第七章 第八話 |
爆発音、炎の柱が立ち上って、その場にいた兵たちを吹き飛ばした。 幸村のバサラの残滓、その熱風が頬を撫でていくのを感じながら、は刀を振るう。 その額に、汗が滲み始めていた。 眼の前の兵の首を薙ぐ、高く上がる血飛沫と断末魔の悲鳴、それを聞きながら、返す刀で次の兵の胸を突く。 刃が、肉を貫く、感触。 それが、ひどく不快に思えて、眉をひそめる。 「・・・・・・ッ」 何をしている。 余計なことを考えるな。 立ちはだかる者は全て敵だ。 そうやってこれまでも、数えきれない生命を奪ってきたではないか。 何を今更。 刃を引き抜く、崩れ落ちる兵士の、苦悶に満ちた表情が眼に焼付く。 「おのれェ!!」 風に意識を集中する、背後から斬りかかってきた兵士の槍が空を切って、背後に現れたがその背を一閃する。 息が、上がっている。 風は使っているが、そもそもどれだけ速度を上げようと、また一撃の重さを強くしようと、刀一振りで倒せる人間は多くても一人だ。百人倒そうと思えば百回、千人倒そうとするなら千回、刀を振るわなければならない。 だから、手加減をする、余裕はない。 余計なことを考えている時間はない。 いつもどおり一撃必殺、いかに一人を早く仕留めるかに、全てがかかっているというのに。 動きが遅い、思考が遅い、判断が遅い。 自分自身にいら立ちながら刀を振るって、刃に付いた血を払う。 要塞は、まだ遠い。 目を凝らせば、その甲板で繰り広げられている戦いの様子が見える。 時折見える爆炎。 あれが、長曾我部元親だろうか。 見たことのない形状の、巨大な刃を持つ槍を振り回す男の姿が見える。あれが、西海の鬼と呼ばれる男の力。幸村と同じ、炎のバサラ持ちであるようだ。 しかし形勢はやはり、豊臣秀吉の有利だ。 長曾我部元親の攻撃にはびくともせず、その拳がここまで轟音を響かせ、あの巨体に似合わず身軽な跳躍を見せている。 あんな人間が、この世に存在するのか。 斬りかかってきた兵士を避けて、戦場に視線を戻す。 刀を振るう腕を休めぬまま、辺りを見渡す。 幸村の炎は相変わらず紅蓮の鬼の異名を証明する威力を発揮しているが、その槍の動きが、 ・・・・・・鈍って、いる? もちろん矛先が鈍っていても足軽兵が相手取れるようなものではない。一振りで幾人もの兵が薙ぎ倒されていく。 だが、例えば以前、伊達政宗と衝突したときの動きとは、比べようもなく精彩を欠いている。 手傷を負ったかと一瞬思うも、見る限りはその様子はない。 足元には死屍累々が転がっている。そしてその中には武田菱の外套姿も、含まれている。 何人やられたのだろう、そう考えた視界の端、ひとり奮戦する信茂の姿が映る。 「幸村殿に、活路を!!」 武士(もののふ)らしい、美しい太刀筋だと思った。 しかし多勢に無勢の形勢は、覆せない。 ひとりの兵士にとどめを刺した信茂の背を、四方から槍兵が狙っているのが見えた。 危ない、そう思って足元に風を寄せて、 ――バサラを使った直後の幸村の背を狙う兵士の姿が見えた。 「ッ!!!」 足元で風を爆発させる、その力を使って戦場を縫うように跳び、その兵士を下から掬うように斬る。 腰のあたりから首元まで一直線に切り裂いた、その傷口から大量の血飛沫が溢れ、生暖かいそれがの顔にかかった。 ・・・・・・キモチワルイ。 「殿!」 気付いた幸村が振り返る、は着物の袖で顔を拭って幸村を見上げた。 「背中が、がら空きだ」 「・・・・・・、すまぬ」 そして、視線の先。 予期した通り、背後から槍で貫かれ、倒れる男の姿。 小山田殿、と叫ぶ部下の声が、ここまで届く。 「な、小山田殿ッ!?」 幸村がそちらへ駆け寄ろうとし、それをは止めようとして、 これまでで最も大きな爆発音がして、地が揺れた。 