第七章 第九話 |
海を越えて九州に入るころ、季節は夏に進んでいた。 ゆらゆらと、空気が揺らいで見える。 眼がおかしくなったのだろうかと思って軽くこすってから、は空を見上げる。 掌を庇のようにかざして見上げた太陽は、ぎらぎらといっそ凶悪に、輝いている。 前を行く幸村の背も、どこかふらついているように見える。 道端の草木は、見たことがない鮮やかな色合いで、地面に色濃く影を落としている。 じりじりと肌を焼く暑さの中、幸村一行は徒歩で進んでいる。 「――殿、」 幸村がこちらを振り向いた。 「顔色が優れぬ。大事ござらぬか」 差しだされた竹作りの水筒を、は手で制した。 「貴方こそ汗の出方が尋常じゃない。水分を摂った方がいいだろう」 「う、うむ、そうか――」 そう言って、幸村は眉根を寄せる。 「あれは・・・・・・!?」 「幸村様!」 部下たちの声に、幸村とは前方に視線を向ける。 道の先に、人影が見えた。 いずれも男で、数は七人。 武士だろうか。 刀を下げている者もいる。農作業用の鍬らしき者を構えている者もいる。鎧を纏う者もいるが、揃えた設えではなく、ひどく軽装だ。 彼らに向かって、幸村が一歩、前へ出た。 「――貴殿らが、この薩摩を守っている方々でござるか!」 男たちは答えない。 幸村がさらに一歩、前へ進む。 「我らは甲斐・武田の使者でござる!島津殿に目通り願いたく、」 男たちはお互いの顔を見合わせるようにして、 唐突に踵を返した。 「!」 「ま、待たれよ!」 森へと逃げていく男たちの後を追って、幸村が駆け出す。 「幸村様!」 「追うぞ!」 部下たちがその後を追う。 はその様子を見つめ、 「・・・・・・誘い込まれて、いるのか?」 そう呟くと、風を使って地を蹴った。 鬱蒼とした森に入った。 やはり木々や草の様子が、小田原や甲斐とは違う。 耳に聞こえる、葉擦れの音に混ざるようなそれが、人間の吐息と気づいて、は眉をひそめる。 視界を遮る蔦を切り払って、は幸村に追いついた。 「――幸村殿!」 「殿」 「これは罠だ、囲まれている」 「そうであろうな」 幸村の声は存外静かだ。 「いいのか」 聞くと、幸村は頷く。 「ああ、我らはここに戦いに参ったのではござらぬ、」 「――やいやいやい!見たか!おれさま印の伏兵戦術!」 幸村の声を遮って現れた人物を、は見据える。 少年、と見えた。 日に焼けた肌、爛と光る双眸は子どものようで、片手に木刀、もう片手には木製の長い板――櫂だろうかと、は思う――を掲げている。 少年とともに、幸村一行を囲むように男たちが現れる。 先ほどよりも人数が多い、やはり誘い込まれたのだと考えて、は左手を刀の鯉口にかける。 重心を落としかけたを、幸村が手で制す。 「幸村殿、」 「申したであろう、殿。戦うために参ったのではござらぬ」 幸村の言うことはもっともで、は刀から手を離す。 そうだ、自分たちがここにいるのは薩摩と同盟を結ぶためだ。 ここで事を荒げるわけにはいかない。 「――貴殿が、この者たちの長でござるか?」 幸村がその少年をまっすぐと見つめる。 少年は答えない。 「某は真田源二郎幸村、甲斐の国は武田の使者にござる!この地を統べる、島津義久殿に目通り願いたく、」 「あァん?」 少年がこちらを探るように見て、 「じゃあ――」 至極楽しそうに、にいと笑った。 「たこなぐりにしてやるよ!」 振り下ろされた木刀を幸村が腕で防ぐ。 それが合図であったかのように取り囲んでいた男たちが次々と打ちかかってくる。 「ッ!」 とっさに刀を抜こうとしたは、しかし先ほどの幸村の言葉を思い出して腕を止め、そのまま横に跳んで振るわれた刀を避けた。 「皆の者!この者たちを傷つけぬようにお願いいたすッ!!」 幸村の指示が飛び、部下たちが応、と答える。 その声を聞いて、は目の下に皺を刻むと、刀を鞘ごと抜いた。 「――くらえ!おれさま必殺!」 「ぬっ!目つぶしとは、卑怯なッ!!」 突進してきた男の構える槍の穂先を刀の鞘でいなしたは、幸村の方を振り返る。 汗が眼に入って沁みる、ぐいと拭ってそちらへ駆ける。 茹だる暑さが身に纏わりつくようで不快だ。ぐら、と頭が揺れるような感覚があったが、無視して地を蹴る。 「幸村殿!」 