晩秋の奥州岩出山城では、緋や橙の色に染まった木々の葉が風に舞うようにはらはらと散り始めている。 北国の短い秋を満喫すべく、文机を陽当たりの良い濡縁まで持ち出して書簡に眼を通していた城主・伊達政宗は、腹心である片倉小十郎のその報告に眉をひそめた。 「・・・・・・真田幸村が、石田と同盟?」 「『武田』が、石田と同盟を結んだとの由」 姿勢を正して控えた小十郎が言い直すのを、政宗は面白くなさそうに見る。 「同じじゃねぇか」 吐き出すようにそう言いながら、政宗は手にしていた書簡を放るように置いて肩をまわした。凝っていた肩が良い音をたてる。 小田原での敗戦からおよそ二月。一時は死線を彷徨った政宗の身体は六爪を振るうにも何ら支障がないほどまでに快癒した。豊臣全盛期に陥れられた戦や、羽州の最上、常州の佐竹ら周辺国の台頭により疲弊した国も、今年は気候に恵まれて作物が良く実ったこともあってか、なんとか持ち直しつつある。 もうしばらくすれば、長く厳しい冬がやってくる。 深い雪に閉ざされれば、春が来るまで身動きは取れない。 「・・・・・・その前に動くか」 ぽつりと政宗が呟いた言葉に、小十郎は眉を動かす。 「と、申されますと」 「皆を集めろ。信濃に出向く」 政宗の短い言葉ですべてを理解して、小十郎は「は」と頭を下げると立ち上がる。 その広い背を見送りながら、政宗は傍らに置いていた煙草盆から煙管を持ち上げた。ゆっくりと吸って、薄く開いた口から細く煙を吐き出す。 「・・・・・ま、面白くはねェなァ・・・・・・」 風が吹いて、煙管の雁首から薄く上る煙とともに、その呟きを溶かしていった。 |
第十一章 第一話 |
武田軍と石田軍の同盟が正式に成立して数日後、真田幸村率いる武田家の特使一行は大坂城を出立し、甲斐への帰路についた。 遠ざかりゆく一団の、その揃いの外套の背に刺繍された武田菱を、大谷吉継は大坂城二の丸の自室から目を細めて眺めている。 徳川打倒に向け、ひとまずは良い手駒が手に入ったとみていいだろう。 武田家の家督相続は、先代の隠居によるものとされているが、その実、甲斐の虎はすでにこの世にないということを吉継は把握している。彼の虎を欠いた武田など、取るに足らぬ存在であると考えてはいたが、あの瀬戸内での毛利との密談中に現れた忍びに少しばかりの興味を持ったのは正解だった。あの性根の歪んだ忍びが主と定める「真田幸村」は吉継の予想通り、真面目で実直で、――たいそう使いやすそうな男である。 まずは、武田家に関東での勢力を取り戻させること。必要があれば援軍などの都合もつけよう。それだけの価値はあると吉継は考えている。甲斐は関東の要、力さえ戻れば武田は東の国々に対する、大坂の盾となる。 それに、―― 「――ねェ」 唐突に、すぐ傍らから声がかかった。 執務中は基本的に誰も入れない室である。小姓すら置いていないから、今ここには吉継しかいないはずであった。 だが、吉継はゆっくりと輿を動かしてそちらを見ると、包帯から唯一露出している双眸を、笑みの形に歪める。 「ぬしも心配性よの」 「念のため、一応、警告に来てやったよ」 吉継の言葉を無視してそう言い、およそ温度の感じられない視線を投げかけてきたのは、暗緑色の装束を纏った忍び。 今回の同盟の繋ぎ役となった、真田幸村お抱えの忍びだ。そういえば名を聞いていない。そもそも呼ぶことさえできれば問題がないから、忍びに名などあって無いようなものだ。「それ」呼ばわりでも事足りる。 この大坂城には豊臣時代に整備された忍びが随所に潜んでいるから、そうそうなことでは侵入者を許すことはないのだが、相手がこの忍びならここまでの侵入が可能であっても不思議は無い。吉継は「猿(ましら)」と呼んでいるこの忍びを、その程度には評価している。 