「なんだ、」 は振り返って、 ――崩落する要塞を見た。 爆発はまだ続いており、やがて要塞は炎に呑まれる。 その炎に照らされて、戦場を睥睨する、男。 何をどうしても敵わない、その豊臣秀吉の姿に対して、はどうしようもないほどの恐怖を覚えた。 陽が、沈む。 割れた海は水がなくなったのではなく、豊臣秀吉の一撃により一時的に他方へ散っていただけで、戦の終焉とともに波となって押し寄せて戻った。 崩壊した要塞も、海に沈んだ。 命からがら撤退したたちは、たどり着いた岸辺でその様子を見つめている。 小山田信茂をはじめ、半数以上の兵を失った。 視線を動かせば、幸村がうずくまっている。 申し訳ござらぬ、と嗚咽交じりに繰り返して。 それは信茂への、そして海の藻屑と散った者たちへの、謝罪。 その背を見つめながら、はぎりりと拳を握る。 幸村を守りたかった。 その、守るという言葉が意味するところは、彼の身体に傷をつけないこと、死なせないこと、それだけではないのだと思い知る。 は、幸村の笑顔がすきだ。 その笑顔こそ、守るべきものだった。 握りしめた拳を見下ろす。 女の細腕の、なんと小さな拳であることか。 己の無力を、ここまで呪ったことはない。 足りないのは力だと、思った。 今日の戦の、あの体たらくはなんだ。 太刀筋、先読み、判断、すべてが遅かった。 もっとうまく立ち回れていれば、信茂は死なずにすんだのかもしれない。 あの瞬間、信茂と、幸村を天秤にかけて、自分は幸村を助けることを選んだ。 ――選ばざるを、得なかったのだ。 この戦乱の世を切り拓いていくだけの力が自分にあったなら、どちらも守れたのだろう。 たとえば、あの恐怖すら感じさせる豊臣秀吉のような力が、あれば。 幸村のその笑顔を守ることができるのか。 気配を感じて、は我に返った。 見ると、甚八がこちらを見下ろしていた。 「・・・・・・大丈夫」 言い聞かせるように、は言う。 「わたしは、大丈夫だ」 そして、幸村に歩み寄る。 その肩に手を置こうとして、触れる寸前、拳を握って腕を戻す。 「――幸村殿」 幸村は俯いたまま、しかし嗚咽が止まる。 はその正面に膝をつき、幸村を見据える。 「先を急ごう。ここで留まることを、小山田殿は望まれない」 「殿・・・・・・」 幸村が顔を上げる。 その眼にはすでに涙はない。 「――すまぬ、そなたの言うとおりだ。先を行こう」 そう言って立ち上がる幸村の瞳が、を映すことはない。 はその背を見つめながら立ち上がる。 そう、幸村はそうやって、自分にそのこころの内を明かさない。 何に悩んでいるのか、何がその矛先を鈍らせているのか。 それを、に明かすことはないのだ。 彼のことだ、余計な心配をかけさせまいとしているのだろう。 握ったままだった右の拳に痛みを感じて、我に返って見下ろす。 掌に、血が滲んでいる。 着物の袖でその血を拭う。 そして、その右の掌を見つめる眼の下に、皺が刻まれる。 このところ同じことを繰り返しているので、掌は傷だらけ、治りきらないものが化膿しかかっている。 ――『ああもう、あなた考えに煮詰まったからって自分を傷つけるのはやめなさい』 頭の奥に、声が聞こえる。 そうだ、特に右腕を傷つければ太刀筋に影響する。今は、このようなことをしている場合ではないというのに。 ・・・・・・黄梅院様。 わたしは、どうすべきなのでしょうか。 佇むの背を見つめながら、甚八が腕を振るう。 カアと一声、鴉が舞い上がって、夕闇に染まる空を東へ飛んで行った。 |
20120912 シロ@シロソラ |
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