第八章 第八話

 北の街道では、すでに戦端が開かれていた。
 怒涛のように押し寄せる毛利軍、その中には豊臣の五七桐紋の入った具足姿の者もいて、島津の見立てどおり豊臣の兵士が多く混ざっているようだった。
 先鋒の武蔵が櫂を振り回しながら大声を上げる。
「ぅえー、こいつら強えぇー!こりゃ敵わねェ、みんな逃げろ逃げろー!!」
 そう叫んで、踵を返し、背後の森へと駆け出す。
 それを合図にしたように、薩摩の兵士たちは次々に森へ駆けこんだ。
 毛利方の将兵がそれに気づき、にわかに活気づく。
「なんと、戦中に敵に背を見せるとは!」
「追え、追えー!!」
「相手は寄せ集めだ!手柄は早い者勝ちぞ!!」
 兵たちの声がここまで聞こえる。陣形を崩してこちらへ雪崩れ込んでくる毛利軍を見ながら、森の中で木々に紛れて待ち構えている幸村は槍を構えた。
「武蔵殿の手際、見事でござる」
 やがて我先にと森へ入ってきた毛利軍の兵士たちを囲むように薩摩の兵士たちが草木の中から現れる。
 得意顔の武蔵が木刀を毛利軍に向けた。
「へっへー!見たかおれさまじるし、吊り野伏せ!おまえらぜんいんたこなぐりだぁっ!!」
 すぐさま森は怒号と剣戟の音に包まれた。
 毛利軍にはもちろん鉄砲隊の姿も見えたが、鬱蒼とした森は視界が悪く、火縄銃は使えないのだ。
「我らも参るぞ、」
 幸村が槍を翻す、足並みを崩した毛利軍に、木陰に潜んでいた武田軍からも猛攻をかけはじめた。
 いよいよ毛利軍は混乱に陥るが、その数はやはりこちらとは比べ物にならぬほど多い。
 これは気を抜いてはいられないと槍を振るいながら、ふと気が付いた。
 そう、これだけの兵力の差があると、幸村たち薩摩・武田軍はとりあえず視界がすべて敵だ。目の前の敵に集中することができる。しかし逆を取れば、数で圧倒的に優位な毛利軍にとって、視界に映るのは味方が多いと言うことだ。シダの葉や木から垂れる蔓などで視界が悪い森の中で、同士討ちも起こっているのがわかる。
 これが、吊り野伏せの本領であろう。
 敵軍を誘い込んで取り囲む戦法は島津の常套手段なのだと聞いた。「最強」の名を欲している武蔵は、鬼島津のその戦術丸ごとを真似しているのだ。
 真似をすることが卑怯なことだと言う気はない。
 彼の少年は己の志のため、強者の力を貪欲に取り入れようとしているのだ。
「――某も、負けてはおれぬッ!!」
 業、と炎が巻く。
 何のために戦うのか。この槍は、何のために存在するのか。
 もちろん純粋に、幸村は戦うということが好きだ。槍を振るう爽快感、身の内に猛る炎がそのまま噴き出す感覚にも魂が揺さぶられる。特に、あの独眼竜のような強敵に出会ったときは。こころの内が燃え滾って仕方がないのだ。
 だが、その根幹。槍を握ることに理由があるとすれば、今でもそれは、大切なものを守ることだ。
 では。
 守るとは、何だ。
 炎を纏った矛が、敵兵の胴を貫く。そこから火が移って、兵士は炎に巻かれながら断末魔の悲鳴を上げる。
 今こうして殺したあの者にも戦う理由があったのだろうか。
 ――そう、ここは戦場で、戦場において武器を手にしたなら、それは命を賭して戦う覚悟を決めた者だ。
 ならばこうして葬るのも、武士として当然、むしろ戦場にあって手加減をすることの方が礼を失することになる。
 両の槍を振るう、火の粉と血飛沫が飛び散る。
 ・・・・・・だが、相手が、もしそれを望まぬ者だったら。
 旅の途中、豊臣の領内で男たちがいなくなった村々を見てきた。
 彼らは。妻や子ども、老いた親たちを置いて、望んで兵士となったのだろうか。
 畑仕事やその他の、力のない者では苦労するだろう己の生業を置き去りにして。
 ――おそらく、それは、否。
 中には武功をたてんと望んだ者もあったのだろう。
 だが、家族を苦しめてまで兵士となろうと望んだ者はいまい。
 望む者も望まざる者も、否応なく巻き込んでいくのがこの戦国の乱世だ。
 そうだ、にしても同じこと。自分で選んだとは言ってはいても、望んで自らの故郷に攻め入り、親しかった家臣を殺したかったわけがあるまい。
 それでもは武人として、そうせざるを得なかったのだ。
 彼女を、武人たらしめているのは。
 ――家を守り、国を守るために、戦う以外の選択を許さない、この乱れた世だ。
 守るとは何だ。
 何のためにこの槍を振るう。
 どうしたら、この眼に映る民たちが、そしてが、笑って生きられるようになるのだろう。
「・・・・・・!」
 ひとつの思考が、頭に生まれる。
 そのような、皆が笑って生きられるような世に、なればいいのだ。
 そのためには――
「ッ!!」
 がきり、と音がして、思考が途切れる。敵兵の具足が砕けた音だ。中身も無事ではあるまい、その者を蹴倒して次の者へ槍を向け、
「――幸村様」
「甚八か!」
 槍を動かす手は止めずに応えると、甚八の静かだがこの乱戦中であっても通る声が聞こえてくる。
「この毛利軍、やはり陽動かと。本陣には確たる将の――毛利元就の姿がありません」
「何?ではまさか」
「南の海岸で、船影が発見されたとの由。そちらがおそらくは」
「そうか、」
 頷くが、しかしここでこの軍勢を放り出すわけにもいかない。
 ここを守りきって、それから取って返すより方法はないが、それまであちらはもつのか。
 ぎりと歯を食いしばる。
 手傷を負ったとはいえ鬼の名を冠する島津義弘と、風を使いこなすだ。
 信じるしかない。
「――正念場だ、奮えよ甚八!!」
 承知、と短く返答して、甚八の気配が消える。
 幸村は全身から炎を立ち上がらせて、止まることなく迫る敵軍を見据え、
「近からん者は眼にものを見よ!遠からん者は音にも聞け!!」
 槍を構え、吠えた。
「真田幸村、全力でお相手致すッ!!!」







