「政宗殿」 大内裏の回廊で声をかけられて振り向くと、そこには幸村の姿があった。 あれから数日。 幸村の顔を見るのも久しぶりのような気がする。 「どうした」 「今上に、これを。お渡しいただけぬか」 そう言って衣冠の懐から幸村が取り出したのは、小さな布包みだった。 差し出されたので受け取って、政宗は問う。 「what?」 「佐助が、最後に、今上にお渡ししたいと申したものです」 包みを開くと、中に入っているのは、 「・・・・・・粉?」 「月人に伝わる、不死の薬、と聞き申した。畏れ多くも、今上はまた・・・・・・、あまり食事を摂られておられないのではないかと、佐助も心配を」 「・・・・・・I see、俺から渡しておこう」 「――というわけだ」 今日も今日とて政務に追われていた帝は、差し出された布包みを一瞥し、書簡に眼を戻した。 「・・・・・・どうする、とりあえず毒見するか?」 「いや、いらぬ」 筆を動かす手を止めぬまま、政宗に答える。 「佐助がわたしに毒を盛るわけがなかろう」 「じゃあ飲むか」 「・・・・・・いや、」 筆の手を止めて、帝は顔を上げた。 どこか遠くを見るような眼で、口を開く。 「この世で、一番高い山は、どこだろうか」 「・・・・・・駿河の国の山じゃねぇのか」 問いの意図をわかりかねて、政宗はいぶかしげにそう答えた。 帝はそうか、と短く言う。 そして、ゆっくりと、政宗に視線を向けた。 「ひどい男だと知ってはいたが、会うことも叶わないのに死ぬなとはずいぶんと勝手ではないか」 だから、と帝は続ける。 「その薬は、駿河の山の頂で燃やしてほしい。煙が月まで届けば、わたしの想いもあの男に届くかもしれぬ」 口の端を上げて、帝――は、そう言った。 「馬鹿にするな、とな」 頭中将はその勅命どおり、駿河の山の頂で、不死の薬に火を点けた。 その煙は、いつまでも天に昇っていったという。 民たちは、頭中将がたくさんの兵を連れて山に登るのを見て、その山を士(つわもの)に富む、「富士の山」と呼ぶようになった。 月日はめぐる。 葉月の十五日、今宵は観月の宴が催されている。 内裏の一角、遠くに聞こえる喧噪に耳を傾けながら、早々に宴を抜け出してきたは簀子縁に広げていた書簡から顔を上げ、夜空を見上げた。 天の頂に坐する、大きな満月。 「・・・・・・あの男が去って一年、か」 この都に、大きな変化はない。 公達は歌に恋に遊びに明け暮れ、宮中ではそこそこの仕事をこなす。 一世を風靡したかぐや姫の存在など、もう覚えている者もいまい。 「このわたしを、除いては」 以前の自分であれば女々しいことだと思ったものだが、いざ自分がその立場となると、想いはそうそう忘れられるものではないのだと知った。 常日頃から恋について説いていると政宗が嫌そうに言っていた前田家の風来坊とも、今なら話が合うのかもしれない。 なあ、貴方はどう思う。 このわたしに、恋焦がれたりしてくれているのか。 「なあ、佐助」 「なぁに」 真横から返事が聞こえて、は書簡を取り落としそうになった。 ゆっくりと視線を動かす。 そこに、にこにこと笑っている、この一年忘れることのなかった、顔。 「・・・・・・いかん、そろそろ食わねば、幻が見えだした」 「・・・・・・ちょっと、また食べてないの」 幻がそう口をきいて、の身体を抱きしめる。 「うわ、また痩せてる。もー勘弁してよ」 「・・・・・・さ、すけ?」 この、身体に感じる暖かさは、幻か。 それとも、現(うつつ)か。 確かめることが怖い、そう思いながら、恐る恐るその名を口にする。 幻が、身体を離して、の顔を覗き込む。 「ん?」 「佐助、なのか」 「うん俺様」 そう言って、にこりと笑って頷く、それはまごうことなき佐助の姿。 「・・・・・・ッ」 は言葉を失う。 佐助が再び、の身体を抱き寄せる。 「もーほんと、居ても立ってもいられなかったよ、せっかくの薬だって燃やしちゃうしさぁ」 「・・・・・・煙は、届いたか」 「うんもうそれは、ひしひしと」 少しげんなりしたような、佐助の言葉がおかしくて、は小さく笑う。 「そうか」 の様子に、佐助は呆れたように眉を下げた。 「アンタのことが片時も頭から離れなくて、無理言って降りてきちゃった。――責任、取ってよね?」 佐助の問いに、は身体を離して、その眼をまっすぐと見つめる。 「佐助」 「ん?」 「すきだ」 「あのね」 「なんだ」 「そういうことは、俺に言わせなさい」 佐助は、の深い色の瞳を、まっすぐと見つめる。 「愛してる、。これから先も、ずっと」 いつしか、それは宮中で、まことしやかに囁かれるようになった。 曰く、今上の帝には、狐が憑いている。 その狐は常に帝を守っていて、その命を狙おうとした者は、呪いにより総じて悲惨な死を遂げる、と。 「・・・・・・だから、やりすぎるなと言っているだろう」 「なんでよ、アンタの命を狙ったんだから末代まで祟られたって文句はないだろ」 「生け捕りにして法で裁かねば、法が意味を成さぬだろうが」 「・・・・・・アンタがそう言うなら、気を付けるよ、一応ね。――ね、、してもいい?」 「・・・・・・まったく、仕方がないな、貴方は」 「そんな俺様がすきですきで仕方がないんでしょ」 「ああ、そうだ」 ――そうして今日も、都の泰平は保たれている。 (終わり) 20120726 シロ@シロソラ |