妙なことになった。 はそう思って、仏頂面のまま鼻から息を吐く。 「桃太郎殿!あれは何でござろうか」 「大道芸だ。ああして芸を見せて、見物の客から金を」 「桃太郎殿、あちらに何やら花のような光るものが!」 「簪か。女性が髪を飾るのに使う、」 「桃太郎殿桃太郎殿!甘味が!甘味が売られておりますぞ!」 「言っておくが買わないぞ」 先手を打ってくぎを刺すと、幸村がこの世の終わりのような顔をしたので、はふいと視線を外す。 何も悪いことは言っていない、そう思うのに、なぜだかものすごくいたたまれなくなる。 今朝がた助けたこの男は、結局今日一日に付いてきた。としては、供にした覚えは全くない。団子の恩義と言われても団子は団子であるし、携帯食を食べられたくらいで見返りを要求するつもりはさらさらない。付いてこられても面倒だからとそれなりに足早に歩いてみたり走ってみたり、途中の街ではわざと建物の間を蛇行してみたりしてはみたものの、よほど勘が良いのか、幸村は寸分たがわずの後を付いてくるのだった。 結局話しかけられたら答えてしまっている自分に気が付く。 昔、近所で飼われていた犬に懐かれたときのことを思い出す。 本当にこの幸村は、犬のようだ。 いまだにこの世の終わりのような顔をしたままの幸村を、冷めた眼で見上げる。 「気に入らないなら付いてこなければいいだろう」 そう言って、人混みをかき分けるように進む。 大きな宿場町なのに加えて、今日は市がたっていたようで、往来をすれ違うのにもいささか苦労するほどの人出である。 空を見上げれば夕暮れの陽を厚い雲が覆っている。今にも雨が落ちて来そうな空模様だった。 今日辿りつける宿場町はここが最後だから、宿を取るべきかを考える。雨さえ降らなければ、このまま町を抜けて陽が暮れたところで野宿ができるのだが、雨が降ればそうもいかない。先を急ぎたいところではあったが、ここは屋根のあるところで休むべきだろう。 そこまで考える間、幸村の返事が無かったので振り返ると、すでに何人か人を隔てた向こうで、商人と思しき人物から何やら見るからに怪しげな壺をしきりに勧められている紅の具足姿が見えた。は短く息を吐いて、来た道を戻ると幸村の腕をむんずと掴む。 「も、桃太郎殿っ!?」 「行くぞ」 幸村の腕を引いたまま、ずんずんと歩く。 そういえば団子を幸村に食べられたせいで、朝から何も食べていない。さすがに腹も減ってきた。 「桃太郎殿、」 とりあえずは宿を探して、それから何か食べるとしよう。そもそもこの人の多さだ、この町でこれから宿がとれるだろうか。 「桃太郎殿っ」 「何だ」 「その、前!」 「は、」 何だと、そう言おうとして、正面から何かにぶつかり、体勢を崩したところを幸村に支えられた。 「っ、」 「桃太郎殿!大事ござらぬか」 したたかに打った鼻を押さえながら前を見ると、大柄な男が大仰に尻餅をついている。 は幸村から離れて、その男の前で手を差し出した。 「すまなかった、前をよく見ていなくて」 男はの姿を見るなり、「あぁ?」と柄の悪い声をあげた。 「てめェどこ見て歩いてやがるこのくそガキがッ!」 「だから、すまなかったと」 の差し出した腕を無視して、男はのそりと立ち上がる。 「ああいてぇ!腕が痛くてたまらねーなァ!こりゃあ折れたな、どーしてくれんだ?」 「・・・・・・」 男が擦る左腕だが、今しがた立ち上がる時に自分でその左腕を支えにしていたのをは見ていた。 今日は厄日なのだろうか。 ずいぶんと面倒な類いの輩に関わってしまったものだと、冷えていく頭で考える。 「治すのにも金がかかンだよ、わかるだろ?」 