「へっへーだ、お前のかーちゃんでーべそー!!」 「何を言うか!母上はそのような!!」 「・・・・・・」 は眉間を押さえて息を吐く。 この少年は、おそらく生真面目な幸村が最も苦手とする相手だ。 風を使って二人の間に舞い降り、振り下ろされた櫂を鞘で受け止める。 「――殿!」 「とりあえずこの少年を黙らせればよいか、幸村殿」 「い、いやその、」 「なんだァ?おめぇが相手か、チビ!」 櫂を弾き返しては鞘に納めたままの刀を正眼に構える。 「――失礼な。わたしの背は貴方とそう変わらぬ」 実は自らにとっても、この少年は相性の悪い相手であることに、は気づいていない。 「へーんだ、くらえ!おれさま必殺ぅ!!」 先ほど幸村にしてみせた、砂を使った目つぶしかと構えるに、少年が途中で動きを止める。 「ん?おめぇ・・・・・・」 何だ、と刀を退く、少年が両の手の武器を放る。 その両腕が躊躇なくの胸元に伸びた。 「なーんだ、女かァ!」 完全に虚を突かれたは、妙にゆっくりと己の胸を鷲掴みにしている少年の腕を見下ろし、 「な、き、」 背後から、幸村の声が聞こえる。 「貴様ぁ!!!」 轟、という音とともに、熱波が頬を撫でていく。 次の瞬間、を庇うように幸村の背が視界を遮った。 木々の合間から太陽の光が降る、その炎が黄金色に照らされての視界を埋め尽くす。 ああ、いつ見ても、 貴方の炎はきれいだ―― その視界を、真白が塗りつぶした。 その音に、幸村が振り返る。 「殿!」 が、倒れている。すぐに駆け寄ったのは甚八で、彼に抱き起されたの顔は、紙のように白い。 「ばっか、おめぇその火をしまえよッ!」 少年の声に、幸村がぎらりと双眸を光らせる。 「何を言うか、貴様!」 しかし眦を釣り上げた幸村に、少年がまくしたてるように怒鳴った。 「早くしな!その子は熱に中てられてンだ!」 「なっ」 狼狽えた幸村の炎が揺らぐ。 「あーもう!とりあえずじっちゃんのとこまで案内してやるよ付いて来い!」 舌打ちしてから頭を掻いて、少年はそう言って踵を返した。 躑躅ヶ崎館の屋根の上、気配で佐助は仮眠から目を覚ました。 見上げる空はまだ宵闇、しかし東の空はわずかに明るい。夜明けが近いと悟る。 腕を掲げると、羽を散らして一羽の鴉が舞い降りる。 佐助の腕に触れる直前、鴉は闇に霧散して文へと姿を変える。 落ちてきたそれを掴んで、佐助は短く息を吐いた。 もう少し愛想ってモンはないのかよ。 文を遠くへ飛ばすために鴉に化けさせる忍術は、真田忍隊の全員が使えるものだが、どうやら術者により鴉の性格にばらつきが出るらしい。 特に厄介なのは小介の鴉で、まっすぐ宛先の人物の元へ向かえばいいものを自分の気に入った人物に「寄り道」したりするから性質が悪い。 片腕で文を振るって広げ、その内容に眼を走らせる。 甚八らしい武骨な字体が、必要最小限のことだけを記している。 「・・・・・・!」 その内容にわずかに眼を見開いて、佐助は姿を消した。 「――そうか」 佐助の報告を聞いて、病床の信玄は唸るように言った。 「小山田信茂、家臣の誰よりあれを見込んでおった。――惜しい男であった」 「やはり、真田の旦那には荷が重すぎます。かくなる上はこの俺が九州へ、」 「――よい」 「しかし、」 信玄がぎょろりとその眼を動かす。 「よい。お主にはお主の役目があろう。それに、」 この数日でまた、その頬が削げるように落ちたと佐助は感じる。 「こういうこともあろうかと、あれにはを付けた」 その言葉に、佐助は無言で眉を動かした。 の様子についても、甚八は報告をあげてきている。 「・・・・・・サンも本調子ではないようですが」 「何、どのような調子であれ幸村の役には立つだろう。――あれが、真の強さを理解するには不可欠な人間だ」 ――相変わらず人使いの荒いことだ。 佐助の冷めた視線の先、信玄はつぶやくように言う。 「まこと、あのおなごを手に入れたは得策であったのう」 「・・・・・・は」 一切の温度を感じさせない表情で、佐助は思った。 ――アンタのじゃねぇよ。 |
20120914 シロ@シロソラ |
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