第十一章 第二話 |
甲斐へと戻る幸村たちを見送った後、が案内されたのは大坂城二の丸の一室だった。同盟のための会見の折りに訪れた本丸御殿と違って、こちらは華美な装飾はあまり見られない。それでも室内は上等な畳張りであるし、注意深く見れば欄間に精緻な文様が彫られている。絢爛な大坂城の中にいるのだと実感させられる内装だった。 躑躅ヶ崎館や上田城の自室の殺風景だった様子と見比べて、はふむとひとつ頷く。物が無くともどことなく風情を感じさせるのは、この城の作りそのものによるものなのだろう。 城内に多く植えられた桜の木と言い、圧倒的な力で日ノ本を席巻せんとした豊臣秀吉は、その軍略からは想像が付きにくいことだが、物事に関する風情を愛でる心があったのだろうかとは考える。 そういえば、彼の太閤の側には戦国一と名高い軍師がいたはずだ。徳川家康の謀反で討たれたと聞いているが、こうした城内の風情はその軍師の趣向なのかもしれない。 そこまで考えたところで、はすいと視線を動かした。 の傍らには、所在なげな様子で座している若い男がいる。よりもいくらか年上と聞いていたが、きょろきょろと室内を見回す様子はまるで少年のようだ。 「・・・・・・鎌之助殿」 呼ぶと、悪戯を見咎められた子供のように、男がぎくりと肩をこわばらせた。 「っ、は、はいっ」 応えながらびしりと背筋を伸ばしたので、は小さく眉を下げる。 「慣れぬことを任されてお困りなのだろうが、そのように畏まることは無い。わたしと貴方は幸村殿に仕える者として同じ立場だと心得ている」 彼は名を、由利鎌之助という。佐助の部下である、真田忍びの一人だ。 「そういえば、貴方とはこれまでこうして話をする機会もなかったのだな。どうぞよろしく頼む」 そう言ってが頭を下げると、鎌之助は慌てふためいた様子で両手をぶんぶんと顔の前で振った。 「ぅあ、ちょ、顔上げてくださいっす!すんません、本当は甚八さんの方がいいんでしょうけど、今回はどうしてもってことで」 「事情は聞いている」 顔を上げたはそう言って頷いた。 幸村の元で過ごすようになって以来、の側仕えは真田忍びの根津甚八が任されていた。は幸村の家臣という立場であるのでそのようなものは不要だと当時も言ったのだが、慣れない土地で困ることもあろうからと幸村に押し切られたのだ。その後薩摩への道中も継続して甚八が側にいてくれていた。 今回、が大坂に残るにあたって、またも幸村と佐助はに側仕えを付けた。今度も不要だとは言ったが、「それでは俺が心配のあまり倒れそうだ」と幸村に脅されて(本当に彼はずるいとは思う)前回同様押し切られてしまったのだった。 ただ、今回ばかりは甚八では都合が悪かったのだ。というのも甚八は先の大坂城潜伏の一戦に参加していて、この大坂城の忍びの中には彼の顔を知るものがあるかもしれない。石田三成は先の一件を徳川の忍びによるものと考えているし、無用な厄介ごとを避けるためにあの時の潜伏には加わっていなかった鎌之助が選ばれたのだ。 は鎌之助とは何度か顔を合わせていたが、いつも他に忍びたちがいる中でのことだったので、こうやって面と向かって会話をするのはこれが初めてだった。 「それに佐助が指名したのだから、貴方が甚八に劣るようなことは何もないのだろう。どうか気を楽にしてほしい、鎌之助殿」 「あの、ていうか、呼び捨てでいっすよ!」 「そうか?だが今回貴方は忍びとして動くわけではないし」 「そうすけど、そうじゃなくて!どっちにしろ従者ってことになってんすから様が殿づけしちゃぁ変でしょ?」 そう、今回鎌之助は、忍びという立場では大坂方に侮られるかもしれないという理由から、「真田忍隊の忍び」ではなく「真田幸村の家臣」としてここにいる。身に纏っているのもいつもの忍び装束ではなくこざっぱりとした着物に袴、収まり悪く伸びていた髪もきちんと結わえていて、の眼からも立派な武士に見えた。 