「わかってるとは思うけど、あの子はうちの大将の、正真正銘の許嫁だ。下手なことをしたら、」 猿が、口角をにいと上げる。冷たい双眸は一切笑っておらず、それは薄気味の悪い笑顔だ。 「――アンタでも凶王でもさくっと殺すからね」 「ヒヒ、」 猿の物騒な物言いに、吉継は肩を揺らして笑う。 「ぬしも、言葉運びに気をつけるがよかろ」 この猿は、まこと愉快な忍びだ。 己を「猿」と必死に取り繕いながら、しかしそうやって取り繕っている時点で吉継から見れば立派に「ヒト」である。そのことに自分で気がついていない、愚かな若者だ。 その証拠に。 「ぬしの、『大切なモノ』はわれの手中にあるのだぞ」 生かすも殺すもこちらの自由だと、言外に含めて言ってやれば、それだけで忍びの気配は揺らぐ。 「『真田幸村の大切なもの』だっつってんだけど」 その物言いが、ずいぶんとかわいらしいものではないか。 「ぬしの言葉尻を、武田の翻意と取ってもよいのだぞ?それを聞けば三成は怒り狂うであろ、あれの本気の怒りはわれでも止めることはできぬ。うっかり人質を殺してしまうやもしれぬなァ」 笑み混じりの声でそう言うと、猿が半眼でこちらを見た。 「はぁ、万一そういう展開になったとしても、その場合凶王サンが狙うのはうちの大将であって、あの子ではないでしょうよ」 「ほう?」 「あのヒトそういう逆恨みはしないんじゃないの?そもそも凶王サンにとっちゃあの子はアンタの養子であって人質なんかじゃァないんだろうし。あのひとそーいうヒトでしょ」 冷めた声色に、吉継は一度、ゆっくりと瞬く。 「・・・・・・ヒヒ。やはりぬしはオモシロイ。あの娘に忍びを付けるくらいならぬしが大坂に残ってはどうだ?」 上機嫌な吉継の言葉に、忍びは息を吐いた。 「そうしたいのは山々なんだけどね、武田(うち)人手不足でさァ」 「それは残念なことよ」 目元に笑みを張り付けたまま、吉継はわざとらしく肩をすくめて見せた。 「まぁ、安心しやれ。ぬしの警告を聞くまでもなく、あの娘は大切な人質よ、そうそう悪いようにはせぬ。・・・・・・武田の若大将が、三成の盟友であるうちは、な」 「あれだけの犠牲を出してこっちの札を見切ってから同盟に条件なんか付けてきたくせによく言うよ」 「そう言うな、われとて三成があのようなことを言いだすとは予想外であったのよ」 「どうだか」 こちらの言葉は信用していないのだろう、猿がじとりと吉継を見据える。 「・・・・・・ねェ、ひとつ聞くけど」 いつの間にかその顔からは笑みが消えていた。ただの人形(ひとがた)のような眼が、こちらを捉えている。 「・・・・・・アンタの目的って、いったい何なの?」 「われの目的など、決まりきったこと」 その問い自体が心外だとでも言うように、吉継は笑った。 「すべて義のため、三成のためよ」 「・・・・・・」 ヒヒと笑えば、猿はそれを嫌そうに見て、そしてその身体が闇と滲んで消え失せる。 どうやら、先日もしてやられた分身術であったようだ。 忍びの気配が完全に無くなったことを確認して、吉継は格子窓の外へと視線を動かす。すでに武田の一団の姿は見えなくなっている。 「・・・・・・『』、か」 己の娘という名目の人質の名を声に乗せて、吉継は包帯の下で笑む。 猿に答えたことは嘘ではない。 悪いようにするつもりは、無い。 ものは使いようだ。あの娘もまた、 「・・・・・・使い勝手は、よさそうよ」 引きつれたその笑い声は、すこぶる上機嫌であったが、それを聞く者はいなかった。 隊列の先頭を行く幸村が、馬の歩みは止めぬままふいと背後を振り返るそぶりを見せたのを、脇の木々の間を駆ける佐助の眼は目ざとく捉えた。 すでに城下町を抜け、田畑の間を進んでいるとはいえ、振り返ればまだ大坂城の天守閣が目に入る。