第十章 第九話

 さすがはかつての覇王軍と言うべきか。
 圧倒的な物量で畳み掛けてくる彼の軍に相応しく、立ちはだかる忍びの数も半端なものではなかった。
 瓦屋根を音もなく駆け抜ける、その前後左右から同じく音をたてずに飛び出してくる忍びの、クナイと手裏剣の刃を避けながら、あるいはこちらの刃の届く範囲内の者の息の根を止めながら、佐助は先導する珠の後を追う。
 その場の全員が忍びであるため誰もが無言、そこは静寂に満ちた、合戦場だった。潜伏と言うよりほとんど戦忍働きと何ら変わらない。
 配下の忍びたちはそれぞれ別路から侵入しているはずだが、これでは早々に足止めされているかもしれない。
 駆けながら、前方の屋根瓦の、これまでの瓦とのわずかな高さの違いに気が付いて、横へ跳ぶ。
 あの辺りは、
「踏めば鳴る鶯瓦、ね」
『ほうほけきょとは鳴かなんだか。乗らぬ男よ、ツマラヌ』
 宙を浮く珠が本当につまらなさそうな吐息交じりでそう言った。
 攻撃と防御の腕を休めぬまま、佐助は口角を上げる。
「あァ。ノッてツッこむのがこの辺りではウケるんだっけ?悪いねえ、こちとら質実剛健が売りの東国育ちなもので」
 皮肉を全面に乗せて言えば、珠からも笑い混じりの返事が聞こえた。
『笑いのひとつもワカラヌ男は使えぬというのが、此処での理よ』
「っていうことは何か、凶王様もノリツッコミを心得てらっしゃるんですか?」
『三成は、違いの分かる男よ、ヒヒ』
 慇懃な言葉のやり取り。
 珠の向こうの御仁の声は、「遊び」と称したがその言葉通りなんとも上機嫌な様子だった。今の佐助には不快でしかない、引きつれるような笑い声。
 ・・・・・・遊びでこの人数をぶつけてくるか。
 手裏剣を振るって、刃にこびりついた血油を払う。
 今ので、六十七。
 殺した数を数えるのは、無意識だ。成果だけが全ての、忍びの性(さが)でもある。
 完全には塞がってはいなかった腹の傷が、戦いの動きで開きかかっているのが、わかる。装束にまだ血は滲んでいないが、時間の問題だろう。
 痛みは感じていない。
 痛みが無いのではない。ただ、発生したそれが、次々と脳内で別物にすり替わっているのだ。
 それは、あえて言葉にするならば、狂気。
 どこまでも冷たいそれが、血流に乗って全身に浸みだしていく。
 温度を無くした佐助の双眸が、視界を埋める忍びたちを無感動に見つめる。
 これだけの数を減らしても、まだまだ湧いて出てくるその様は、まるで花にたかる虫だと思う。
 自分で考えたくせに、その想像に自嘲した。己を花に例えるとは、久々の乱戦で舞い上がっている証拠だろうか。どこかの大将じゃあるまいし。
 ――そう、久々の感覚だ。
 視界が、排除すべき対象のその顔が、全て猿に視える。
 ・・・・・・猿にしたって、数が多すぎる。
 遊びにしては、やり過ぎな数ではないのかと、頭の隅で考える。
 大谷吉継。
 豊臣政権下では、軍師としての名声は専ら太閤秀吉の参謀・竹中半兵衛のものであり、あの異形の男の功績はあまり聞こえてこなかった。織田残党狩りで一躍買ったという報告もあがってきているが、「刑部少輔」の職名のとおり、内政や実務でその力を発揮しているようだった。
 太閤の死後は、復讐を誓う石田三成に従い、戦場にも姿を見せているが、果たして。
 いったい何を、考えているのか。
 やがて先導する珠が、大きな門を潜る。
 大坂城本丸へと続く、桜門。
 やはりと言うべきか、大きな門は開け放たれており、門番の兵の姿はない。
 在るのはただ、湧いて出た忍びの姿のみ。
 そして、クナイや手裏剣を投げるか、忍刀で斬りつけるかしか能のない猿は、佐助の敵ではない。
 両の大手裏剣の一閃でそれらを一掃して、珠の後を追う。
 石段を上がると、そこは広場だった。
 地には切り出した石が整然と敷き詰められ、眼の前には躑躅ヶ崎館にも匹敵しそうな広大さの本丸御殿、その背後には五重の荘厳なる天守閣。黒漆塗りの壁面に金で施された精緻な装飾は、太閤の、他の誰も到達できない神域を現したものなのだろうか。