鎌之助がいつも以上にそわそわと落ち着きがないのは、この格好に慣れないということも理由の一つなのだろう。 「・・・・・・ならば鎌之助と呼ぶが、代わりにわたしに様をつけるのもやめてくれないか?先ほども言ったとおり、本来わたしと貴方の立場は同じなのだ」 「そういうわけにはいかないっすよー!だってあんた、じゃねぇや様は幸村様の女で、」 言ってしまってから鎌之助は自分の口を押さえる。 「いやその女っていうか、えーと、」 その様子に、は口元を緩めた。 「要するに貴方は畏まった言葉はあまり得手ではないのだろう?無理をすることはない、わたしのことも普段ひとを呼ぶときと同じで構わない」 「・・・・・・じゃぁ、えっと、さん」 「さんか」 「だ、だめっすか!?」 「いや、初めて呼ばれたから。おもしろいな、ではそのように呼んでくれ」 がどこか満足げにそう言うと、鎌之助はため息を吐いて項垂れた。 「・・・・・・後で長に殺されるかもしんないっす」 「なに、佐助が何か言うようであれば、わたしがそう呼ぶように命令したと言ってくれ。そもそもこの程度のことで佐助が貴方に罰を与えるとは思えないが」 小首を傾げるほたるからは見えない角度で、鎌之助はこっそりと呟いた。 「・・・・・・さんは長の執着心を知らないんすよ・・・・・・」 「何か言ったか?」 「いーえ何も、つうか、いったいいつまで待たせるんすかね!さんを何だと思ってんだ、俺誰かいないか見てくるっす」 まくしたてるように言って立ち上がった鎌之助を、は右手を持ち上げて制する。 「ああ、構わない。ここで待つようにとの指示だったろう」 「でも――」 まさに襖に手をかけていた鎌之助が納得行かないとばかりにこちらを向いたそのとき、その襖が音も立てずに開いた。 「ぅわ!」 驚いた鎌之助がどこか動物的な挙動で飛び退く。その着地点が襖との間だったのを見て、彼もまたまごうことなく忍びなのだとは悟った。鎌之助の位置は、ちょうど襖の向こうからを守るための陣取りであったからだ。 襖の先に姿を現したのは、ひとりの男だった。がっしりとした体躯、健康的に日焼けした肌。腰の刀がたとえなかったとしても、見るからに武人と知れた。 「なんだよお前、入ってくる前に声くらいかけろよ」 「鎌之助、」 噛みつくような言い方の鎌之助をたしなめるようには声をかけた。 「だけどよ、」 「いいから」 二人のやりとりを無言で見下ろした男は、いかめしい表情を一寸たりとも変えぬまま、の向かいに腰をおろした。鎌之助が何か言いたそうにしながらもとりあえずはの脇に控えたのを見て、男は慇懃に礼をする。 「刑部少輔・大谷吉継が家臣、湯浅五助と申しまする」 武家の作法に則った、無駄のない動きの礼だった。隙のない気配だと、は気づく。この男はおそらく、相当の手練れだ。 「真田幸村が家臣、と、申しまする。こちらは同じく、由利鎌之助でござりまする」 相手の名乗りに応えては頭を下げる。それに倣って、鎌之助があわてて頭を下げた。 と、その傍らの鎌之助を一瞥して、湯浅五助と名乗った男は口を開く。 「――そちらの従者はともかく、貴方に関しては今後、その名乗りは改めてもらいましょう」 「!」 と鎌之助が、弾かれたように同時に頭を上げた。 かち合ったのは、感情の読めない鋭い視線。 「武田家との同盟が成ったその時から、貴方はもう真田殿の家臣などではなく大谷吉継の娘だ。以後認識を改められますよう」 「な、何言ってんだお前!」 「鎌之助」 腰を浮かせかけた鎌之助を、は手で制する。 「湯浅殿のおっしゃるとおりだ。以後、気をつけまする」 「それから。その男のような立ち居振る舞いも改めてもらいましょう」 「ッ」 がわずかに、目を見開いた。 五助は意に介した様子もなく続ける。 「着物もそのような男物はお召しになられますな」 あくまで淡々と、しかし意見も質問も許さぬというような固い声色だった。 