強請られているのだと、理解する。 大きな宿場町だ、こういった喧嘩は日常茶飯事なのか、往来を行く人々は慣れた様子で関わらないように少し離れて歩いて行く。 さてどうしたものか。あまり騒ぎを大きくすると、こちらまで厄介者扱いされてこの町で宿が取れなくなってしまう恐れがある。 何か穏便に済ます方法はないものか。 「なんとか言えよこのくそガキ!」 もう面倒だから実力行使で切り抜けようか、その結果宿が取れなくなっても致し方あるまい。 そこまで考えて、重心を落としかけたの肩を、後ろにいたはずの幸村がぽんと軽く叩いた。 「!」 「――糞とは無礼な御仁にござるな」 言いながら幸村がの前に歩み出た。男とを隔てる位置で、己より大柄なその男を真っ直ぐと見上げている。 「先ほどから見ておれば、貴殿のそちらの腕は無事でござろう。それに桃太郎殿も前方不注意ではござったが、それは貴殿も同じこと」 「何だと!?やンのかコラ!」 「どうしてもというならば戦っても構わぬが・・・・・・」 からは幸村の顔が見えない。紅の戦装束の背姿が、眼に焼付く。 男はしばらく幸村の顔を睨むと、盛大に舌打ちをして駆けて行った。左腕もぶんぶんと振っている。あれなら大事はなかろう。 「・・・・・・かたじけない」 その背に声をかけると、くるりと幸村がこちらを向く。頭の後ろで一房伸ばした髪が、まるで犬の尾のように揺れた。 「何の、礼には及びませぬ」 そう言ってにこりと笑う、その鳶色の双眸を、は見上げる。 きれいな眼だ。 「桃太郎殿?」 呼ばれて、我に返った。 「っ、それにしても貴方は、そういうことができるなら何故さきほど壺を売られそうになっていたのだ」 どう睨んで先ほどの男を追い返したのかはわからないが、それができるならば壺の商人にも同じようにしてやればよかったにのに。 そう思いながらが問うと、幸村は「壺?」と首を傾げた。 「その・・・・・・、今の男ならば、桃太郎殿への悪意がはっきりと感じられたゆえ」 「悪意?」 聞き返すと、幸村は「うむ」と頷く。 「人間の感情の機微というものは大変難しいものでござるが、敵意や悪意ならば某でも容易く察せられまする」 「・・・・・・つまりさきほどの商人からは敵意や悪意を感じなかったと」 「ああ、壺の御仁でござるか!まこと熱心なあきんどでござった、その熱意や天晴れにござる!」 「・・・・・・」 よくわかった。 この男を放っておくと、必ず何か厄介ごとに巻き込まれるに違いない。 だが、だから何だというのだ。 幸村が騙されようがどうしようが、には関係のないことのはずだ。 「・・・・・・」 息を吐く。 いかに関係なくとも、野垂れ死にでもされたらさすがに寝覚めが悪い。 「今日はこの町で宿を探す」 「承知仕った!」 が歩き出せば、当然のように幸村は後を追ってくる。 幸村が団子の恩義と言うならば、こちらは今しがた妙な男から助けてもらったことへの、礼だ。 町はずれの小さな宿屋を訪ねると、主人がさきほどの騒ぎを見ていたとかで、町でも有名な破落戸(ごろつき)をこらしめてくれたと歓迎され、あっさりと一部屋借りることができた。 通された部屋で、背に括りつけていた荷物を降ろし始めると、幸村がうろうろと視線を彷徨わせて、言った。 「そ、その、桃太郎殿、某も同じ部屋でよいのでござろうか?」 「仕方ないだろう、貴方は金を持っていないではないか。わたしには多少持ち合わせはあるとはいえ、まだ先はあるからな、二部屋借りるような余裕はない」 そう、こともあろうにこの男は、一切金を持っていなかったのだ。