第九章 第七話 |
要塞の甲板から見れば、もはや幸村の姿など文字通り芥子粒のようにしか見えない。 「・・・・・・愚かな。よもやこの『日輪』をたった二本の槍で止めるつもりではあるまいな」 櫓で床几に腰掛けたままの元就が、わずかに眼を細めた。 「あまりに粗末な策よ」 乱戦中だった甲板の兵たちも、気がつき始めていた。 「――まさか!」 「無茶だ、幸村様!!」 武田の将兵たちが悲鳴のような声を上げる。 毛利の兵も、戦う手を止めて、信じられないと眼を見開く。どよめきの声が甲板に広がる。 「ッ!!」 甚八が戦列を離れようと動きかけたのを、 「待て、甚八」 が手で制した。 こちらを振り向いた甚八が何か言おうとして、それを遮るようには口を開いた。 腹の底から、声を出す。 「貴方たちも、鎮まれッ!」 の大声など聞いたことがある者はいない。将兵たちが驚きに眼を見開いて、言葉を飲み込む。甚八ですら気圧されたように、動きを止めた。 武田の将兵たちを見据えて、は言う。 「幸村殿が!止めると言われたのだ!!ならば貴方たちはそれを信じろ!!そして己にできることをするんだッ!!」 一陣の風が吹き抜ける。それがの結い上げた髪をゆらと持ち上げる。 強い光を宿した双眸が、眼の前の兵たちを見据える。 動揺していた将兵たちが、虚を突かれたように言葉を失って、を見つめる。 まるで、見惚れるように。 そして。 「・・・・・・そうだ、」 「幸村様なら、」 「幸村様なら為される!」 「拙者は拙者にできることを、」 「負けぬ!負けぬぞ!!」 「そうだ、やってやろうじゃぁねえか!!」 鬨の声のようだ。 兵たちが奮い立つその声が、次々と広がっていく。 「いざ勝負!」 「おおおお!!」 雄叫びを上げて、自分たちを取り囲む毛利軍へと立ち向かっていく。数だけならば毛利軍の圧倒的有利である。 遅れて毛利軍も戦闘状態に入ったが、もはや武田軍の勢いに圧され始めた。 甲板全体が合戦場と化し、怒号と剣戟が木霊する。 その様子を満足げに見つめ、は刀を振るった。ひゅ、と音をたてて、刃に付いた血が掃われる。 「・・・・・・」 甚八は黙って、を見つめていた。 ――唐突に、がくりと甲板が揺れる。 「ぅあ、」 体勢を崩したの身体を、甚八が支える。 甲板上の両軍も、振動に驚いたように地に臥せたり柱にしがみついたりしている。 幸村だと、は確信している。 この要塞は、必ず止まる。 ならば。 不意に刀が、陽の光を反射した。 眼に刺さる光に、の中で何かが音をたてる。 「・・・・・・そうか」 主砲の正体。 要塞を囲む多数の鏡と、中央の大きな鏡。 「甚八、ありがとう」 礼を言って甚八の腕から離れ、は天を見上げる。 青く晴れた空、輝く太陽。 「主砲の正体は、太陽の光か」 「成る程」 甚八の頷く声。 「周りの鏡で集めた光を中央の鏡から反射させているということか」 「そういうことだ、陽の光は確かに熱い」 要塞全体の振動は収まらない。ただ速度は落ちているように感じる。 どうする。 発射のための大鏡を破壊するのが最も簡単に主砲を無力化できるが、中央の鏡の場所にたどり着くにはその前に毛利元就を倒さねばならない。その間に主砲を撃たれたら、幸村が危ない。周りの鏡を破壊しても効果はあるが、数が多すぎる。一つ一つ割っている間に主砲を発動されたらやはり止める手立てがない。 それでもやるしかないかと刀を握る腕に力を籠め、 ――太陽の光が、なければ。 その可能性に思い至る。 再び天を見上げる。晴れた空だ。輝く太陽と、――夏の、厚い雲。 雲が陽を遮ればいい。 ただ、天には風がないのだろう、雲が流れる気配がない。 ――風さえ、あれば。 風。 の、バサラ。 ・・・・・・風ならば、ある。 「甚八」 呼ばれて振り返った甚八が眼にしたのは、全身から淡く翡翠の色の光を発するの姿。結い上げた髪が、外套が、風に煽られて持ち上がる。手を伸ばせば届くところにいる甚八には、風が感じられない。の周りだけに風が巻いているのだ。それは、バサラの力。 の光る双眸が、甚八を見つめる。 「少しの間、ここを守ってほしい」 返事を待たず、は天へと顔を上げる。 要塞の振動が、収まってきているように感じられる。 もうすぐ要塞が、止まるのだ。 幸村を、信じる。 わたしは、わたしにできることを! 「――!!!」 は、風へ意識を集中した。 巨大すぎて、間近に迫るともはやそれは壁が近づいてきているのと同じだった。天まで届くかと錯覚するような、高い高い壁だ。 だが、壁だろうが山だろうが己のすることに変わりはない。 幸村は眼前に迫る要塞を見据え、地を蹴る。 迫りくる壁へ、突進する。 「――ッ止めるううううあああああああああ!!!!」 がつりと、両の槍を要塞の壁面へ突き立てる。 凄まじい衝撃が、両腕から全身に突き抜ける。 体中の骨という骨が、腱という腱が砕けるのではないかと思う。 しかし、不思議と恐怖はない。 むしろ気分が昂揚しているのがわかる。 「みぃなぁぎぃるぅうあああああああああああああッ!!!」 槍が大きくしなり、地を削る音をたてながら踏ん張った足が後ろへ押されていく。 要塞を支える、巨大かつ多数の車輪が、揃って軋む轟音。 こころの底から吠える。 今この瞬間、幸村の頭からは眼前の要塞以外のことが抜け落ちている。 ただただ目の前の「これ」に勝つ。 そう考えるだけで笑みすらこぼれる。楽しくて仕方がない。 強大な敵に立ち向かい、そして勝つ。 これこそが戦い。 血沸き肉踊り、そして魂が、奮える! 「ううぅぉおおおあああああ!」 びし、と乾いた音、槍の柄に幾重にも細かな亀裂が生じる。 ただ前だけを、「敵」だけを見据える幸村の双眸が、爛と光る。 「折れぬ!魂の槍は!!!」 全身から炎が立ち上がる。業という音、 「――折れぬぞおおおおあああああああああああああああ!!!」 槍の柄の、亀裂の間を炎が駆け巡る。幸村の身体と槍とが一体となって、紅蓮の炎の塊となる。 耳を劈く轟音と、全身が引きちぎれそうな振動が、 ――やがて、ついに、止まる。 「ぅぉおおおおおおああああああああ!!!」 弾かれたように、炎の塊が跳ぶ。 己に迫りくる紅蓮の炎に、元就はわずかに眉を動かした。 「なんと・・・・・・これぞ真の捨て駒、捨て駒としての理想よ」 その腕に、輪刀が現れる。 冷えた双眸が、炎を見据える。 二槍ごと炎の化身とかした幸村の、狂気じみて光る瞳、にいと口角を上げた口から覗く鋭い犬歯、その様子はまるで、 ――血に飢えた獣。 ふん、と元就は鼻から息を吐く。 輪刀が閃く。 「猪武者に、生きる道などない」 冷たく言い放ち、輪刀が二つに分かれる。 鋼の擦れあう、涼しげな音が響く。 「!!???」 突進してきた幸村の両の腕を、分かれた輪刀がそれぞれ捕らえて、要塞の側面に張り巡らされた鏡の内の一つに張り付ける。 「が、ッ!」 背から激突した衝撃で、幸村の身体から炎が消える。 「捨て駒としては少々惜しい、が、ここまでよ」 元就が右腕を振るう。 「――『天陽の鎚』を起動させよ!!」 歯車の噛みあう音、側面の鏡が一斉に煌々と輝きだす。 幸村をそこに、縫いとめたまま。 その輝きに眼を細めることなく、元就は言い放った。 「全て、我の計算通り」 |
20121030 シロ@シロソラ |
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