「大谷家の姫として、ふさわしいようになさいませ」 五助が言い終わるやいなや、かちりと、鎌之助が歯を鳴らした。 「黙って聞いてりゃてめぇ!」 「鎌之助!」 は五助から視線を逸らさぬまま鋭く言い放つ。 己の名を呼ぶ一言での言いたいことを察した鎌之助は、眉間に深い皺を寄せながらも黙って腰を下ろした。 ふたりの様子を、やはり一寸たりとも変えない表情で見つめて、五助は言う。 「心構えはそれで結構です。貴方たちの言動は、同盟に関わりますので」 鎌之助がまた何か言いたそうな気配を滲ませたが、今度は何も言わなかった。 は静かな瞳で、五助を見つめる。 「仰ることはよくわかりました。・・・・・・その、着物については、男物しか持っていないので、」 「ならば仕立てましょう。それまでの間の着物も用意いたしますゆえ」 一切の躊躇もなく返ってきた返答に、は一瞬言葉に詰まった。 そして、悟る。この男にとっては、が女性の格好をして女性の立ち居振る舞いをすることが至極当然のことなのだ。 「・・・・・・お気遣い、傷み入る」 「いいえ。その他何かございましたらこの五助まで申しつけくださいませ。姫君の身の回りの世話を仰せつかっておりますので」 姫君、という響きに、ひくりとは眉を動かした。そのことには意を介さない様子で、五助は澱みない口調で二の丸のこの一角は大谷吉継にあてがわれている棟であること、今ほたる達がいるこの室が今後のの居室となることを手短に説明した。 「某のことは五助とお呼ください。ああ、それから」 説明の最後に、五助はそれまでの双眸に当てていた視線をついと動かした。 視線の先には、が脇に置いたままの刀がある。 「着物が揃えば言うまでもないことではございますが、帯刀は控えられなさいませ」 その言葉に、鎌之助が眉を跳ね上げた。 「それは、この城にはさんに対する危険はないっていうことでいいんすよね!?」 なんとか腰は落ち着けたままであったが、噛みつかんばかりの声色だ。しかし五助は表情を変えない。 「――君は護衛だろう。自分の責務を全うすることです」 「んな・・・・・・ッ」 顔を真っ赤にした鎌之助が、しかし言葉が見つからなかったらしく口を噤んだのを見てから、五助はへ、初めと同じく慇懃に頭を下げた。 「それでは失礼いたしまする。某か、他の者が傍に居りますので、何なりとお申し付けくださいませ」 言い終えて五助が立ち上がり、襖の向こうにその背姿が消えるまで、は完全に表情を落とした顔で、それを見つめ続けた。 「なんすかあいつ!何なんすか!!すっげえ嫌な奴じゃないすか!!」 五助の姿が消えてから、我に返ったのか鎌之助はそう言って歯ぎしりをした。 はゆっくりと瞬きをして、鎌之助へ顔を向ける。そこに宿るのはわずかに眉を下げた苦笑だ。 「だが鎌之助、五助殿の仰ったことはどれも理にかなっている」 「理ってなんすか、さんが女らしくしてろってことすか!?んなもんはさんが決めることだし、第一幸村様はそんなこと別に望んでなんかないすよ!」 言いきってしまってから、鎌之助はばつの悪そうな顔で声の調子を落とした。 「って、んなことさんに言ってもしょうがないっすよね、すんません」 叱られた子どものような様子に、は「いいのだ」と言って笑う。 「元々は佐助にも言われていたのだ。幸村殿の妻たる者としてふさわしいようにと。大谷殿の娘としてふさわしくとは、それと同じことだろう」 言いながら、は五助が消えて行った襖に視線を戻す。 顔から笑みを消して、その双眸はひたりと前を見据える。 何かが変わるわけではない。 自分の心の在りようは、何も変わらない。 「の名を捨てて、幸村殿と生きようと決めた。女として生きる覚悟は、そのときにもう決めていたのだから」 |
20130212 シロ@シロソラ |
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