第六章 第八話 |
小田原城三の丸付近、あたりを見渡せる屋根瓦の上、器用に片足だけで座って頬杖をついている佐助のもとに、配下の忍びが現れる。 今回、佐助は表立って武田の陣列に加わっていない。 色々と理由はあるが、一番大きな理由は、風魔小太郎の出現に備えるためだ。 あの日、確かに致命傷を負わせたが、死体が確認できていない忍びが死んだなどと、間違っても判断してはいけない。 だが、いまだに風魔小太郎の気配はない。どうやら本当に小田原城には戻っていないらしいと判断していた。 「――どうした」 「『根』より報告」 「うんそれなら見てた」 そして、ここに陣取ったもう一つの理由。 東山一郎という男の存在は、のことを調べた段階で掴んでいた。 その男が、ここから見える場所の陣を張ることも、事前に調査済みだった。 は裏切らない、そう思ってはいるが、万に一つの可能性として、気の迷いが生まれるとすれば、その原因はあの男だと、佐助は考えていた。 ここからなら、いつでも殺れる。 頬杖をついていない片手は、常に手裏剣に触れていた。 「・・・・・・ほんと、真面目すぎってのも、考え物だよなぁ」 「それがあの方の覚悟なのでしょう、いい子じゃありませんか」 「・・・・・・才蔵」 傍らに立っている忍びを、じろりと睨む。 「嫌ですね、私は何も言ってませんよ?」 「俺様も何も言ってないよ」 くすくすと笑うその顔が目障りで、佐助は視線を戦場へ戻す。 うずくまっていたが、立ち上がったのが見える。 眉根を寄せた、何かに耐えるような表情、その眼に涙はない。 「・・・・・・ちゃんが、本気の覚悟を示したんだ」 の視線が、すうとこちらに動く。 かなりの距離があるのだが、こちらが見えているようだと思って、佐助は笑って手を振った。 「忍び(俺ら)もあの子を、支えてあげなきゃね」 先ほどから時折爆炎が上がっていた天守閣に、一際大きな炎が弾ける。 その途端、地鳴りのような声が、波のようにこちらに伝わってくる。 勝鬨だ。 「――終わった、か」 佐助はそうつぶやいて、立ち上がった。 佐助が見ていた。 ここからはかなりの距離がある屋根の上だったが、手を振っているのがかろうじて見えたから、こちらの様子を確認していたのだろうと判断する。 情けない姿は見せられない。 そう思って、顔に力を入れる。 両腕に抱くように抱える、首が重い。 敵将の首級をあげたのは何もこれが初めてというわけではない。 だが、重いと感じたことは今までなかった。 人の頭は、これほどまでに重い物だっただろうか。 あるいは、一郎の首だから、だろうか。 天守閣の方向から、鬨の声が伝わってくる。 北条氏政が、討たれたのだ。 「・・・・・・ちゃん」 声がかかって、振り返る。 動く敵兵の姿はすでにない。 声をかけてきた小介と、その横の甚八を見て、はまず、頭を下げる。 「助かった、ありがとう」 「何いってんの、戦なんだから当然だよ」 小介の眼が、気遣わしげにこちらを見ている。 その眼を見つめ返して、は小さく口の端を上げる。 「――大丈夫だ」 そして、踵をかえす。 先ほどの方角を見上げると、佐助の姿はもうない。 「わたしたちも、行こう」 しっかりとした足取りで、天守閣を目指して歩いて行くの背中を見つめながら、小介がぽつりとつぶやく。 「・・・・・・大丈夫なのかな」 「・・・・・・」 甚八は答えず、その小さな背を見つめ続けた。 先ほどまでの戦闘の傷痕が生生しく残る本丸広場では、戦後処理である首実検が始まっていた。 大将である信玄に、自らの功績を報告するため、討ち取った敵の首級を見せる場だ。 もその列に加わりながら、ふと、広場の一角に植わっている木に眼をやる。 つぼみが膨らんだ、桜の木だ。 そういえば御本城様はこの桜が好きだった、と思い出す。 気が早いことにすでに朱色の毛氈が敷いてあって、今年も宴が催される予定だったのだろうと思う。 何度かここで催された花見の宴に、も参加したことがある。 宴というものが嫌いだった。いらぬ当てこすりを言ってくるような輩もいたし、酔っぱらいの酒臭いにおいも嫌いだった。 それでも命じられれば参加しないわけにはいかなかったから、酒を覚えた。 そんな中、花見の宴だけは嫌いではなかった。 この小田原の桜が、好きだったから。 ――もう、この桜の花が咲くのを、見ることもないのだろう。 「――如何した、」 信玄の声が聞こえて、我に返る。 いつの間にか自分の番だった。 息を吸って、床几に腰掛ける信玄の前に歩み出る。 抱いていた首級を、信玄から見えるように掲げる。 「・・・・・・北条が家臣、東山一郎重信を、討ち取りましてござります」 視界の端、信玄の傍に控えていた幸村が顔色を変えたのが分かったが、はまっすぐと、信玄だけを見据えた。 「――ふむ、確かに。ようやった」 形通りに信玄がそう言って、はその場で平伏する。 ちらりと視線を動かせば、「ご本城様」――北条氏政の首級もそこにある。 これで、終わったのだ。 ただ乾くだけのこころで、はそう思った。 引き揚げが始まる中、勝利の喜びに沸き立っている兵たちの間に、一際眼を引く紅の陣羽織の背中を見つけて、幸村は駆け寄った。 「――殿!」 肩を掴むと、びくりとその背が揺れる。 「・・・・・・殿?」 何だろうか、ひどく嫌な予感がして、幸村は恐る恐る、その肩を引き寄せる。 ゆっくりとした動きで、がこちらを振り向いた。 「・・・・・・幸村殿」 その顔には、表情がなく、そして血の気が引いて真っ青だった。 思わず幸村は息を呑む。 「ッ、殿、お怪我はござらんか」 見たところの身体の動きにおかしいところはなく、着物を染める緋色は返り血であろうと想像できた。 は答えない。 幸村は眉根を寄せて、口を開く。 「・・・・・・その、殿が討ち取られたあの者は、」 ――『一郎といって、わたしの乳兄弟なのだが、これがもう礼のなっていない男で煩いことこの上なかった』 以前、が言った言葉が思い出される。 先ほど首実検でが発した名は、東山「一郎」重信。 まさか、偶然ではあるまい。 ゆるり、とが眼を動かす。 その瞳が、ひたりと幸村を見据える。 あの、警戒心や敵意を抱いているときの温度のない眼ではない。 しかしその眼には、何の感情も宿っていない。 ゆっくりと、が瞬きをした。 再び開いたその眼に、光が宿る。 蒼白だった顔にも、血の気が差す。 「――見事な働きであったそうだな、幸村殿」 穏やかな口調で、その口の端はわずかに上がっている。 「わたしならば、このとおり怪我もない。貴方も無事のようで、何よりだ」 そう言う、の、笑顔。 幸村は、己の背筋に、ざわりと、何か冷たいものが奔るのを感じた。 何だろう。 この目の前のの、ささやかな笑顔に感じる、 ひどい、違和感は。 |
20120810 シロ@シロソラ |
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