――むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おばあさんが川で洗濯をしていると、どんぶらこっこと大きな桃が流れて来ました。家に持って帰って割ってみると、なんと中から出てきたのは元気な赤ん坊。桃から生まれた赤ん坊は桃太郎と名付けられ、すくすく立派に成長し、ある日のこと、お城の殿さまから民を困らせているという鬼の退治を命じられたのです―― はてさて、困ったものだ。 地面に突っ伏したまま、指一本動かせる気がしない。 最後にものを食ったのはいつだったかと思い返そうとして、すぐに思い出せなかったのでやめた。頭を使うだけで腹は減るのだ。 さて、どうしたものか。 街道であるから人通りが無いわけではないが、戦続きのこのご時世、行き倒れを気に掛ける人間はいない。皆自分のことで精いっぱいなのだ。今日食うものもままならぬなどということは、特に珍しいことでもない。まこと戦とは、人を、世を乱すものだ。 と、つらつら考えてはみたが、とにかくこのままだと、己は本当に飢えて死ぬかもしれない。 ・・・・・・あまり使いたくない手ではあったが。 文字通り背に腹は代えられないかと考えたところで、頭の上から、声が降ってきた。 「――そこな御仁。・・・・・・まだ、生きているか」 まさに天の恵み。 このような得体の知れぬ行き倒れに声をかけてくれる御仁がいようとは。 生きている、意識はあるのだと伝えたいが、如何せん身体に力が入らない。それでもなんとか指一本でも動かそうと奮闘していたら、肩に力が加わって、ごろりと仰向けにさせられた。 背を支えられて、抱き起されているのだと理解する。 日差しが眼に刺さるようで、眩しい。 「・・・・・・よかった、生きていたか」 その陽の光を遮るように、こちらを覗き込む顔。 その双眸の、色の深さに。 まるで、吸い寄せられる、ようで。 すん、と鼻が鳴る。 ああ。 喰いたい。 喰いたい。 「・・・・・・団子・・・・・・」
街道脇の木陰で、がつがつと団子を口に運ぶ男の様子を、は一切の表情が無い顔で見つめている。 若い男だ。と同じくらいか、少し年上かもしれない。眼を引くのは鮮やかな紅の色の具足で、まるで合戦上から抜け出てきたような出で立ちであるからには曲がりなりにも武人だろうと思うし、行き倒れていた様からも落ち武者であるようにはうかがえたが、しかしこのあたりで近頃戦があったというのは聞かない。いったいどこのだれなのだろう。 そして今にも死にそうな様相だったというのに、ずいぶんと鼻が利くのかが携えていた団子の臭いを嗅ぎ取って、とりあえずと差し出せばこのありさまだ。 ・・・・・・というか、どこまで食べる気なのだ。 今朝がた立ち寄った宿場で買ったものだ。の好物で、食べるのを楽しみにしていたのに。 見れば先ほどまでの生気の無さはどこへやら、頬をぱんぱんに膨らませてご満悦そうなその様に、は小さく息を吐く。 これだけ美味そうに食べてもらえるのなら、団子もきっと本望だろう。 「・・・・・・、んぐッ!」 男が唐突に声を詰まらせたので、は無言で水の入った竹筒を渡してやる。 喉に詰まった団子を飲み込んでぷはっと一息、さらに残りの団子に手を伸ばし、最後の一つを名残惜しそうに頬張る。 結局の手持ちを全て食べてしまってから、男はこちらに向いた。 「はー、まっこと美味な団子でござった、生き返り申した!」 そして、へ折り目正しく頭を下げた。 「某は真田源二郎幸村と申しまする!己の未熟さからこの場で倒れ早一昼夜、もはやこの生命はないものと覚悟を決めており申したが、貴殿にはまことかたじけなく、何と礼を言ってよいやらっ」 「・・・・・・はあ」 適当に相槌を打つと、幸村と名乗った男ががばりと顔を上げた。輝かんばかりの笑顔で、溌剌とした声で言う。 「よろしければ、名をお聞かせ願えませぬか!」 はゆっくりと瞬きをして、口を開いた。 「・・・・・・桃太郎だ」 「桃太郎殿!凛々しいお名前でござるな」 なぜだろうか、そのきらきらしい笑顔を見ていられなくなって、はすいと立ち上がった。 「・・・・・・わたしは先を急ぐ。では、これにて」 「待ってくだされ!見たところ旅装束とお見受け致すが、おなごのひとり旅は危のうござる!某を供に連れてはゆかぬか!?」 「!」 そのまま踵を返そうとしたは、追いすがるような幸村の言葉にかすかに表情を動かした。 確かには旅装束だ。小袖に袴、手甲と脚絆で身を固め、左の腰には一振りの刀を差している、――男の、旅装束だ。桃太郎の名乗りも男のものであるし、これまで初対面の相手に女だと看破されたことなどなかったのに。 顔から表情を落として、は言う。 「・・・・・・見ての通りわたしは武士だ」 そして、左手で刀の鯉口を切って抜刀、その刃は正確に、立ち上がった幸村の首を狙う。 途中木から落ちた葉を切り裂いて、その刃は幸村の首筋でぴたりと止まった。 真っ二つに分かれた葉が、ひらひらと地に落ちていく。 「――それに、ひととおりの武術の心得もある」 そう言って、は刃を引く。 ぱちりと鞘に納めて、幸村を見た。 幸村の穏やかな双眸をまっすぐと見つめてから、は視線を逸らす。 「心配は不要だ。では」 今度こそ踵を返しながら、考える。 幸村は背に二槍を負っている。の抜刀に対しそれを使うことなく、また避けることもしなかった。まるで動揺しない様子から、「できなかった」のではないと、は思う。避けるなり迎撃するなりの腕を持ちながら、あえて何もしなかったように見えた。 つまり、相当な、手練れだということだ。 ますますどうしてこのようなところで行き倒れていたのか気にかかるところではあったが、考えても詮無いことだ。この男がどこの誰だろうと、己には関係のないこと。 「お待ちくだされ!桃太郎殿っ!」 すでに歩き出したの隣に幸村が追いついてくる。 「そういうわけにも参りませぬ、何しろ桃太郎殿の大切な団子をいただいた御恩をお返ししなければ、」 「別に団子くらい、わたしは構わない」 「某が構いまする!ようござるか!団子には魂が宿ってござる!その熱き魂と己を響き合わせることこそ団子を食するときの作法なればッ!」 「・・・・・・貴方はさきほどいちいち魂を響き合わせていたというのか」 「無論にござる!それゆえこの大恩に報いなければ某、団子の魂にも報いえぬということ!」 いちいち声の大きな男だ。 なんだか面倒になってきて、は答えずに足を進める。 「して桃太郎殿は何処まで参られるのか?」 問われて、は足を止めた。 つられて立ち止まった幸村を見上げる。 「貴方は、鬼を知っているか」 幸村は、一瞬考えるようなそぶりを見せた。 「噂程度には・・・・・・、なんでも鋭い爪と大きな牙をもつとか」 「らしいな。わたしはそれを、殺しに行く」 「!」 わずかに眼を見はった幸村を見上げてから、は街道を歩きはじめた。 幸村はその背を見つめて、そして我に返ったように駆け出した。 「お待ちくだされ!某も参りまするぞ!!」 |
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