それは、人智を超える戦いであった。
 西海の鬼の大槍が振るわれるたびに衝撃波が風となって木々を揺らし、天狐の速すぎる動きは常人の眼では到底追いきれない。
 その様子を、少し離れた木々の間から、政宗と松永の隊列は見ていた。
「――松永様」
 そこに、西海の鬼を追い立てる役目を果たした松永の部下たちが現れる。
「ふむ、上出来だ。下がりたまえ」
 松永は、岸辺で繰り広げられている戦いから眼を逸らさずに言った。
「物の怪の争いか、いや苛烈苛烈」
 その面白そうな声に、不快げに眉を動かしながら、政宗はその気配に気づいて刀に手をかける。
 続いて松永も、気づいた。
 池の中央に位置する小島に、前触れもなく現れた男の姿。
 南蛮鎧に身を包んだその男が、ゆらり、と歩き出す。小島から池へ足を出し、その足は水に沈むことなく、水面を歩いて行く。
「――ほう」
 その姿に、松永が感心したような声をあげる。
 男が向かう先は、西海の鬼と天狐が戦う岸辺。




 鋼どうしがぶつかり合う硬質な音。
 元親の大槍と己の大手裏剣の刃が擦れあって細かな火花が散る。
「・・・・・・ッく」
 佐助はぎりと歯を食いしばる。
 互いに片腕での戦いであったが、正気を失っている元親の一撃の力は、佐助の知るそれとは段違いに重い。
 力比べはもともと佐助の得手ではない。それでも、動ける時間はもう少しもない。何が何でも、ここで決めなければ。
 交わった刃を伝って、赤黒い蛇のような何かがこちらにも絡みつく。
 血の腐った、ひどいにおい。
『オ゛オ゛ア゛ァァ!!!』
 雄叫びと共に、さらに槍に籠められる力が増す。
 膝が折れそうになるのを必死に耐える。大手裏剣を持つ左腕が、軋むような音をたてる。
 ・・・・・・この、馬鹿力ッ・・・・・・!!
 ぎしりと睨んだ佐助の視線の先、元親が唐突にびくりと震えた。
「!」
 その、見えていないはずの右目が、何かを見て大きく開かれる。
 佐助の身体を越えた背後、池の方を、見て。
 それが何かなど、今の佐助にはどうでもいいことだった。
「――ッ!!」
 残った力の全てを乗せて、左腕を振り払う。
 手裏剣の刃が、大槍を弾き飛ばす。
 ぶん、鎖が大きな弧を描く、その矛が元親の後ろの地にがつりと突き立つ。
『オ゛、ア゛』
 まるで何かに怯えたかのように、元親が一歩後ずさる。
 それまでまるでそれ自体が生き物であるかのようにのたうちまわっていた赤黒い蛇が急に力を無くし、灰色に退色してずるずると溶けていく。
 己の身体に纏わりついていたものも同じで、べたりと顔に垂れてきたそれに構わず、佐助は地を蹴って腕を伸ばす。
 元親の左腕から、の身体を奪い返す。
 その細い身体もどろどろとした灰色のそれにまみれている。
 池に向き直り、漸くその姿に気づく。
「!!」
 シシ神だった。
 男の姿のシシ神は、その不気味な光を宿す瞳を、元親へ向けている。
 一瞬眼を奪われそうになって、しかし腕の中にかろうじて感じる温もりが、猶予がないことを思い起こさせる。
 見下ろすと、顔色が、白い。息があるのかどうか、確かめる時間すら惜しい。
 しかし、力を使い切った身体がもはや思うように動かない。
 佐助は最後にもう一度の顔を視界に納めてから、その名を呼んだ。
「――旦那!!」


