第八章 第五話 |
障子をあけると、強い日差しが刺さるように飛び込んできて、はわずかに眼を細めた。 朝からこうであれば、今日も暑い一日になりそうだと思い、開け放った障子から入ってくる空気を吸い込む。 「――失礼する」 障子の向こうの回廊から、甚八が姿を現した。 が表情を消して、そちらに視線を向ける。 「今日は、いかがされる」 短い問い。 は一瞬考えるようなそぶりを見せて、そして短く答えた。 「すまないが」 その返答を聞いて、甚八がじ、とこちらを見る。 この忍びは、どこか小太郎と似たところがあるとは最近思い始めていた。 口数は少ないが、こうやって視線や仕草で話しかけてくることがある。 その視線から逃げるように、は眼を逸らした。 「・・・・・・謝るなら、相手が違うのでは」 甚八の、その静かな声に、はわずかに眉を動かした。 「・・・・・・わかって、いる」 「そうか」 では御免、と言い残して、甚八は姿を消す。 しばらくの間、誰もいなくなった回廊の床板の木目を見つめてから、は視線を上げる。 雲一つなく晴れ渡った、目に痛い程に青い空。 「・・・・・・わかっては、いるのだ・・・・・・」 つぶやきは、今朝一番の蝉の声にかき消された。 今日で、三日目になる。 幸村と、喧嘩をした。 ・・・・・・喧嘩、というのだろうか。 正確には、言い争いをしたのだ。この薩摩に辿りついたその日、よりにもよって国主たる島津義弘の面前で。 島津には翌日早々に詫びに行ったが、気にするなと言われた。 そしてそれ以来、幸村と顔を合わせていない。 そう、避けているのだ。 思い出すと今でも腹が立つ。 はっきりとものを言わない幸村が悪いのだ。なのになぜ自分が怒られたのかわからない。 ――幸村から、明確な怒気を向けられたのも初めてだった。 あの、戦場でなければ温和な幸村が。声を荒げたのだ。 ただ事ではあるまい。 それが自分に向けられたものだとわかって、は内心衝撃を受けた。 その怒気が怖かったという感情が、混乱に拍車をかけて、は今もぐるぐると腹の底で考えを巡らせている。 なんだというのだ。わたしが、何をしたと。 そんな状態であるものだから、幸村と顔を合わせられない。 会ってしまったら何をどうしたらいいのかがわからない。 だから、会いたくない。 向こうも同じ気持ちなのだろうか、やり取りは全て甚八を介して行われていた。 昨日から、武田からの一行は、この薩摩の軍とともに、来る毛利・豊臣との戦に向けて修練を行っている。甚八を介して、にも幸村から誘いはあったが、ひとりで鍛錬をすると言って参加していない。 は幸村の家臣であるので、この態度は全く褒められたものではないとわかっているのだが、わかっていてもどうすればいいかわからないのだ。 まるで、子どもだ。 なんということだろう。 幸村と出会ってからというもの、自分がいかに器の小さい、みっともない人間であるのかを、まざまざと思い知らされる。 細く長く、息を吐く。 とにかく。 ひとりで鍛錬、という言葉は嘘ではない。 そう、とにかく今は、力を得ること。 は刀を差すと、回廊へと歩き出た。 館の裏の森に入った。 頭上に燦と輝く太陽の光は幾分か遮られているが、鬱蒼とした森はじめじめと暑い。ここにくるまですでにうっすらとかいた額の汗を、は手の甲で拭う。 背の低い木が倒れたり、幹に抉ったような傷痕がある場所まで来て、立ち止まる。 木々の傷は昨日ここで行ったバサラの鍛錬でついたものだ。 昨日のうちに、島津にはこの森を使うことの許可をもらっていた。 眼を閉じ、風に意識を向ける。 己の身体から、同心円状に広がるような動きを想像する。 ざあ、と風が巻いて、近くの木に停まっていたらしい鳥たちが驚いたように飛び去った。 同じように逃げたのか、虫の音も聞こえなくなる。 ひとつ、息を吐く。 あの、厳島の戦いにおいて目の当たりにした絶対的な力。少しでも、あの力に近づくにはどうすればよいかをあれから考えて、そして得たひとつの答え。 自分の身体から離れた場所の風を、動かすこと。 これまでは、自分の身体の動きの補助として、その手足の周りの風を動かして戦ってきた。 一対一の戦いであれば大抵の相手には引けをとらないその戦い方は、しかし先の戦のような多数を相手取るにはどうしても無理がある。 ならば、戦い方を変える必要がある。 どうすればいいか、その答えは、実は初陣のあのときから頭にはあったのだ。 ――あのときの、バサラの暴走。 力を使ったそのときのことは記憶から抜け落ちてしまっているが、結果として相対した一部隊のほとんどを、風の力だけで撃退したのだ。 思い出す。 あのときの、眼の前の死屍累々。 何かに「引きちぎられた」屍の姿。 あれは、己の、風の力が引き裂いたもの。 そういう使い方が、できる力なのだ。 すなわち、自分の身体から離れた場所に風の渦を作る。それも嵐のような、強い風の。それにより、敵を弾き飛ばしたり、うまく巻き込めば引き裂いたりすることが、できる。 もちろん力を暴走させるわけにはいかない。というより、自分から意識して「暴走状態」になれるわけはないので、自分で力を操作して、味方を巻き込まずに敵だけを倒さなくてはいけない。 すう、と眼を開く。 前方、ここからは二十歩ほど離れた場所に立つ木に狙いを定める。 意識を風に移す。まずは持ち上げた右腕の周りに風が集まり始め、そうではないと風を動かす。 轟、と耳元で風が唸る。 ――違う、「ここ」じゃない。 自分の周りではなく、目標は見据える先だ。 右腕を、目標の木へ突き出す。 みしり、と木のへし折れる音。 目標より手前の木々が、幹を傷つけられてゆっくりと倒れていく。 「・・・・・・ッ」 鼻から、息を吐く。 まだだ。まだ精度が低すぎる。まだ実戦には使えない。 時間はないのに! 焦るように拳を握って、右の掌の包帯の感触に、僅かながら頭が冷えた。 時間がないのは事実だが、ここで右手を傷つけても何の利にもならない。 厳島で勝った豊臣・毛利軍は、戦後処理が終わればすぐに九州に攻め入るだろう。 なぜなのかはわからないが、このところの豊臣軍の動きはとにかく早い。 そもそも魔王・織田信長が倒れてからまだ半年もたっていないのだ。織田全盛期はひっそりとなりを潜めていた豊臣軍は、明智光秀を討った山崎の戦を皮切りに、怒涛の勢いで日ノ本全土に手を伸ばしている。 恐らくはまた、あの厳島のように大軍を送り込んでくるのだろう。 乱戦は必至、そうなればやはりバサラに頼らざるを得ない。 正確に自在に風を動かさなければ。 集中しろ、と己に命ずる。その顔に、びっしりと浮かんだ汗をぬぐうこともせず、はひたすら風に意識を向け続けた。 |
20120925 シロ@シロソラ |
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