第八章 第七話

 東の空がかすかに白み始めたころ、館では軍議が始まっていた。
 上座には国主である島津義弘、その前には地図が広げられ、武蔵や薩摩軍の者たち、そして幸村以下武田軍も顔を揃えている。
 物見が持ち帰った情報、迫る軍勢の旗印は一文字三ツ星――毛利軍だった。
 豊臣との同盟は成立したはずで、そうであるならばあの厳島と同様連合軍として攻め入ってくるのだろうという思惑は外れたが、しかしその人数は寄せ集めの薩摩軍とは比べ物にならぬほど多いという。
「毛利の旗を掲げとるだけで、その実は豊臣の兵士も紛れておるのかもしれんの」
 報告を来いた島津が顎髭を触りながらそう言った。
 地図を見るまでもなく、この薩摩は九州の南端。北方から囲まれれば逃げ場はない。もちろん元より、逃げる気もないのだが。
「なに、いかに頭数が多かろうと地の利はこちらにある。武蔵、頼んだど」
「おうよまかせなじっちゃん!そいつら全員たこなぐりにしてやンよ、そしたら次はじっちゃんの番だぜ?」
「おお、わかっちょるわかっちょる。これはおまはんとの戦のいわば前哨戦よ」
 ぐはは、と島津が豪快に笑い、そして幸村の方に視線を向けた。
「幸村どんも、いっちょお頼み申す」
「元よりそのつもりでござりまする」
 幸村が頷くと、島津もうんとひとつ頷き、
「オイはここに留まりもす、毛利軍が陽動とも限らんでな」
「陽動?」
 幸村の問う声に、島津は「そうとも」と答える。
「あの毛利どんが何の仕掛けもなくただまっすぐ攻めてくるとは考えにくか。きっと何か、裏がある」
 島津の言葉を聞いて、幸村は地図に視線を落とした。
「裏、でござるか」
「豊臣が、毛利と同盟を結んだ理由じゃ。今の豊臣軍の勢いなら、安芸も四国も己の力でねじ伏せよったじゃろう、それをわざわざ同盟という方法を取ったのはなんぞ理由がある」
 そこまで言って、島津は幸村を見つめた。
「わかるかの、幸村どん」
「同盟の、理由・・・・・・」
 問われて、幸村は思案する。
 そのようなことを、これまで考えたことがなかった。
 敵とみなす国が同盟を結んだならば、その両国に勝てばいいだけのこと、そう思っていたのだ。
 しかし、今はそうは言っていられない。この薩摩の軍勢は、武田軍を合わせてもそれほど数は多くなく、限られた兵力で大軍を迎え撃つにはただがむしゃらに目の前の敵を倒せばいいというわけではないのだ。
「左様、相手を知ることが戦の第一歩よ」
「・・・・・・」
 黙りこくってしまった幸村に、島津は笑って言う。
「わからんなら、ひとつ助け舟を出すとするかの。豊臣が毛利との同盟を選んだは、毛利の力が必要じゃったから。つまり、豊臣にはなくて毛利にはあるもんがあるちゅうことね。それが何か、わかるか」
 島津は答えがわかっていて、幸村に問うているのだ。
 幸村は地図を睨みながら考える。
 豊臣秀吉の本拠地は大坂。ここから九州最南端の薩摩を攻めるには、もちろん安芸を経由しての陸からの攻撃も一つの手段だが、
「海路・・・・・・、水軍、でござるか!」
 幸村の声に、島津が笑って頷いた。
「その通りよ、ようわかりもしたな。豊臣も大坂に陣取っとるくらいだから水軍のひとつも用意し始めたかしらんが、やはり瀬戸内の水軍は年季が違う、豊臣としては遠い土地を攻めるのにどうしても毛利の水軍が欲しかったのだろ」
「では、北の軍勢が陽動であれば、本隊は海から?」
「であろうな。おそらくは南の海岸から、挟み撃ちにする算段かもしれん」
 幸村が慌てたように顔を上げる。
「ならば!我らもここに留まり、趨勢を見極めた方が、」
「できるならそうしたいがの、北の軍も無視はできん。オイらがやるべきことは、まず何よりこん土地の民を守ることじゃ。そんためには、北の軍は国境で食い止めねばならんね」
「っ、仰るとおりで、ござる、しかしここに留まられるのが島津殿だけでは!島津殿はまだ本調子では、」
「何、心配はなか、少しはこっちにも手勢ば残す。しかしそこまで幸村どんが言ってくれるならそうだの、」
 幸村の言葉を遮るように言った島津は、視線を幸村の後ろに控えるに動かした。
どんをこっちに残してはくれんね」
 これまで一言も発することなく、俯き加減に視線を落としていたが、その言葉にゆるりと顔を上げる。
 幸村は「は、」と一言言ってからからを振り返る。表情のないその顔を見て、幸村は一瞬言葉に詰まってから、口を開いた。
「・・・・・・お願いできるだろうか、殿」
 あの、徳川軍との戦の前、上田城に残るように言ったときには怒ったように声を荒げたは、しかし今回は平坦な面持ちでこちらの視線を向け、
「――承知いたした」
 と一言答えたのみだった。
 もちろん、あのときとは状況が違う。水軍が海から向かってくる可能性がある以上、残る方も戦に出るのだ。
 わずかに眉根を寄せてを見るが、はすでに幸村から視線を外している。内心で嘆息してから、幸村は島津に向き直った。
「では、武田からはこの者を残しまする」
「うん、恩にきっど」
 満足げに頷いた島津は、皆を見渡して膝を叩く。
「そうと決まれば、ぐずぐずはしておれん。皆、よろしゅう頼むど」
 応、と全員が口をそろえて答え、その場は解散となった。
 薩摩の兵士たちに続いて幸村達も立ち上がる。
 幸村は最後にもう一度に眼を向けたが、は背筋を正して正座したままこちらを見ようともしない。
 小さく息を吐く、それを見たのか武蔵が寄ってきた。
「なンだよお前、あのチビとまだ喧嘩してんの?」
 その言葉に、幸村はぴくりと眉を動かす。
 そしてどこか憮然とした表情で、武蔵に答えた。
殿はチビではござらぬ」
 参ろう、と言い置いて先に外に出ていく幸村の背を見つめて、武蔵は大仰に肩をすくめた。







