第九章 第六話

 目障りなものが、視界から一掃されるというのは、なかなかに胸のすく感覚だった。
 主砲の仕上がりは上々だ。それを顔には一切現さないものの、毛利元就は比較的上機嫌に「ふむ」とひとつ頷いた。
 豊臣が、この毛利との同盟を求めたのは水軍と、――長曾我部の大要塞を手に入れるため。
 毛利軍が崩落した要塞を海の底から引き揚げて再び組み上げることを予想していたはずだ。
 毛利軍に、伏兵を紛れ込ませておいて。
 元就はちらと視線を足元へ動かす。
 そこには先ほど片付けさせるまで、この要塞「日輪」の組み立て現場を任せていた男の死体があった。よく出来た男であった。これほどまでに早く、要塞を動かせるようになったのは、この男の手腕によるものが大きい。
 が、所詮は豊臣側の捨て駒。
 要塞の発進と同時、元就を暗殺しようとしたので、返り討ちにした。
 この男により元就ひとりが倒れれば、毛利軍の掌握は容易い――それが豊臣軍の参謀・竹中半兵衛の描いた絵図だったのだろう。
「――読みあいは、我の勝ちぞ」
 豊臣本体は関東攻めへ動いていると把握している。その隙に、まずは大坂を落とし、この要塞をもってそのまま東国に攻め入れば、豊臣の本隊ごと東の田舎侍連中を一掃できる。
 不安要素があるとすれば、あの人ならざる力を持つ、豊臣秀吉。
 しかしそれももはや問題ではない。挿げ替えた「主砲」を、満足げに見上げる。
 あの男は、確かに驚異的な力を持っている。「富嶽」の大筒の弾を素手で弾いて見せた、その力量はなるほど称賛に価するだろう。
 だが、大きな力に対して同じ力で対抗しようというのがそもそも愚か者の発想なのだ。
「――毛利様!前方に!」
 将兵の声に、元就はゆるりと視線を向けた。
 要塞は今、一路大坂に向け、切り立つ崖の間の谷間を進んでいる。その要塞の進行方向前方、崖の間に渡された橋に、数十人ほどの兵士たちの姿が見えた。
 それぞれ武器を構えてはいるが、鎧兜は揃っていないし軍と言うよりは山賊のような風体だ。
「旗印が見えました!丸に十の字、薩摩の島津軍かと!!」
「なるほど、噂に違わぬ品のなさよ」
 冷めた目つきで、元就は言う。
 毛利からも申し分程度には兵を出しておいた、先の薩摩の戦は、武田軍の参戦もあり、豊臣・毛利側の撤退で幕を閉じた。元就としては、この要塞の完成までの時間が稼げればよかったので、戦の勝敗など興味はなかったのだが、それが北上してきて目の前に立ちふさがると言うのなら、もう少し徹底的に薩摩を叩いておくべきだったかと考える。
 だが、何者が前に立ちふさがろうが、結果は同じだ。
 元就は右腕を振り上げる。
「主砲・『天陽の槌』を起動させよ!」
 がらがらと、木組みの歯車の回転する音、要塞の甲板を囲むように配置されている無数の鏡が一斉に光を放つ。
 真白の光はちょうど元就の頭上に位置する櫓へ集まり、眩く視界を染めていく。
 この、音に聞こえぬ音がいい。
 視界全てを支配する、人智を超えた光景がいい。
 持ち上げた右腕を、前方へと振り下ろす。
「放て!」
 視界が白く塗りつぶされる。
 そう、これこそが真の力というものだ。
 人の手で作り出される鋼の塊など、結局は人の手で壊されるもの。
 光が収束していく。世界に色が戻ってくる。
 前方の軍勢は、吊り橋ごと消失している。円を描くようにえぐられた両側の崖の断面が、高温に炙られて赤く爛れている。
「おお・・・・・・!」
「流石は・・・・・・」
 兵たちの感嘆の声。
 驚くに値しない、当然のことだ。
「・・・・・・全てを超越する、日輪の恩恵に与りし者」
 元就は頭上を見上げる。晴れ渡った空。そこに輝く、太陽。
「――それすなわち、我が天下人たる理なり!」