 そんな太閤ももう既に亡い。
 これぞ諸行無常の響きってか。薄く笑う佐助の視線の先、ふわふわと珠が漂い行くそこに、目当ての姿があった。
「なかなかどうして、この同士は役に立ちそうよ」
 手元に戻った珠を撫でるような仕草で手を動かして、大谷吉継が言う。
「歩の先に置くか、歩歩(ふふ)と哂うか」
 己の間合いにその輿で浮く御仁を入れない場所で佐助は立ち止まる。
「熱烈な歓迎に与りまして、光栄至極、ってね」
 口元には笑みを張り付けたまま、対して笑ってはいない眼には、狂気じみた光を孕んでいる。
「なに、夜にわれを訪ねる者も久しくてな、つい愉しんでしまった」
 そう言って、笑みの形に弧を描いた吉継の眼を見て、佐助が不快げに眉を動かした。
「ヒヒ、そう嫌な顔をするな、確かに東国の田舎者には笑いが通じぬ。やれ悲しい、カナシイ」
 互いに、薄い笑いを顔に張り付けて。
 佐助は眼を細める。
 先の海戦で、この男が闇のバサラ持ちであることは把握している。
 その身に闇を飼う者は、――人ならざるモノ、だ。
「それで、気は済んだのかい、月影の蝶々さん」
 大手裏剣を携える両手はだらりと下げたまま、佐助は間延びした声で問う。
「そろそろ聞かせてよ。なんでウチに同盟を持ちかけた?」
 領地を削られて戦力不足に悩む武田軍にとっては、徳川と対等に渡り合うため、石田軍との同盟の申し出は渡りに船というところだった。もちろん同盟など結ばずとも、これからの幸村の働き次第で武田は隆盛を取り戻すかもしれないが、それだけの時間的余裕はまずないと考えるのが肝要だ。しかし豊臣の陣容をほとんどそのまま引き継いでいる石田軍には、武田との同盟はどうしても必要なものではないはずだった。
 佐助の問いに、吉継がにいと口角を上げた。
「廻されるだけのましらに非ず、やはり面白い。・・・・・・ぬしにな、針先ほどの興味が湧いたのよ」
 佐助は眉だけを動かす。
 その様子が可笑しかったのか、吉継はあの引きつれた声で笑う。
「ぬしの不幸が見てみたくなった」
 その言葉を合図に、吉継の背後で浮いていた八つの珠が佐助へ飛ぶ。
 佐助は表情を変えず、最低限の動きでその全てを弾いて見せた。
「成る程、もう見切ったか」
「一度喰らったモノを二度喰らうのは三流のすることだろ」
 無感動な様子でそう答えた佐助の、両手の手裏剣が高速で回転して音をたてる。
「そうでなくてはつまらぬ、さァわれに見せてみよ、なにがぬしを絶望させる?」
 包帯で覆われた口元が裂けるように開く。
 螺旋を描いて浮かび上がった珠が、それぞれ不気味な光を撒き散らしながら、佐助へ殺到した。








「俺様の不幸、ねェ・・・・・・、今でも結構苦労してンだけど?」
 佐助の手裏剣が、ひとつの珠を弾く、それを見越していたらしい四つの珠がそれぞれ死角から佐助を狙う。
「その身が千々に裂ければ泣き叫ぶか?毒に虫食まれた緩慢な死に失意するか?」
 宙に浮かぶ輿に胡坐をかいたまま、腕の動きで珠を操って、吉継は嗤う。
 まるで、踊っているかのような戦いだった。
 どちらにも殺気は無い。刃と珠はそれぞれ相手の息の根を止める動きで閃くが、佐助も吉継も双方の攻撃にたいした興味も無いようにそれを最低限の動きであしらっている。
「その御大層なアタマには『草』って単語がないのかい?目的の前にはこの身体なんて紙切れ以下、生き死になんざ三の次だ、・・・・・・ってその話前にもどっかでしたな」
 後半を独り言のようにつぶやいて、佐助はほとんど反射のように珠の攻撃をいなしながら頭の隅で考えた。
 そうだ、躑躅ヶ崎で。
 に、そう言った。
 それを聞いたは、眉根を寄せて言葉に詰まった。
 その顔を、今でも明確に、思い描くことができる。
 あれは、苦痛に歪む、表情だ。
 初めて見る顔だった。