 遠く空に入道雲が見える。
 青く澄んだ快晴、まっすぐと降りる陽の光は、砂浜に濃い色の影を作っている。
 視線の先は、穏やかに波をたてる紺碧の水平線。
 時折吹く潮風が、の深紅の陣羽織をはためかせる。
 島津を先頭に、と、ここに残った薩摩軍の兵士たちが、砂浜の木陰に陣取っていた。
 は左手を刀の鯉口にかけたまま、右の掌を見下ろす。
 痛みはずいぶんと引いたのだが、あの包帯は巻いたままにしていた。
 なんとなく、その方が身体の調子がいいように感じたからだ。
 この戦が終わったら、誰が処置してくれたのか聞かなければならない。おそらく館で働く女中の誰かなのではないかと思っているのだが。きちんと、礼を言わなければ。
 そう思いながら、ぐ、と拳を握った。そうすると自然と包帯の感触が右手に伝わるので、無理に握りこむことがなくなっている。
「――若いのにええ『気』を持っとるの、おまはん」
 唐突に話しかけられて、一瞬自分のことであると気付くのに遅れたは瞬きをして島津を見る。
「・・・・・・は、お褒めに与り光栄でござります」
 そう答えて型どおりに頭を下げたに、島津は眉を下げる。
「本当にかったいのォ」
 ぬうと島津の大きな掌が伸びて、の頭をぐりぐりと撫でた。
「!?」
 驚いたが眼を丸くする。その様子を見て島津が笑った。
「ええか、答えはいつだって一個じゃなか。一度決めたことだって、何度でも変えることはできよる」
 が、呆けたように島津を見つめる。
 その頭を、島津が今度は優しく撫でた。
「いろんなモンを見て聴いて、そんで考えんしゃい」
 その言葉にはもう一度瞬きをし、仏頂面で答えた。
「・・・・・・は」
 島津は苦笑のような息を吐き、そして海の方へと視線を移す。
「そろそろ、かの」
 示し合わせたように、木に登っていた物見の兵が声を張り上げた。
「島津様見えました!船、――水軍です!!」
 眼を細める、芥子粒のような船が、水平線にちらちらと姿を現し始める。
 島津は木の幹に立てかけていた、身の丈ほどもある大剣を肩に担ぐ。その肩の鎧と刃の峰が当たって、がつりと音をたてた。
「さァて、行こうかいの。こん人数じゃぁ、陣形も何もあったもんじゃなか。とにかく、相手を進ませんことが目的じゃ、突破されそうになったらオイに報せとくれ」
 兵士たちが応、と声を上げて頷く。
 満足げにそれを見て、島津がを見下ろした。
「おまはんも。真っ先に生命ば捨てそうな面構えじゃが、無茶はいけん。幸村どんもそれは望んどらん」
「は、」
 なぜそこで幸村の名が出るのだろう、そう思いながら、は表情を変えずに頷いた。

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水軍について一応調べてみたら、織田信長が持っていた水軍を、信長没後に秀吉が継いでいるようです。
ばさら界では信長と秀吉の間に主従関係がないので、秀吉独自の水軍はない、ということにしてみました。
20120927 シロ@シロソラ
http://sirosora.yu-nagi.com/