第十一章 第三話 |
翌日、朝餉の膳が下げられたのとほぼ同時、の元に数人の侍女を引き連れた五助が現れた。 「着物を、お持ちしました」 前置きもなくそう言って、五助は侍女たちに目配せをする。が答える間もなく、色とりどりの着物が衝立に掛けられ、室内を華やかに彩った。 「・・・・・・、その、着物とは、わたしが着るものなのだろうか」 がようやくそう言うと、侍女たちの動きを見つめていた五助がこちらへ視線を動かす。 「昨日申し上げましたとおり、姫君の着物が仕立てあがるまでこちらをお召しいただきます。どれも古着ではありますが、あまり長く着られたものではございませぬので何とぞご容赦賜りますよう」 許しをこう言葉の割に、その口調は昨日と同様有無を言わせぬものがあった。としても、装いにそれほど関心が無かったので、古着であること自体には何の懸念も抱いていなかったが、ひとつ気がかりがあって口を開いた。 「つまりどなたかがわたしに着物を貸してくださっているということなのだろうか。そうであるならばこのようにたくさんお借りするわけには参りませぬ」 「いいえ、これらの元の持ち主はここには居りませんので、心配はご無用です。――では、よろしく頼む」 昨日と同様、それが当然かのように澱みなく答えた五助は、最後に侍女たちにそう声をかけ、侍女たちが平伏するのを見てから出て行った。 打掛や小袖だけではなく、肌小袖や帯、その他もろもろの小物など、およそ女性の装束に必要なものすべてが室内に広げられている。 「それでは、姫様」 「姫様」が自分のことだと気付いて、は瞬きをする。 侍女たちの様子を見るに、とにかくここで着替えなければならないようだった。武家の跡目として育ったにとって、侍女に着替えを手伝ってもらうこと自体はあまり珍しいことではない。一応は女であることを隠していたから、男物の装束であれば一式自分で着ることができるが、それでも小田原にいたころは身の回りの世話をしてくれていたはなが着替えも手伝ってくれていたのだ。 ましてや女性の装束など、元服してからは着たことが無い。当然着方もわからないから、侍女たちに着せてもらうしか方法は無い。 「・・・・・・よろしく、頼む」 観念してそう言うと、侍女たちは困った表情でちらちらと視線を動かした。 「・・・・・・ああ、そうか」 侍女の視線の先にいたのは、目の前に広がる着物を物珍しそうに眺めていた鎌之助だった。 ああ、とは合点がいって、鎌之助の背に声をかける。 「鎌之助、あなたも少し外してくれるか」 声をかけられた鎌之助はこちらを振り向いて小首を傾げた。 「は?さんの側を離れるわけにはいかないっすよ」 「いやその、今から着替えるから」 の言葉に鎌之助が考えるようなそぶりを見せ、 「・・・・・・、っあ、そっか、すんません!失礼します!!」 我に返ってがばりと頭を下げると、飛ぶように外へと走り出て行った。 忍びと言えば佐助や甚八、そして風魔小太郎を思い浮かべるには、どたばたと駆けていく鎌之助はどうにも賑やかだ。同じ忍びでも、こうも違いがあるものなのかと思いながらその背姿を見送って、そして二人のやり取りをどこか不安気に見守っていた侍女たちに視線を戻す。 「騒がしくして、すまなかった」 そう言って、は立ち上がると自分の格好を見下ろす。 「聞き及んでおられるかもしれぬが、わたしはこのとおり男子の格好しかしてこなかったゆえ、こういった着物の着方がわからぬ。面倒をかけて申し訳ない」 「い、いいえ、とんでもないことでございます」 「あの、それでは失礼いたします」 平伏していた侍女たちが、ちらちらと互いに目をあわせるようにしながら、恐る恐る近づいてきた。 は表情のない顔で、彼女たちを見つめる。 このひとたちは、怖がっている、ように見える。 何が恐ろしいのか。 自分だろうか。 だがの存在は数日前までこの大坂城の人々の知るところではなかったのだし、この侍女たちも今日、今はじめて顔を合わせたところなのだ。何をしたというわけでもないのに、彼女たちは何をおびえているのだろう。 着ていた羽織や小袖、袴を順に脱がされていく。そういえばもう秋も深いのかと、ふいに感じた肌寒さで思い出した。 ――元々着ていたものがすべて男物であるので、着替えるためには肌小袖も含めすべてを一度脱がなければならないということを、実のところはよく理解していなかったのだ。 だから、対応が遅れた。 「・・・・・・ヒっ」 「きゃぁ!」 肌小袖を脱がせていた侍女が短く悲鳴を上げ、先に脱いでいた半小袖を受け取った侍女がそれを取り落として眼を覆った。 「え、」 が彼女たちの反応に驚く間もなく、悲鳴は侍女たちを伝わっていく。 顔色を悪くした侍女たち、なかには震えている者もいる、彼女たちを見渡してから自分の身体を見下ろして、ようやくは理解した。 「・・・・・・あ、」 露わになっているのは肉を削いだような、およそ女性的とはいえない体つき。