あれだけ巨大な城だ、大坂中から眼にすることが叶うのではないかとすら思われた。 一つ息を吐いて、佐助は木の枝を蹴る。 「・・・・・・そんなに気になるならやっぱり同盟やめとく?」 馬で進む幸村の傍らに飛び降りて声をかけると、佐助に気づいた幸村がこちらを見下ろした。 「いや、これでよいのだ」 躊躇無く返ってきた声は平静を保っている。 その言葉通り、頭では納得しているのだろう。この同盟は武田にとって有益だ。――ひとりの身柄を、天秤にかけても。 そう考えながらも、佐助はへらりと笑ってみせる。 「ちゃんなら大丈夫。大谷吉継は同盟のなんたるかを知ってる男だ、武田が石田と同盟関係にあるうちは、ちゃんには手出しをしない」 今し方分身を使って本人に警告してきたことはおくびにも出さず、佐助はそう言った。 幸村は視線を前方へ戻しながら、佐助の言葉を反芻するように口を開く。 「大谷殿は、・・・・・・不思議なお方であったな」 不思議だなんて、ずいぶんとお優しい言葉で表したものだと佐助は思う。 「どっちかっていうと不気味、だと思うけど」 「底知れぬものは感じたな。だがそうそう悪いものには思えなかったが」 幸村の言葉に裏はない。佐助はそれを聞いて、ひょいと眉を持ち上げた。 大坂に滞在したのはわずか五日にも満たない、その間であの異形の何もわかったものではない。 つまり幸村の言葉は、この主人が持つ物事を嗅ぎ取るどこか獣じみた勘によるものだ。この勘がたいそうよく当たることは、他でもない佐助が一番良く知っている。 だけど大将、今回ばかりはその勘は外れでしょうよ。佐助は一切表情を変えずに考える。 「アレ」が「悪いもの」以外の何なのかと聞きたい気分ではあったが、喉元まで出かかったそれを飲み込んだ。今更大谷吉継の人物像など論議してみたところで何も変わりはしない。 「・・・・・・大将がそう言うんなら、そうかもね」 とりあえずはそう答えて、そして話題を変えた。 「っあー、そうは言ってもやっぱ、心配は心配だー」 いつもの間延びした声を聞いて、幸村は苦笑する。 「まだ言っておるのか。ならば甚八なり才蔵なり他の者をに付ければよかったのではないか」 をひとり大坂に残すわけにはいかず、忍隊からひとり、彼女の護衛をつけている。人選をしたのは佐助だ。自分で選んだくせに、ぶつぶつと文句を言っているのだ。 「そうしたかったけどさァ、甚八も才蔵もこの間の立ち回りに参加させてるから、あっちの忍びとの遺恨やらなんやらがあったら面倒でしょうが」 「正しくは、それをが気にするやもしれぬから、であろう」 幸村がそう言って見下ろせば、佐助は捉えどころのない笑みを顔に張り付ける。 「そうかもねぇ」 その佐助の顔を見て嘆息してから、幸村はふ、と表情を緩めた。 「まあ今更言っても仕方あるまい。それに俺は悪くない人選だと思ったぞ」 「大将はなんだかんだで、アイツの評価わりと高いよね」 「お前が見つけてきた男だからな、当たり前だ」 当然のように答えられて、佐助は幸村から視線を逸らす。 「・・・・・・とにかく。やばそうだったら交代させるなり人数増やすなり方法考えるから。しばらくは様子を見るよ」 「うむ、頼むぞ」 はいよ、と頷いて、再び木々の間に消えていく佐助の背姿を見送ってから、幸村は手綱を握り直す。 のことは気がかりであるが、今は彼女を信じるしかない。 早く徳川を討ち、彼女を迎えるためにも、まずは武田の力を取り戻すことが必要だ。戻ったらすべきことが山積している。 「皆の者、急ぐぞ!」 率いる将兵たちの、応という返事を聞いて、幸村は馬の腹を蹴った。 |
20130205 シロ@シロソラ |
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