 佐助の知る限り、はその高い矜持ゆえか、「痛い」や「辛い」という感情を、面に出すことはない。彼女は自分の感情を隠したい時ほど、その顔から表情を無くす。忍びの毒を受けてなお、顔色一つ変えなかった。
 旅に出た半年で、心境の変化があったとしても、その性格が容易に変わるとは思えなかった。
 それが、ただ佐助が、己が身は人間ではないのだと言った、それだけで。
「だから面倒だっての」
 そう呟いて佐助が溜息を吐くのを目ざとく見つめて、吉継が珠を繰る腕を動かした。
「余所見とは礼のなっておらぬましらよ」
 思考を中断して、佐助は吉継を見据える。
「そういうアンタはずいぶんと舌の滑りがいいじゃない、口数の多い男は嫌われるぜ」
「ヒヒ、田舎ではどうか知らぬが、此処ではオモシロキ男が一番よ」
 小馬鹿にしたような口調、しかし佐助はわずかも薄い笑みを浮かべた表情を動かさない。
 ――背に、熱が舐める感覚。
「!」
 無理な体勢から闇色を滲ませて、佐助は前方に跳んだ。
 その一瞬後に、佐助の身の丈ほどもある炎の塊が石畳に落ちる。爆炎が石畳を砕く、轟音。
 着地の衝撃で、今まで痛みを感じていなかった腹の傷が、ぐずり崩れたような感覚。開いた、と他人事のように考える。
 それには構わず、体勢を整えながら視線を走らせる。
 そこに現れたのは、三人の忍び。
 これまで湧いて出ていた忍びたちとは、装束が違う。忍び装束のうえから、陣羽織のようなものを羽織っている。
 忍びの一人が何事かを呟いて、指先をこちらへ向ける。
 途端、白銀の氷がまるで筍か何かのように石畳から生え出てこちらに迫る。破砕音が、耳を劈く。
 闇色に身体を滲ませてそれを避ける。
 間違いない、この忍びたちはバサラ持ちだ。
「よく跳ぶましらよ、じょうずじょうず」
 囃し立てるような吉継の声。
 舌打ちして忍びたちを見据える。
 炎に氷と来た。残る一人は、
 ――石畳を削りながら、その粉じんを巻き上げる旋風。
「ま・一対一なんて期待はしてなかったけど」
 視界がぶれる。
 眩暈がするのを噛み殺す。
 顔だけは薄笑いを浮かべたまま、眼前に迫る旋風を見つめ、
 ――頬を、風が、撫でた。
「!」
 瞬間、音をたてて渦を成していた旋風が、霧消する。
 佐助と忍びたちの間に音もなく降り立ったのは、真田忍びの黒装束。
 その背がこちらを見向きもせずバサラ持ちの忍びたちへ向かって行くのを視線の端にとらえながら、佐助は吉継の元へと瞬時に移動する。虚を突かれたらしい吉継の首を、正確に狙って腕を振るう。
 闇色を滲ませた大手裏剣の刃が、吉継の首筋を捉えてぴたりと止まった。
 一枚だけ裂かれた包帯が、風でひらりと解ける。
 吉継は両目だけは笑みの形に歪めながら、眼前に立つ佐助のどこまでも冷徹な表情を見つめる。
「わかったぞ、主を喪えばぬしの望みは絶たれるか」
「さァね、本当のところは俺様にしかわからない」
「ヒヒ、ヒッ、ヒ」
 上体を反らせて、まるで発作でも起こしたかのように吉継が嗤う。
 発狂でもしたのかと眉を動かした佐助の眼前で、ひとしきり笑い終えた吉継を乗せた輿がふわと浮かび上がる。その首筋に添えられていた刃など、眼中にないが如く。
「ぬしに敬意を表し、最後の試練をくれてやろ、天守台まで来やれ」
 浮かび上がった吉継を見上げて、佐助は面白くなさそうに息を吐く。
「・・・・・・別に俺様、ここで帰ってもいいんだけど?」
「そうつれないことを言うな、今宵は特別に総大将に会わせてやろ」
「!」
 佐助の返事は待たずに、吉継はくるりと輿を回して、本丸御殿の奥へと姿を消していく。
 佐助はもう一度小さく吐息して、背後の戦いを振り返った。

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20121221 シロ@シロソラ
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