第八章 第十話 |
少し離れた場所では、示現の鬼・島津義弘と戦国最強・本多忠勝の一騎打ちが展開されていて、残り少なくなった兵たちが巻き込まれぬよう遠巻きにそれを眺めている。 ふたりの戦いはほぼ互角、衝撃のたびに砂浜には深々と斬撃の痕が抉られている。 その様子をちらと見てから、幸村は眼前の男へ視線を動かした。 「しばらくぶりだな、真田!」 まるで旧知の友に会ったかのように、徳川家康は笑って言う。 「・・・・・・ああ、しばらくぶりでござる、徳川殿」 対して、幸村の表情はどこまでも静かだ。 その声の低さに、はわずかに眉を動かした。 眼の前の、幸村の背から発せられているそれは、殺気だ。 が知る限り、戦場の幸村が纏っているものは、輝かんばかりの紅蓮の炎、そして覇気だった。眩しく、熱いそれが、敵方を圧倒するのだ。 だが、今の幸村は。 が初めて感じる幸村の殺気は、昏くて、冷たい。 炎を纏った槍を構えながら、幸村が口を開く。 「豊臣の九州攻め、その本隊は貴殿であったか」 その矛先が自分に向いていることに意を介するそぶりも見せず、徳川家康が小さく息を吐く。 「ああ、その通りだ。だがお前がいるとは、予想外だったよ」 「――あの日の決着を、今ここでつけるか」 あくまで静かな幸村の言葉に、徳川家康はわずかに肩をすくめた。 「うーん、それも悪くはないが、これ以上の犠牲は避けたいところだ、そっちのにもずいぶんやられてしまったし」 幸村が、ぴくりと眉を動かした。 「・・・・・・数に物を言わせて犠牲を厭わぬような方法を、貴殿がとるとはな」 「それは言ってくれるな、こっちにもいろいろと事情があるんだ」 徳川家康は苦笑のような笑みを浮かべて腕を組む。 「今日のところはこれで退こう。――忠勝!」 その一声で、島津と対峙していた本多忠勝が宙を飛んで徳川家康の傍らに着地する。 巻き上がった砂塵の中、本多忠勝が差し出した腕に足をかけた徳川家康が、その腕から肩に跳び移る。再び砂塵を巻き上げて、本多忠勝の身体が浮く。 背に負っている箱のようなものが火を噴いていて、その勢いで甲冑に包まれた巨体は宙を飛んでいるようだ。どんな機巧なのか、にはわからない。 幸村は追撃するそぶりもなく、ただを庇うように槍を構えたままだ。 その幸村に、徳川家康はふと表情を引き締めて言った。 「なあ、真田。そのが、ワシよりお前がいいと言うから、ひとつ忠告だ」 その言葉にわずかに眼を見張ってから、殺気を納めないまま幸村は応える。 「・・・・・・何でござろう」 徳川家康は幸村の後ろで刀を構えたままのに視線を投げて、言った。 「その者にはもう、あまり刀を握らせない方がいい。――こころを、壊すぞ」 「ッ、何を言う!!」 声を荒げたのはだった。 「貴方に、何がわかると――」 「殿」 斬りかからんばかりのを、幸村が手で制して徳川家康を見上げる。 「しかと、心得申した」 そう答えると、徳川家康は何やら満足げに頷き、 「では、また会おう、真田!そして!」 そのまま本多忠勝の背に立って、空の向こうへと消えて行った。 二人の姿が見えなくなる頃、沖の船団も転進をはじめ、その姿が水平線の彼方へと消えていく。 浜に上がって来ていた敵兵はほとんどが薩摩軍により駆逐され、残ったわずかな者は小船で沖へと逃げて行った。 それらを見届けてから、幸村は漸く構えを解いた。全身から立ち上っていた炎がふつりと消える。 「・・・・・・殿」 背後を振り返って、固まったように立ちすくんでいたに声をかけると、その細い肩がびくりと震えた。 幸村は小さく息を吐いて、二槍を砂地へ突き立てると、の前に立つ。 血と砂で汚れたのその表情に、幸村はわずかに眉を動かす。 「もう、戦は終わりでござるよ」 そう言っても刀を離そうとしないの右腕を、退こうとするのを逃がさないように掴む。相変わらず力を入れれば折れるのではないかというほどの細さだと頭の隅で思いながら、力を入れ過ぎて先が白くなっているその指を剥がすようにして、幸村はから刀を取り上げた。 刃に付いた血を自分の着物の裾で拭って、の腰の鞘に納める。それをは固まったままの表情で見ていた。 「・・・・・・わたし、は」 「大事ござらぬか」 遮るようにの顔を覗きこんで、幸村は言う。 全身血みどろの、ひどい有様だった。 の返事はないが、先ほどの徳川家康の言を信じるなら、それは全て返り血。 「そなたが無事なら、それでようござる」 穏やかな声色で、幸村はそう言ってから、島津の方を振り返った。 「島津殿!大事ござりませぬか!」 「おお幸村どん、オイならこのとおりどっこも何ともなか。北はどうね」 薩摩の兵たちに戦後処理の指示を出していた島津は大股でこちらに歩いてくる。 「は、島津殿のお見立てどおり、北の毛利軍は陽動でござりました。毛利元就の姿はなく、しばらく防戦をしていると自ずと退いて行き申した」 「そうか・・・・・・、毛利どんは何を考えとるのかの」 思案するように顎髭を触ってから、島津は幸村とへ笑顔を向けた。 「何にせよ、おまはんらはようやってくれもした。怪我をしとる奴らもおるでな、まずはいったん館へ戻ろう」 そう言って、島津は幸村との肩をばしりと叩いた。 陽が傾きかけた砂浜には、先ほどまでの乱戦などまるでなかったかのように、穏やかな波の音だけが響いていた。 |
20120928 シロ@シロソラ |
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