 高らかと、宣言するように。
 陽の光に照らされる元就の姿はいっそ神々しくもあり、甲板の兵たちはそれを吸い寄せられるように見上げる。
「毛利様・・・・・・」
 茫然とした声は、やがて歓声へ変わる。
「毛利様!」
「毛利様万歳!」
「毛利様!!」
 兵たちの声に、元就はかすかに口の端を上げた。
 成る程、部下たちに「アニキ」と呼ばせてふんぞり返るあの愚物の気持ちが、今なら少しわからなくもない。
「――待たれよ!!」
 唐突に飛び込んできたその声に、兵たちが一斉に振り向いた。元就は視線だけを動かす。
 進む要塞の両側の崖、その上に現れた騎馬の一軍。
「ぅわあ!」
「何だ!?」
 馬の嘶き、土埃を蹴立てて騎馬が崖を駆け下りて来る。兵たちが驚いたよう側面へと避け、甲板のちょうど中央に降り立った一軍は、揃いの外套姿。
 その数、およそ三十。
 その先頭、二槍を掲げた若武者が、櫓の元就を見上げる。炎を宿した、苛烈な双眸。
「某は、甲斐・武田が家臣、真田源二郎幸村!毛利元就殿とお見受けする、我らは貴殿の大坂侵攻を止めに参った!いざ尋常に勝負!!」
「・・・・・・どこの捨て駒かと思えば、厳島で我以上に兵を捨て駒扱いした能無しではないか」
 まるで能面がごとく、一切動かない冷めた表情で、元就は言う。
「次は島津の兵を捨て駒にとは、まあ能無しなりに采配を覚えつつあるということか」
 槍を構えた幸村が眉を跳ね上げたのが見える。その傍らの武者が、幸村を制するように何事か告げている。
 簡単な挑発には乗らぬか、と頭の隅で考えながら、元就は右腕を振るう。
「大方乗り込みさえすれば片が付くと考えたのであろうが、貴様ら如きの浅知恵など我が計算するまでもないわ!!」
 元就の合図で、甲板に毛利の軍勢が現れる。これだけ大きな要塞だ、乗組員もそれなりの合戦ができるほどの規模である。
 それぞれ武器を構えた兵たちが、武田菱の外套の一軍を、十重二十重と取り囲んだ。







 要塞に乗り込むところまでは成功した。
 甲板で始まった乱戦、は馬から降りて刀を抜く。
 先ほど毛利元就が「島津軍を捨て駒にした」と言ったが、実際は少し異なる。
 たちの目的は、要塞の無力化。そのためにはあの謎の主砲の破壊が不可欠である。
 あの主砲が何なのかはわからないが、先に豊臣軍を消し去ったときの動きからいくつかわかることがあった。
 まず、あれだけの威力を発揮するものでありながら、要塞内には被害がないこと。それは当然といえば当然だが、つまりはあの主砲は大筒と同じように「何かを撃ち出す」ものだと考えていいのだろう。
 そして、撃ち出された何かが目標に着弾するまでには少々の時間を要すること。光が現れてから消えるまでの時間は、通常の大筒が発射されてから着弾するまでと比べてもずいぶんと長かった。つまり、撃ち出される何かはそれほど速くない。発射されてからでも避けることができるということだ。
 それを踏まえて、まず島津軍の者に囮になってもらい、一度主砲を撃たせた。発射された段階で島津軍はあの橋から撤退しているので被害はないはずだ。そしてその後は賭けだったが、大筒というものは連射ができない。規模が大きくなればなるほど、一発撃ってから次の一発までには、弾の装填に時間がかかるものだ。単なる大筒ではないとはいえ、この主砲もきっとそうだろうと賭けて、そしてその読みは当たったようだ。証拠に甲板に乗り移るまでの間に迎撃がなかった。
 ここまで、まずはよし。
 視線を走らせながら、は刀を振るう。正確に薙いだ敵兵の首筋から血飛沫が舞う。嫌な臭いが鼻につく。震えそうになる奥歯を噛みしめる。
 今は、とにかく考えろ。
 問題は主砲だ。
