第十章 第十一話 |
柱の陰で、は息を殺しながら、それを見つめている。 佐助に言われた通り、気配は断っている。相手方に気取られている様子はない。 というより。 「泣き喚け!嘆きの淵に送ってやる!!」 喉が裂けるのも厭わぬ様子で叫びながら、居合を繰り出す男の姿。 あの様子では、他の気配になど気が回らないだろう。 なんて男だ、と思う。 まるで気狂ったように、その口からは呪いの言葉を次々と吐き出しながら、しかしそれとは裏腹にその刃筋はひどく正確で、そして恐ろしく速い。 自分と同じように、自らの動きを補助するバサラを使っているのかと思ったが、どうやら違う。 刃が鞘に収まってから刃筋が閃くような斬撃も、目を凝らしていても一瞬消えたように見える立ち回りも、全てあの男がその身体ひとつでやっていることだ。 これが豊臣を継いだ総大将、石田三成。 亡き太閤秀吉の仇討に、全てを賭けていると聞き及ぶ、凶王。 「影は苦手と嘯(うそぶ)いた、あの困惑は謀りかッ!!!」 佐助を、彼にとっては「徳川の忍び」を相手しているにも関わらず、その口が叫ぶのは徳川家康ひとりへの断罪の言葉ばかり。 その様子は確かに、狂っているように、見える。 「そんな思い出にケチつける気はないけどさ」 最低限の動きで刃を受け流し、あるいはその身体に闇色を滲ませて避けている佐助の声が聞こえる。 その声色は、あくまで飄々と流れていく。 あの様子なら、心配は無用、なのだろうか。 確かに石田三成の剣閃は恐ろしいが、そもそも佐助はそれに正面から立ち向かおうとはしていない。 相手の力量を測っているのかもしれない。 太刀を抜き放って、石田三成が叫ぶ。 「まずは刑部から殺めようとしたその陋劣(ろうれつ)!貴様にも同じ痛痒を味わわせてやるッ!」 その言葉に、は小さく眉を動かした。 そう、この男は。 ただただ狂ったように刃を振るっているだけではない。 佐助を殺さんと立ち回る姿に、それでも彼に対して嫌悪の情が湧かないのは、そのことに気が付いたから。 敬愛する主君を喪った、その痛みと悲しみと苦しみを刃に乗せながら、しかしこの男のこころは失われたわけではないのだ。 ひどく純粋で、痛々しいまでに真っ直ぐ。 は石田三成について、そう考えた。 ――『お前は自分の身を切るように、人を斬るんだな』 薩摩の戦場で、徳川家康に言われた言葉を思い出した。 あの言葉は。 彼にこそ、相応しいのではないのか。 剣戟に巻き込まれないところで宙に浮く大谷吉継へ、佐助が視線を投げた。 「・・・・・・御大層な試練だとは思うけどさ、アンタご自慢の大将を見せびらかしたかっただけなんじゃないの?」 「はてさて何のことやら、ぬしの話は難しい」 包帯の裂け目から覗く口元が、薄く笑んでいる。大谷吉継が佐助にそう答えて、 ――そしての潜む柱に視線を向けた。 「――!」 は眼を細める。 あの男は、こちらに気付いている。 気付いていながら、見て見ぬふりをしている。 大谷吉継。何を、考えているのだろう。 どうも、あの男の考えていることは読めない。 わざわざ真田忍びを城内に引き入れるようなことをしてみたり、佐助を「徳川の忍び」と言ってみたり。どういうつもりなのか。 油断ならないと考えた、そのの視線の先。 何度目かの交差、佐助の大手裏剣が石田三成の刀を弾き返す。 勝った、と思った。 その次の瞬間。 佐助の膝が、がくりと折れる。 その隙を見過ごす凶王ではない。 返す刀で、逆袈裟に一閃。 「・・・・・・ッ!!」 佐助の痩躯が、血飛沫を上げて、宙に舞った。 「すま・・・・・・ない、・・・・・・大、将、」 呼吸が、止まった。 刀の柄にかかった右腕を、膨れ上がりそうになった殺気を、必死に押しとどめた。 ここで出て行ってはいけない。 武田と石田の同盟の為に。 ――『同盟の前にたっぷり思い知ってもらわなきゃならないからな、武田軍の恐ろしさと、――悍ましさってヤツを、さ』 佐助の言葉を思い出す。その目的は、達成されたはずだ。 ならば、佐助の命令通りに、戻らなくては。 振り返らずに。 「・・・・・・?」 勢いよく納刀の音を響かせた三成が、ひくりと眉を動かした。 「どうした」 吉継の問いに、そちらではなく、背後の柱の方へ顔を向ける。 「・・・・・・風、が」 三成の、呟きのような声を聞いて、吉継は肩を揺らす。 「ヒヒ、なかなかオモシロキ風よの、ヒヒヒ」 その、引きつれたような笑い声は、秋の夜風に浚われて溶けていく。 月明かりの下、大坂城は西の丸の屋根瓦、片足で身体を支えた胡坐座りで頬杖をついて、佐助の眼はぼんやりと眼下の城郭を眺めている、ように見える。 ひとつ瞬きをして、佐助は薄く笑った。 「今宵の猿はアンタだったのさ・・・・・・、大谷」 その呟きと、ほぼ同時。 頬に風を感じて、佐助はにいと口角を上げる。 「――ちゃんと命令守ったね、偉い偉い」 「・・・・・・な、んだ、と・・・・・・!?」 風を巻き上げて降り立ったのは黒装束ので、その眼が佐助の姿を捉えて、大きく見開かれる。 「さ、すけ・・・・・・!?」 「はいよー」 立ち上がって、佐助はに向き直る。 