空になっていた膳を片付けて戻ってきた佐助が眼にしたのは、細い肩を肌蹴させたまま簀子縁に寝そべって、頬杖をついて夜空を見上げるの姿だった。
「・・・・・・ちょっと、なんて恰好してんの」
「なんだ、脱がせたのは貴方だろう」
「・・・・・・いやそうだけど、そうじゃなくて、そんなとこにいたら誰に見られるかわかったもんじゃないでしょ」
 そもそも佐助が「かぐや姫」になった原因は、こうして簀子縁にいたところを誰かに垣間見られたからだ。
 しかしは小さく笑う。
「今宵は出歩くような輩はいないさ。皆内裏に詰めているからな」
「そういう問題でもないでしょ」
 何かにつけてこの調子であるならば、やはり頭中将の苦労が忍ばれる。
 佐助は嘆息すると、部屋の中に散らばっていた着物を手に取り、の身体を抱き起すとその着物を肩にかける。
 そして腰を下ろすと、を膝の上に座らせて、背後から腕を回して抱きしめた。
「・・・・・・大丈夫、身体」
 が笑ったような気配。
「今更気遣うな」
「・・・・・・ごめん」
「謝るな。貴方を受け入れると言ったのはわたしだ」
 そう言われて、佐助は謝罪の言葉を飲み込む。
「・・・・・・ありがと」
「ん」
 こうしていると、の心の臓が動く音が、己の胸に響く。
 不思議な感覚だ。
「・・・・・・受け入れついでに、もひとつ聞いてくれる?」
「なんだ」
 の肩に顔を顔をつける。
 いい匂いがする。
「俺さ、この世の人間じゃないんだ」
「――だろうな」
「・・・・・・驚かないの」
「幸村が、貴方が三月でそこまで成長したと言っていた。そんな人間がいるものか」
 の声色は、どこまでも穏やかだ。
「貴方は妖の類か?」
「・・・・・・月人(つきびと)、だよ」
 そう言って、佐助は顔を上げる。天頂を過ぎた、明るく大きな月。
「あの月には、俺みたいな、ヒトの形をしたモノが、棲んでるんだ。俺はちょっと訳ありで、この世に落とされたんだけど、そろそろ戻らないといけない」
「・・・・・・そろそろ、とは?」
 の問いに、佐助はしばし、逡巡する。
「・・・・・・あの、月が、欠けて、また丸くなる頃、天から迎えが来ることになってる」
「・・・・・・そうか」
 の顔は、見えない。
「・・・・・・ほら、ヒドイ男でしょ。アンタを愛すると言ったこの口の、舌の根も渇かないうちに、アンタを置いて行くんだ」
 の、その細い身体抱きしめる腕に力が籠る。
 心の臓が痛い。
 いっそこのまま、この身体を抱き潰してしまえばいいのかと思う自分は、病に侵されているのかもしれない。
 身の内に棲む闇が、頭を擡(もた)げる。
 ここで殺せば、あなたは俺の物になるのか。
「ッ」
 頬を、撫でられる感触があって、佐助は我に返った。
 が腕を上げて、その細い手指が佐助の頬を撫でている。
「ひどかろうがなんだろうが貴方ならいいと言った、このわたしの言葉を、貴方は疑うか」
 そもそも他人の言葉を信じたことなど、この下界に落ちるまで佐助にはなかったことだ。
 それが、手を差し伸べてくれた幸村を信じ、帝を気遣う政宗を認め、
 ――そしてこのを、
「・・・・・・疑わないよ」
 その気持ちが伝わるように、労わるように、愛おしむように。
 優しく優しく、抱きしめた。





 それが、佐助との、最初で最後の逢瀬だった。
 それ以降、政務に追われた帝が、内裏から出ることはなく、
 そうして、その日はやってきた。





 その夜も、帝は昼御座(ひるおまし:執務室)で書簡に埋もれながら、絶えることなく筆を持つ手を動かしていた。
「――まだここにいたのか」
 声が聞こえて、顔を上げる。
「政宗」
 現れた頭中将の姿を見て、帝は口を開く。
「貴方こそもう帰ったものと」
「帰れるわけねぇだろ」
 政宗が吐き捨てるようにそう言って、帝と向かい合うように腰を下ろす。
「今日は満月だ、わかってンだろう」
「ああ、見事だな」
 何事もないように書簡に視線を落とす帝に、政宗は眉を跳ね上げる。
 そして筆を動かす右手を掴んで、噛みつくように言った。
「アンタはそれで、いいのか!」
「・・・・・・なんだ、貴方はわたしと佐助のことを反対していたのではないのか」
「そりゃあ今でも反対だあんな猿、だがアンタはあいつがいいんだろう!」
 風の音がして、障子がかたりと音をたてる。
 燭台の火が、じ、と音を立てて揺れた。
 政宗が「悪い」と一言言って帝の手を離して息を吐いた。
「なあ、今からでも遅くない。アンタが一言命じれば、俺は月人になんざひけをとらねぇ」
 今宵は、満月。
 「かぐや姫」――佐助に、月からの迎えが来ると言う夜だ。
「貴方の実力は知っている、だが月人は我らとは違う。徒に貴方や大事な兵力を使うわけにはいかない」
「・・・・・・
 名を呼ばれて、帝――は、顔を上げる。
「貴方がその名を呼ぶのは珍しいな」
「茶化すな」
 政宗は渋面を浮かべる。
「この都に、国に、縛り付けられたお前が、初めて想いあった相手だ。それを、またあきらめるっていうのか」
 政宗の言葉に、は筆を置くと、ゆっくりと瞬きをする。
 その口元に、わずかな笑み。
「あきらめるとは、心外だな。わたしは、どのような佐助をも受け入れると決めた、それだけのことだ」
「・・・・・・馬鹿、野郎」
 言葉とは裏腹に、優しい笑みを浮かべた政宗は、の頭を撫でる。
「志は立派だが、たかだか十六の小娘が強がってンじゃねぇよ」
 その穏やかな声色に、のその瞳がみるみるうちに潤んでいく。
 たとえ刹那の恋であろうと、想いを通じ合える相手に出会えた、それだけで幸せだと、頭では理解していたのに。
「・・・・・・ッ、ひ、ぅ」
 口から漏れたのは、嗚咽だった。
 その頬に涙が伝うのを見て、政宗は眉を下げてを抱き寄せる。
「ほら、誰かに見られる前に泣ききれよ」
 堰をきったように、は泣いた。
 それは、泣くことに慣れない彼女の、ひどく下手な慟哭だった。





 その夜、都中の人間が、それを眼にした。
 満月に向かって舞いゆく、見事な装飾の牛車と、それに具する絢爛豪華な衣装の女官の姿をした、月人たちの姿を。


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20120726 シロ@シロソラ