第九章 第五話 |
躑躅ヶ崎館の屋根裏、忍びが使っている隠し部屋で、佐助は上田城から到着したばかりの才蔵と頭を合わせていた。 蝋燭の火が照らすのは床に広げた地図や、各地に放っている斥候たちからの報告。 「――というわけで、上田はとりあえず問題はありません。今回ばかりは小介もよくやっていますよ、今度上田に戻られたら褒めてあげてはいかがですか」 「嫌だよキモチワルイ。あいつ絶対褒美として身体寄越せくらいのことは言ってくるだろ」 げんなりと、嫌そうに嘆息してそう言う佐助に、才蔵はにこにことした笑顔をわずかも崩さない。 「それであの子の働きが良くなるなら、身体のひとつやふたつ何てことはないでしょう、貞操を気にする生娘じゃあるまいし」 上品な笑顔を浮かべながら言うことが下劣なのがこの忍びの嫌なところだ。 「・・・・・・絶対、嫌。何が悲しくて旦那の顔した奴とンなことしなきゃならないのさ」 「おや。長はそれをお望みなのではないのですか」 「ですか」のところで風切り音がした。才蔵の頬を掠めたクナイが、すぐ後ろの柱に突き立っている。 佐助は無言であったが、その身から滲むような殺気が心情を雄弁に物語っている。 才蔵はやはり一切表情を変えず、頬を伝わる一筋の血すら無視して口を開いた。 「それはそうと、小田原ですね」 まるで何もなかったかのような話題の転換に、いい加減慣れている佐助も合わせたように殺気を納めた。 「・・・・・・いよいよ豊臣が動く。太閤自ら出陣するらしい。徳川・石田の両腕も健在、奴さん本気だ」 「確かに、『北条家の栄光』を支えた城郭は健在です、が」 才蔵がそこで言葉を切る。 その先は佐助にもわかっていることだった。 今の武田は、戦ができる状態ではない。 とにかく幸村が帰還するまでの時間稼ぎが必要だ。 「・・・・・・そのためには小田原城のひとつやふたつ、くれてやるか」 「とはいえ唐突に小田原の全軍を撤退させるのは。お館様の病状を気取られる要因にもなるでしょうし、何より小田原をそのまま素通りされても困ります」 才蔵の言うことももっともだった。 豊臣軍が攻めてきた暁には、こちらの被害は最小限に、「それなりの戦」をしたうえで、降伏撤退して城を空け渡すのが一番。 そのためには。 「『海』の報告は読まれましたか?」 才蔵の声に、佐助は地図から顔を上げた。 「あぁ、豊臣の陣容だろ?ったく頭数ばっかり多くてぞっとしないね」 「その中に、豊臣軍のもうひとりの軍師の名があったでしょう」 ぴくりと、佐助が眉を動かした。 「・・・・・・あったねぇ」 才蔵の言わんとするところを察して、にいと口角を上げる。 こちらの被害を最小限に、「それなりの戦」をでっちあげるには、相手方に内通する必要がある。 潜り込ませた部下の報告を思い起こした。 豊臣の傘下にありながら、いまだ天下への野望を捨てきっていないという、軍師の存在。 「成る程、使えそうだね」 いまだ残暑の厳しい安芸の国、来た道を引き返して瀬戸内沿いを騎馬で移動している幸村一行は、遠目ながらついにその要塞を発見していた。 「・・・・・・この短期間で、よくもあれほど・・・・・・」 一軍の先頭で手綱を引く幸村が、眼を細めながら言う。 その隣で同じく馬上から、は庇のように手を翳してそれを見ていた。 あの厳島の合戦において、爆炎を上げて崩落した、長曾我部軍の巨大要塞「富嶽」。見るも無残な姿で海の藻屑と消えたのを、も確かに見た。あれから二月とたっていない。それなのに。 どうかすると小田原の城ほどもある、常軌を逸した大きさの要塞が、盛大な土煙をあげながら、陸を移動している。それほど速度は出ないのだろう、遠目にはよく見ないとそれが動いているとわからない。だがしばらく見ていれば少しずつ移動しているのがわかる。進む方向は、東。 目を凝らせば、それが彼の「富嶽」とは似ても似つかぬ風貌へと変わっていることが知れた。土台の形はそう変わっていないようだったが、鬼の面を模したような意匠が施された、あの巨大な大筒はなくなっている。他にもどこか「傾いた」ような、派手派手しい装飾が目立っていたのだが、それらは全て消えており、その替わりなのかどうか、朱色の鳥居が見える。神を祀る社のつもりなのだろうか。 いずれにしろ、あそこまで破壊されたものが、この短期間で組み上がっているのは信じがたいものがある。 