先ほど宿屋の主人に値段を聞いた折に発覚したことで、は頭を抱えたい気分だった。 金が無いから何も食べられず、今朝ああやって行き倒れていたということだ。 しかも銭の種類や価値もあまり理解していない様子で、これで今まで何をどうやって生きてきたのかと甚だ疑問に思う。 ・・・・・・それをあえて、聞こうとは思わないけれど。 の言葉に、幸村はまだ納得しない様子だった。 「なれば、某は外に出まする、適当にどこぞで休んで明日の朝また参りまするゆえ」 「?何故だ?ふたりでもそう狭くは無いだろう。それに今夜はおそらく雨が降る、どうしてもと言うなら止めはしないが、雨の降る中屋根のないところで身体を冷やしたらどうするつもりだ、薬を買う金も持っていないだろう」 幸村が何にこだわっているのか理解できず、は手甲を外しながら淡々とそう言った。 「・・・・・・わかり申した、では某もここで」 ようやく納得したのか、何やら観念したような様子で、幸村がその場にどかりと腰を下ろした。 それを見つめながら、は結い上げていた髪を解く。 水場を借りられれば洗いたいところだが、とりあえず埃だけでも取ってしまいたい。 荷物の中から櫛を取出し、幸村が陣取った場所とは反対側の壁側に腰を下ろして、絡まった毛先を解き始める。 「・・・・・・」 「・・・・・・何か」 視線を感じたので顔を上げると、幸村が慌てたように腰を浮かせた。がた、と床板が鳴る。 「いやそのッ、そうしておられると、桃太郎殿は確かにおなごであるなと思った次第で、」 「・・・・・・そもそも、貴方はどうしてわたしがおなごだとわかったのだ」 見た目で気づかれたのかと思っていたが、違ったらしい。 幸村はの問いに、すんと鼻を鳴らした。 「におい、でござる」 「におい?」 「某、鼻はよう利きまする。桃太郎殿からは人間のおなごのにおいが致したゆえ」 「・・・・・・そうか」 人間の、という幸村の言い回しが気にかかったものの、特にそれに言及するでもなく、は黙々と櫛を動かしていく。 しばらくそれを見つめていた幸村が、口を開いた。 「桃太郎、というお名前は、男子のものと心得ておりまするが、なれば桃太郎殿にはおなごの名前もおありなのでござろうか」 その問いに、櫛を動かす手が、止まる。 おなごの、名前。 遠い記憶の中で、父が呼んでくれたもの。 「・・・・・・ああ、ある」 「おお、なんと申されるので?」 「貴方に言う義理はないな」 「む、桃太郎殿は手厳しいな」 「今日会ったばかりの貴方と馴れ合う理由が無い」 櫛から眼を上げずに答えれば、幸村は納得したのか一度口を噤んだ。 そして遠慮がちに、言う。 「もうひとつ、聞いてもようござるか」 「何だ」 「桃太郎殿はなぜ、鬼を殺そうとされておられるのだ?彼の鬼に、何か恨みでも?」 「・・・・・・いや。わたしの国は、鬼ヶ島には遠い。鬼の悪行は噂に聴いた程度だ」 「ならば、なにゆえ」 視線を上げる。幸村を見れば、その鳶色の瞳が、真っ直ぐとこちらを見ている。 「・・・・・・わたしの、主の、ご命令だ。鬼を退治してまいれと」 「なんと、では桃太郎殿は主殿への忠義のために鬼を目指されるのでござるな!」 さきほど壺の商人のことを話したときと同じ、感心しきりという様子で紡がれたその言葉に、はわずかに眉を動かして、そして櫛に視線を落とした。 「・・・・・・忠義・・・・・・」 小さな呟きは幸村の耳に届かなかったらしい。 「桃太郎殿?」 幸村の聞き返す声が聞こえたが、はそれ以上何も答えなかった。 |
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