見下ろすのは、開きすぎて眼球が零れ落ちるんじゃないかと思うような、の双眸。声が震えている。 「なんで・・・・・・、貴方、なのか?本当に!?」 まるで化け物か怪(あやかし)でも目の当たりにしたかのようなの声色に、佐助はにこりと笑って見せる。 「俺様ですよー。一応言っとくと、さっきまでアンタが見てたのは分身。よくできてただろ?」 「・・・・・・な、」 が眉を跳ね上げた。 怒るかなと思った。 ほら、俺様ってばヒドイ男だから。近づいたらだめだよ? よくも騙したなとか、そういう詰問の言葉を、佐助は期待した。 ――は、怒らなかった。 大きく見開いたその眼がじわりと滲んだと思ったら、大粒の涙が、溢れ出てきた。 「・・・・・・は?」 虚を突かれて、佐助は顔色を無くす。 の涙など、見たことがない。 この少女はそういう感情を、他人に見せたがらない。そう、佐助は、認識している。 動きを止めた佐助の胸元に、が詰め寄った。 「死んだの、かと・・・・・・ッ、」 小さな拳が、佐助の胸を叩く。 「貴方が、死んだのだと、思ったッ!よか、無事で、よかった・・・・・・!」 「・・・・・・ちょっと・・・・・・、なんでアンタが泣くのさ」 「これはうれし涙だ!大切なひとの無事を喜んで何が悪い!」 「いやだからさ、」 おれはひとじゃないんだよ。 そう言おうとした口を、噤んだ。 なんだかもう。 何を言っても無駄だと、わかった。 ただ、理解が、できない。 目の前のこの生きものは、何だ? 「・・・・・・大切なひとなんて言葉、アンタは大将以外に使っちゃだめでしょ」 とりあえず思いついたことを口に出してみたら、がこちらを見上げて、眦を釣り上げた。 「何を言う!ひとりの人間が、大切におもう相手が、世に一人だと、なぜ思うのだ!」 嗚咽交じりの不明瞭な言葉。 「・・・・・・意味わかんない。二股ってこと?」 「違う!・・・・・・まったく、貴方という男は・・・・・・ッ」 佐助を見上げるの顔は、その双眸こそ炎を宿してはいるものの、他は涙でぐしゃぐしゃだ。鼻水まで垂れかかってるけど大丈夫ですか、佐助は奇妙に凪いだ心で、そう思う。 「理解ができぬなら、全て幸村殿のためだと思え!幸村殿は貴方を心底信頼しておられるゆえ、わたしが貴方を大切に思うことはあのひとの喜びに繋がるのだ、そう理解しろ!」 もはやも自分で何を言っているかわかっていないのではなかろうか。 それほど、彼女の口から出るのは滅茶苦茶な屁理屈だ。 だが、その滅茶苦茶な屁理屈は、佐助の理解するに足りた。 なぜならその目的語が、「幸村」だから。 幸村のためになることならば、猿飛佐助は何だって受け入れる。 「・・・・・・なるほどね、そういうことなら、」 己の薄い胸板を叩き続けているの腕を取って、その身体を抱き寄せる。 「ほら、俺様どっこも怪我なんかしてないし、この通りぴんぴんしてるから。だから泣き止んでよ。大将の大事な想い人をこれ以上泣かすわけにはいかねぇよ」 細い身体は、抱きしめたらあたたかかった。時折痙攣みたいに身体を震わせる嗚咽が、そして忍び装束越しに感じる心の臓の動く音が、腕の中の「これ」が「生きもの」だと、教えてくれる。 女の涙なんて、見慣れたものだった。泣こうが喚こうが、必要があればいつでも、その生命を奪ってきた。それに対して何か思ったことは、一度もない。 それなのに、今、佐助は、少々困っていた。 には涙は似合わない。 こんな、きれいな、涙は。 血なんか通ってないんじゃないかと思うような、温度の無い表情をしていたらいいのに。 その凍てつくような眼で、自分を見てくれたらいいのに。 ねェ、泣かないでよ。 そんな涙を見せられたら、どうしようもなく、壊したくなる。 犯して、汚して、殺したくなる。 もちろん、それは叶わぬことだ。 は「幸村のもの」で、だから殺してはいけない。 叶わないとわかっていても、どうしても、望んでしまう。 どうしたらを手にかけることが、できるのだろう。 ああ、そうだ。 思いついて、佐助は口角を上げた。 どうせ殺すなら、自分が死ぬときにしよう。 この生命は徹頭徹尾、幸村のためだけに使うと決まっている。 だけど、最期の最後の一瞬だけ。 幸村のために死ぬ、その最後の一瞬、の身体から血飛沫が噴き上がるのを見る。 考えるだけで、ぞくぞくと、快感が羽虫のように、背筋を走るようだった。 「・・・・・・佐助?何がおかしい」 いつの間にか泣き止んでいたらしいの声が聞こえた。 佐助はの旋毛(つむじ)に鼻を押し当てる。 「んーん、なんでも?」 答えながら、笑いを噛み殺した。 自分が死ぬ時に、を殺す。 それが、ものすごく名案であるように思えて、佐助は上機嫌だった。 そうしよう、きっとそうしよう。 だから、最期の最後のそのときまでは、幸村以外の誰にも、この子に指一本、触れさせない。 叶わないとわかっていてもそれを望む、それをひとは、希望と言う。 それは、猿飛佐助という男が、生まれて初めて持った、希望だった。 |
20130109 シロ@シロソラ |
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