 浜辺でも、乱戦となっていた。
「チェストオオォォォ―――!!!」
 轟音とともに、砂塵が舞い上がり、浜に上がろうとした敵兵たちを吹き飛ばしていく。
 一人斬り倒しながら、はその様子を見てわずかに眼を見張る。
 鬼島津の、鬼たる所以。示現の太刀の力だ。手傷を負っているとはいえ、人間の所業とは思えぬ剛力である。
 初めの船が接舷し始めてはや半刻は過ぎただろうか、浜辺に陣取る島津たち薩摩軍の力に、やがて船は様子を見るように沖に留まり始めていた。
 とはいえ、浜辺にあがってきている兵の数も半端ではない。
 圧倒的な物量差で畳み掛けるのが豊臣のやり方だ。
「――ふッ」
 鋭く息を吐く、その抜刀の刃で目の前の兵士の首筋を正確に狙い、その血飛沫を見届けずに身体を反転、背後から斬りかかってきた兵士を袈裟懸けに斬る。
 断末魔の悲鳴が耳に残る。眉根を寄せて刃を振るい、こびりついた血油を払う。
 息が乱れ始めている。
 不快に感じるのは暑さゆえか、それとも。
 思考を中断して、薩摩の兵に背後から斬りかかろうとした敵兵の前に滑り込む、刃は狙いを違わず、振り上げられた刀を腕ごと斬り飛ばした。
 悲鳴があがる、耳に突き刺さるようなそれに、は目の下に皺を刻む。
「す、すまねえ助かった!――おい、」
 薩摩の兵が振り返りながら礼を言い、の顔を見て言葉に詰まる。
「あんた・・・・・・、だ、大丈夫か?」
 は答えずに風を巻き上げながら次の敵へと駆けた。
 その背を見送った兵士に、近くにいた別の兵士が声をかける。
「おい、どうしたんだよ?」
「いやあの、武田のガキに助けてもらったんだが、アイツちょっとおかしいんじゃ」
「は?」
「なんだか、眼がどこも見てないっつうか・・・・・・うまく言えねぇけど、なんかおかしい」
 自分が話題に上っていることなど知る由もないは、絶えず刀を振るっている。
 あと、どれくらいだ。
 何人殺せば終わる。
 戦場に視線を走らせる。
 今のところ、五分に近くはあっても、戦況は薩摩軍の有利だ。
 鬼島津の立ち回りはさすがとしか言いようがないし、この圧倒的多数の敵軍を前にしても浮き出し立たない薩摩の兵たちはよく訓練されている。
 もう少しだ、そう思って刀を握る右腕に力を籠め、
「――さすがに鬼島津殿が相手では、簡単には行かないか」
 どこか場違いな、明るさすら感じさせる声が頭上から降ってきて、さらに己の足元に大きな影が落ちたのを見て、は風を使って横に跳んだ。
 どお、という音とともに砂塵が舞う。
 砂を防ぐために左手を翳して、眼を細めながらそちらを見る。
 降り立ったのは、大きな、それこそあの豊臣秀吉よりも大きな体躯。
「ぐはは、こげなとこでお目にかかろうとはのォ!長生きばしてみるもんじゃぁ」
 心底嬉しそうな、島津の声。
 砂塵が晴れて、その全貌には眼を見開く。
 全身を覆う甲冑は南蛮鉄だろうか。
 その手に持つのは、どういう仕掛けになっているのか、唸りを上げて穂先が回転している大槍。
 己の身体よりも大きなその者を見上げて、島津が口角を上げる。
「いつかの続きと行こうかのォ、忠勝どん!」
 甲冑の方は答えないが、その声に応えるように槍を構えたあたり、島津と何らかの因縁があるようだった。
 それより、今、島津は「忠勝」と言ったか。
 豊臣旗下で、「忠勝」という名の武人に心当たりがある。
「戦国最強、本多忠勝、か・・・・・・?」
 目の当たりにするのは初めてだったが、これが彼の武人であるならば「戦国最強」の名に納得もできようものだった。
 その巨大な身体から発せられる気が、どう考えても常人のものではありえない。
 そして、思い至る。
 本多忠勝は、徳川軍の武将だ。
 ということは、この場に。
 視線を巡らせ、視界を埋める兵士たちの向こうにその姿を認めた。
 戦場にあって、奇妙なほど軽装な男だ。
 防具といえば胴丸らしきものが着物の下にちらと見えるのと、両腕の手甲のみで、刀も槍も持っていない。
 山吹色の装束に記されている、三つ葉葵の紋を視界にとらえたは、己の身体の血流がざわりと動いたのを感じた。
 三つ葉葵は、徳川家の家紋。
 あの、男が。
「徳川、家康・・・・・・!」
 刀を鞘に納める、その硬質な音が頭に響いて、頭に昇りかけた血が幾分か引いて行った。
 息を吸って、吐く。
 立ちはだかる兵士たちをぎらりと見据える。
「――退け!」
 短く吠えて、風が爆発した。

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20120927 シロ@シロソラ
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