「アンタに、が救えるの?」


 意識が浮上して、肺に溜まった息を吐きだした。
 ごぼ、とそれは泡になって立ち上っていく。
 それを見て、ここが水中だと気付く。
 池の底だと悟り、幸村は水を蹴って浮かび上がる。
 今。
 確かに、佐助の声が、聞こえた。
 浅い方に向かって泳ぎ、すぐに足が着くようになって駆け出す。
 水飛沫を上げて、その視界に岸辺の様子が映る。
「佐助!」
 満身創痍の佐助に駆け寄る。
 佐助はこちらに気づくと、その腕に抱きかかえていた、泥のようななにかにまみれた塊をこちらに差し出す。
「――ッ!」
 泥のようなそれごと、の身体を受け取る。
 その瞼は力なく降りたまま、顔色にも生気が感じられない。
「頼むよ、旦那」
 こちらも同じくらい生気のない顔色の佐助が、幸村の眼を見て笑う。
「ッ、あいわかった!」
 幸村は頷き、の身体を抱きしめながら池に飛び込む。
「死ぬな、!!」




 シシ神は、元親の眼前まで歩いて、立ち止まった。
 その、禍々しさすら感じられる、ほの暗い赤を灯した眼が、元親の右目を見据える。
「――是非もなし」
 その言霊に、怯えたように見開かれていた元親の右目が、ゆるゆると閉じられていく。
 ずるずると、元親の身体から流れ出ていく灰色のようなそれが、まるで西海の鬼の生命そのもののようだ。
 瞼を降ろした元親は、魂が抜けたように、ゆっくりと仰向けに倒れる。
 それを見届けてから、天狐の足ががくりと折れ、その身体が地に臥す。
「・・・・・・成る程、シシ神は生命を吸い取るというわけか」
 たいして驚いた様子もなく、松永はひとり頷きながらそう言う。
 シシ神が、池の方に身体を向ける。
 そしてゆるりとした動きで、天を仰ぐ。
「!」
 気づいたのは、政宗だった。
 木々の間から見える空は、すでに夕闇から濃紺へと色を変えつつある。
 そこに見える、欠けた月。
「――死にゆく呻き」
 シシ神の口から、言霊が漏れる。
 それとともに神の足元が、夏の蜃気楼のように闇色に歪む。
「ふむ」
 松永が腕を上げる。
 部下たちが、石火矢をシシ神に向ける。
「――花のよう」
 シシ神は、夜の姿へと変化しつつあるのだ。
 昼の姿の内に手を打たなければ、仕留めることが叶わない。
 松永が、上げた腕を、神に向けて降ろす。
 静寂の森の破裂音が響き、石火矢が一斉に火を噴く。
 その内の何発かが、シシ神の身体を捉える。
 しかし。
「Ha、ご自慢の石火矢は効かねェみたいだな?」
 全く意に介した様子のないシシ神を見つめながら政宗が嘲笑うように言って、六爪を抜く。
 そして背後を振り返って、そこに控える松永の部下たちに言った。
「おめぇら、よく見ておきな!カミを殺すとは、どういうことか、な!――行くぜ小十郎!!」
「御意!」
 政宗が地を蹴るのと同時、小十郎が左腕に抜いた刀を構えて駆け出す。
「『開け、根の国』」
 シシ神の言霊に、女の歌う声が重なる。
 闇色に歪んだ地から、その女がずるりと浮かびだしてくる。
 シシ神の、夜の姿だ。
「――待たれよ、政宗殿ッ!!」
 飛沫を上げて、左腕にを抱きかかえながら池から駆けだした幸村が、右腕に槍を構える。
 あの、泥のような何かは、池の水に現れて流れて行った。にはまだ、意識はない。
 政宗の進路を塞ごうとした幸村の槍が、小十郎の刃に阻まれる。
「テメェの相手はこの俺だ!」
「退かれよッ、シシ神に手を出すな、政宗殿ッ!!」
 小十郎の刃を防ぎながら、視線は政宗を追う。
 政宗は六爪を構えながら、眼前に迫るシシ神を見据える。
「シシ神?化け物?no・・・・・・、アンタはただの、ケモノだ!」
 シシ神に、こちらを気にする様子はない。
 変化の途中は動けないのか、それともニンゲン程度視界にも入らぬということか。
「『根の――』」
「ここで、くたばりやがれッ!!!」
 政宗の、裂帛の気合いとともに振り払われた刃が、
 シシ神の首を、一閃した。


   


20120829 シロ@シロソラ