その骨ばった肩や腕、背や腹に残る、たくさんの傷跡。 線のように走っているものだけだったなら、まだよかったのだろう。しかし戦場で負った傷は、即座に対処できないために往々にしてひどい痕となる。醜く盛り上がった裂傷の痕や、削れたような銃創、針と糸で縫い合わせたところなどはその縫い目も痕として生々しく残っている。 これは確かに、戦いを知らぬおなごの眼にはおそろしいものなのだろう。 迂闊だった。全て脱ぐ前にうまく誤魔化して、見られないで済む方法はあっただろうに。 「・・・・・・その、すまない」 のどの奥が乾いて、引っかかったような声が出た。 「一度で覚えるから、今日だけは、着方を教えていただけるだろうか・・・・・・」 その言葉に、侍女たちは互いに顔を見合わせながら、おずおずと作業を再開する。 時折腕を上げるよう言われる指示に従いながら、は眉根を寄せて、鼻からそうっと息を漏らした。 他に行く宛もなかったので、鎌之助は二の丸の屋根瓦の上に腰を下ろしていた。 穏やかな秋晴れの空、心地よい風が頬を撫でていく。 「あー・・・・・・、いい日和だっ、てのに」 陽の光で暖かくなった屋根瓦に胡坐をかいた鎌之助は、自分の膝に肘をたてて頬杖をつく。 そして、眼を閉じる。 はたはたと、着慣れない袴の裾が風に揺れる音が聞こえる。 そして。 ひくり、と耳がわずかに動く。 ――ひそひそ、ひそひそ。 それはどこか、葉擦れの音に似ている。 忍びの技には、密談のために声を葉擦れに似せるものがあるが、それにも似ているかもしれない。 鎌之助の耳に届くのは、無数のひとの声だ。 疑心、恐怖、それらはひとのこころには付き物であるとはいえ。 「・・・・・・これはまた、とんでもないとこに来ちゃったっすねぇ・・・・・・」 瞼を持ち上げて、溜息を吐く。 「やっぱ俺には荷が重いんじゃないすかねぇ、長ぁ・・・・・・」 少々情けないその声は、秋の空へと溶けて消えていく。 着替えを終えて、侍女たちが退室して行った後、は回廊に面した濡縁に出て、所在無げに腰を下ろしていた。 用意された中からあれこれと合わせられて、結局が着ることになったのは、落ち着いた色合いの、竜胆の柄の小袖。結い上げていた髪は流して、邪魔にならぬように背の後ろで一つに結わえてある。 あの後、侍女たちの指示に従うだけで、は口を開かなかった。侍女たちの恐怖は払しょくできていないだろう。口数も少なかった。ただ五助の命令に従って、責務を全うしたのだろうと、は理解している。 それにしても、彼女たちはどうして、あんなにも自分を恐れていたのだろう。 戦とは縁遠いおなごたちにとって、確かに生々しい傷の痕というものは醜いし恐ろしいもののはずだ。だが、彼女たちの恐怖は、そのことだけに起因するものだろうか。 思い返せば、侍女たちは初めから、を恐れていたようにも感じる。 彼女たちは、のことを知らなかったはずだ。なのに、何故。 「――さん!わあ、似合うじゃないすか!」 戻ってきた鎌之助の声が聞こえて、はそちらを見上げてわずかに眉を下げた。 「おかしくはないか?このようなものは初めて着るから」 の問いに、鎌之助は満面の笑みで答える。どこか獣めいた身のこなしと相まって、何やら犬のようにも見えた。そういうところは少し、幸村にも似ているのかもしれない。 「ぜんぜん、おかしくなんかないっす!はー、そうして見ると本当におんなのこなんすねぇ」 「・・・・・・」 しみじみとした鎌之助の言葉に、は坐したまま自分の恰好を見下ろす。 女、に見えるのだろうか。 固まっているのだろう顔の筋肉はうまく動かず、傷だらけの身体はどこにも女らしい丸みなどなく、ただひとを怖がらせてしまうだけで。 男として生きてきた、そのことが間違っていたとは思っていない。 けれど、―― ――回廊の向こう側、掃除の途中なのだろうか、三人の女中の姿がある。距離があるが、時折こちらを伺うように見て、そして口元を隠しながら何か話しているようだ。 風を使えば、何を話しているか把握できるかもしれない距離だったが、何故だかそれは憚られた。 聞かないほうがいい、そう感じる。 「・・・・・・どうか、しました?」 気遣わしげな声が聞こえて、は我に返った。 「ああ、すまない、慣れないものを着ているからだろう、呆けてしまった」 「何謝ってんすかもう」 そう言ってすぐ隣にしゃがみ込んだ鎌之助は、の顔を覗きこんで、に、と笑って見せ、そして立ち上がった。 「きっと腹減ってんすよ、お茶頼んできます、何かお菓子ももらってきますから」 軽い足取りで回廊を歩いて行く鎌之助の背に、は彼からは見えないことを承知の上で頭を下げた。 「・・・・・・ありがとう、鎌之助」 |
20130316 シロ@シロソラ |
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