「それだけ、捕虜に無理を強いたということか」 苦々しい表情で、幸村はぎりと歯を食いしばった。 「――幸村様!あれを!」 部下の声に、幸村は顔を上げる。もそれに倣う。 遠見に長けた部下が指した方向、要塞と向き合う形に海に突き出た岬に十数騎の騎馬兵の姿が見える。 「甚八、見えるか」 幸村の問いに、馬を進めた甚八がじ、と岬を見据える。 「・・・・・・五七桐です」 「豊臣軍か!」 「それにしては数が少ない。先遣隊か何かだろうか」 は眉をひそめる。 先遣隊だとしたら、その目的は何だ。 豊臣は毛利と同盟を結んでいるのだから、軍を差し向ける必要はないはずだ。 ――同盟が今も、存在しているのならば。 要塞は東に進んでいる。ここから東ならば、行先は大坂か京の都か、――関東の国々か。 「・・・・・・島津殿の、仰ったとおりということでござるか・・・・・・?」 いまだ信じられないとばかりに、幸村が声を絞り出す。 「――島津公の言っておられたとおりなのだろう。この乱世、誰もが貴方のようには出来ていないのだ」 「殿」 が、仏頂面を幸村に向ける。 「誰もが貴方と同じようには考えられないのだと、理解した方がいい。それに、」 その双眸が、ひたりと幸村の瞳を捉える。 「この世の者が皆貴方のようだったら、わたしが目移りして敵わん」 神妙な顔つきで、幸村が頷く。 「なるほど、それは困りものでござるな。殿にはしかとこちらを見ておいてもらわねば」 「そうだろう?」 「・・・・・・」 二人は部下たちのより少し先にいるため他の者たちには聞こえなかったかもしれないが、呼ばれてその場にいた甚八はその会話をしっかり聞いていた。 もちろんその程度で表情を動かす甚八ではない。ただ長への報告にはきちんと認めておこうと決意する。 ――その時だった。 唐突に眩い光が視界に突き刺さってきて、幸村とは同時に要塞の方を振り返る。 「ぅわ!」 「何だ!」 馬たちが驚いたように嘶く。幸村は馬の首をそちらへ向けないように、さらにを光から遮るように前へ出る。 「何だろう」 「わからぬ」 の問いにそう返事をしながら、腕で顔を庇う。 音が、なくなる。 何か、ひとの耳では拾いきれないような音が、場を満たしているようだ。耳が痛い。視界が真白に塗りつぶされる。 光は一定のところまで眩さを増してから、唐突に消えていく。 「・・・・・・な、」 視界に色が戻り、耳に海の波音が返ってきたころ、視界の先には信じられない光景があった。 「なん、だ」 が茫然と呟く。さすがの甚八も、顔色を失っている。 「ひと、が」 「消えた・・・・・・!?」 部下たちも一様に言葉を失った様子でそれを見ている。 岬にいた、十数の騎馬兵が、人も馬も消えていた。 それどころか、岬の切り立った崖が、円状に切り取られたように、文字通り「なくなって」いる。 切り取られた崖の淵は、高温で炙られたように赤く爛れていて、周囲の木々には炎が撒いていた。 「・・・・・・まさか、あの光が、焼きつくした、と?」 「そのまさか、のようでござるな」 眼を見開いたの言葉に、幸村は頷いた。 「あの光はおそらく、炎よりも熱いのだろう。某の炎でも、あのように地形ごと焼き尽くすようなことは・・・・・・」 そこで一度言葉を切り、幸村は手綱を握る拳に力を籠める。 「何なのだ、あれは。あれでは抗いようがござらぬ、あんなものを使われては・・・・・・日ノ本がたちまち焦土と化してしまう」 それでも、いや、それだからこそ。 あの要塞を、ここから先に進ませるわけにはいかない。 「これで決まりだ、あの要塞は東に、大坂に進軍中で、そして毛利と豊臣の同盟はもはや無いということだ」 漸く自失状態から立ち直ったがそう言って、幸村を見上げる。 「行こう、幸村殿。あの要塞は何としても、止めねばならぬ」 「そのとおりでござる」 手綱を繰る、蹄がかつりと音をたてる。 幸村はいまだ動揺の収まらぬ部下たちに向き直り、声を張り上げた。 「我らはこれより、あの毛利の要塞を攻め落とす!民に思いを馳せることなく腹の探り合うばかりの毛利にも、豊臣にも、この日ノ本は渡せぬ!!」 幸村の負う二槍の刃が、陽の光を受けてきらりと光る。 部下たちがそれぞれ腕を上げ応と答え、はその様子を見て口の端を上げた。 |
20121026 シロ@シロソラ |
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