 要塞に乗り込んでみれば何がしかの発射装置があるのだろうと思っていたのだが、それらしきものが見当たらない。
 怪しいと言えば甲板の周りをずらりと取り囲むように並ぶ、無数の鏡。一つ一つが、ひとりの身の丈ほどの大きさで、それぞれが内側に面を向けている。そして毛利元就が悠然と腰掛けている櫓、その鳥居の上の大きな鏡。側面の鏡と比べれば四、五倍ほどの大きさだろうか。あれほど大きな鏡をは見たことがない。
 ただ、それだけだ。鏡が並んでいるだけで、何かを発射できるようなものは見当たらない。これらの鏡は装飾なのだろうか。厳島で見た「富嶽」と同じ要塞であるとは一目ではわからないほど、要塞の様相は変わっている。鳥居といい、やはり全体的に何かを祀る社のような印象を受ける。この無数の鏡も、何か呪術的な意味があるのだろうか。
 主砲の発射装置はどこだ。まさか鏡を投げつけているわけでもあるまい。
「幸村殿、」
「うむ、――致し方あるまい」
 たった今斬った兵を蹴倒して、傍らの幸村を見上げる。
 二槍を繰りながら、幸村が頷く。
「まずはここを突破せねば」
 主砲の破壊が難しいなら、とりあえずは操縦を止めねばならない。そのためにはこの乱戦を制し、そして毛利元就を倒す必要がある。
殿、大事ないか」
「大丈夫だ。貴方は眼の前に集中していろ」
 が口の端を上げる、幸村はそれ以上言わずに槍を振るう。
 大丈夫。わたしは負けない。
「――幸村様!!」
 部下の声が聞こえた。部下が指さす先に、も視線を向ける。
「!!」
 要塞が轟音をたてながら進む先、小さく見えるのは、
「そんな、」
 集落だ。
 移動要塞の轟音が届いたか、畑仕事中の民が頭を上げる。こちらに気が付いて、腰を抜かしたようにへたり込む者が見える。
 そう。
 疑問には思っていたのだ。
 大坂を目指すなら、何故この要塞は陸路を進んでいるのか。
 この大きさである、まさか山越えはできないだろうし進める街道にも限りがあるはずだ。それよりも瀬戸内の海路を通った方が遥かに簡単であるように思える。
 それが、わざわざこんな谷間を通るような手間をかけても陸路を選んだその理由。
 この要塞は初めから、邪魔になる村落や城を文字通り踏み潰すつもりで、動いているのだ。
「――毛利、元就ッ!」
 いまだ櫓で腰を下ろしたままの大将を、は見上げる。怒りに燃えた双眸、しかし毛利元就はこちらを見もしない。
 血が昇った頭が熱い。どうする。とにかく要塞を止めなければ。どうやって。主砲は。
「大丈夫だ」
 ぽんと肩を叩かれて、は我に返った。そこに幸村がいて、穏やかな鳶色の双眸がこちらを見下ろしている。
「幸村殿、」
「俺が止める。殿は、ここを頼む」
「ッ!」
 何を無茶な、そう言おうとして、しかしその静かな瞳に、言葉を飲み込む。
 ぐ、と拳を握る。
「・・・・・・わかった、任せろ」
「うむ」
 力強く頷いて、幸村はひらりと馬に跨る。
「――はッ」
 腹を蹴られた馬が、幸村の意を酌んで高く跳ぶ。要塞の甲板を越え、崖の側壁を一度蹴って、降り立ったのは迫りくる要塞の前。
 そこで駆け去る馬の背から飛び降り、武田菱の外套を脱ぎ捨てる。
 燦と降り注ぐ陽の光が、その背の六文銭を照らす。構えた二槍の刃が、ぎらりと輝く。
 幸村が、吠えた。
「天!覇!絶槍ッ!!真田幸村、見参!!!」
 移動要塞の轟音にも負けぬ、その裂帛の名乗りは、の耳にもしっかりと聞こえた。

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20121026 シロ@シロソラ
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