもそれが映る。 「・・・・・・シシ神・・・・・・!」 月明かりを背にして、森の上空に女の姿のシシ神が浮かんでいる。 その足元は台座のような闇の腕、そこから幾重にも枝分かれして、森中に腕を伸ばしている。 腕が木々に達したところから同心円状に枯れ木の色が広がっていく。 それに比例するかのように台座の腕は広がっていき、枝分かれする腕の数が増えていく。 シシ神は生命を与えもし、奪いもすると、佐助が言っていた。 ならば、あれは。 「木々の生命を・・・・・・吸い取っているのか・・・・・・!」 「!あれは、」 小十郎の声に、幸村が振り返る。 眼下に広がる森の、木々の切れ目に見覚えのある人影。 タタラ場の、民たちだった。 森の異変に気付いてはいるのだろうが、具体的に何が起こっているのかはわかっていないのだろう、不安そうに身を寄せ合っているのが見える。 「――俺はアイツらを連れて、森を出る」 「それがよかろう、タタラ場も危ないかもしれぬゆえ、お気をつけくだされ」 幸村の返事に小十郎は頷き、そしてを見た。 がびくりと肩を震わせる。 「――礼を言う」 の眼を見据えて小十郎は一言そう言い、森を抜ける道を下って行った。 「・・・・・・」 眉根を寄せた、複雑な表情のを見て、幸村は小さく吐息して微笑む。 それに気づいたがその顔に仏頂面を戻して、そして視界をめぐらせる。 「・・・・・・、見えた」 が指さす方向を見据える。 ここから東の方向の、山の尾根。 松永と、シシ神の首桶を担ぐ彼の部下たちの姿が芥子粒のように見える。 「先回り、できるか」 問うと、がこちらを見てこくりと頷いた。 「してみせる」 「頼む」 そうしてふたりは同時に地を蹴った。 孫兵衛たちと合流してタタラ場にたどり着いた小十郎は、しかし森から溢れ出る闇の腕を見てタタラ場も危険だと判断し、残っていた民たちを誘導してタタラ場を臨む湖畔まで逃れて来ていた。 空はすでに白み始めている。月は没し、日の出が近い。 森の木々が蠢いているように見えるのは、その実木ではなく闇の腕だ。 その上、薄紺色の空を、闇色の台座に支えられたシシ神が動いて行く。 森の中で見たときよりも台座である腕が大きくなっていると、小十郎は気づく。 『――ひとつふたつ みつのいし さいのかわらに ひろいませ・・・・・・』 女の歌う声がここまで届いて、身を寄せ合う民たちが悲鳴を上げる。 「化け物だ・・・・・・!」 「片倉様・・・・・・」 「大丈夫だ、ヤツの目的は俺らじゃねェ」 厳密には手当たり次第の生命を奪っているシシ神に使づくことで標的にはなってしまうのだが、民を安心させるように小十郎はそう言った。 森から這いだした闇の腕が、ついにタタラ場にかかる。 獣返しのために設けられている柵を難なく薙ぎ倒して、腕が里を蹂躙していく。 連なった小屋が軒並み潰され、櫓が瓦解する。 「ああ・・・・・・大屋根が・・・・・・!」 茫然としたような民の声。 突然のことに火を落とせなかった鈩のある大屋根が、闇の腕に呑まれ、すぐに煙が立ち上って炎が噴き上がる。 「終わりだ・・・・・・!鈩が燃えたら、もう・・・・・・!」 呆けたような声を上げる男の頭を、小十郎が軽く小突く。 「馬鹿野郎、嘆くくらいならこれからどうするかを考えろ!生きていればどうにでもなる!」 この辺りはすでにタタラ場のニンゲンたちに切り拓かれてしまった、裸の山だ。 その斜面、松永たちを見つけて、幸村とは駆け下りる。 「――その首、待たれよ!!」 立ちふさがった幸村を見て、足を止めた松永が鷹揚に笑う。 「卿か。いや、無事のようで何よりだよ」 その余裕を感じさせる声色に、が不快げに眼を細めたが、幸村はそれに介さず松永に詰め寄る。 「その首を置いて逃げられよ!首はシシ神にお返しする!」 「ふむ。もはや遅いと、わからないのかね」 言って、松永は遥か頭上を漂うように進むシシ神を指す。 「見たまえ。生命を吸い過ぎた愚鈍な死神だ。陽が昇れば消え失せ、全てが終わるのだよ」 「たとえそうだとしても、人が奪った首は、人の手で返すべきでござる!さあ置いて行かれよッ」 眦を釣り上げる幸村を見て、松永はひとつ息を吐いた。 「やれやれ・・・・・・、天地(あめつち)の全てを欲するは、人の業というものだよ。放っておけば、世は朽ちる。その前に手に入れられるものを手にしたいという何より純粋な渇望だ。まだ若い卿にはわからぬも道理、か」 「松永様!」 背後から迫りくる闇の腕に、首桶を担ぐ部下たちが焦ったような声を上げる。 松永は背後を一瞥して、再び幸村に視線を向ける。 すらりと抜かれた刀に、幸村とが身構える。 その、底の知れぬ双眸が、妖しげに光った。 「まあ、仲良くしてくれたまえ。――なに、卿が死に逝くまでの、ほんの少しの間でいい」 戻 続 上 戻 20120830 シロ@シロソラ |