第六章 第五話

「漲るうぅぅゥゥぁァ!!!!」
 騎馬ごと炎の化身と化した幸村が、北条方の足軽兵をなぎ倒して進んでいく。
 遅れないように馬を駆りながら、はその有様をどこか他人事のように見つめていた。
 凄まじいな、と思う。
 これが、甲斐の若虎、紅蓮の鬼との異名を持つ真田幸村だ。
 武田軍のうち、幸村が率いる一軍は、栄光門の開門のためにまず外側の曲輪(くるわ)に張られた陣を落とすことから始めている。
 できるだけ派手に、見せつけるように、しかしあまりに彼我の力の差を見せつけては逆に敵方が門の内側に籠ってしまうので、ある程度手を抜いて、陣取りを進めている。
 ――とはいえ、幸村に手を抜けとは無理な話で、結局は幸村ひとりが爆炎を撒き散らして進むなか、以下の騎馬隊は手を出さずに後を追うに留めていた。
 最後の陣が落ちて、幸村が声を張り上げる。
「相模の獅子たる北条軍の力がこの程度であるはずがあるまい!この幸村がお相手致す、勇んで参られよッ!!」
 その声が、聞こえたのかどうか。
 地響きのような轟音を響かせて、ついに栄光門が開く。
 出陣のほら貝の音が、ここまで届いた。
「――往くぞ、皆の者!目指すは天守、大将首でござる!!」
 




 栄光門をくぐってすぐ、その一軍に気が付いて、は手綱を引いて馬を止めた。
殿!?」
 気づいた幸村が進軍を止めてこちらを振り返る。
「先を行ってくれ、幸村殿」
「何を、」
 幸村の視線の先、馬から降りたは、その一点を見据えている。
 の視線を追ってそちらを見る、北条の三つ鱗の旗印を掲げた一軍。
 その軍を束ねる将が、こちらに気づいて進軍を止めた。
「ここはわたしに任せてほしい」
「しかし!」
「頼む。わたしは新参だ、手柄のひとつくらいたてさせてくれ」
 言いつのろうとする幸村を遮るように、はそう言って、こちらに顔を向ける。
「さあ、行け!」
 その瞳に宿る力強い光を認めて、幸村は頷いた。
「――我に続け!」
 馬の腹を蹴ってそう叫んでから、幸村は鋭く言う。
「甚八、いるな」
「は」
 瞬時に傍らに現れた忍びに、そちらを見ずに命じる。
殿を、頼む」
「御意」
 短い返事にうなずいて、幸村は馬の腹を蹴った。





 ふと、小田原城の、その壮大な天守を見上げる。
 この城を。守ろうと、生きてきた。
 ――だが。
 視線を戻す。
 出撃のほら貝の音や、剣戟、怒号が、どこか遠くから聞こえるように感じる。
 視線の先、引き連れた足軽兵たちを留め置いて、一歩前に歩み出た男を見据える。
「――久方ぶりだ、一郎」
「ああ、そうだな」
 北条家直参の家臣となり、この栄光門付近に陣を張っていた男、東山一郎は、穏やかに笑って、を見つめた。
「お元気そうで、何より。ずいぶん立派な陣羽織じゃないか」
「ああ、そうだろう?わざわざわたしのために、仕立てていただいたそうだ」
 がそう言って口の端を上げるのを見て、一郎はわずかに眼を見張る。
「――お前、ちょっと変わった、か?」
「・・・・・・お前はいい加減口のきき方を、」
 言いかけて、は言葉を切る。
「いや、もうお前はわたしの臣ではないのだったな」
 そして、右手を刀の柄にかけて、重心を落とす。
 の視線の先で、一郎が刀を抜いて、正眼に構えた。
「お互い、覚悟はできてるってとこか」
「そのようだな」
 何故だろうか、戦中であるにも関わらず、音が消えた。
 ちりちりと、痛いような静寂が、二人の間に落ちる。
 いつも傍らで刀を振るってきた一郎の実力は、が一番よく知っている。
 そしていつでもを見守ってきた一郎は、の戦い方を一番よく知る男だ。
 だから、互いに動かない。
 相手が動くのを、待っている。
 どこからか飛んできた、流れ矢が、二人のちょうど間に突き立った。
「――ッ!!!」
 それを合図に、二人は同時に地を蹴る。
 鋼と鋼がぶつかる、硬質な音が響いて、は自分の耳に音が戻ってきたことに気づいた。
 一郎の振り下ろした刃と、の抜刀の刃が火花を立てて擦れあう。
「・・・・・・それは、真田の六文銭か」
 一郎がの陣羽織を見て、言う。
 は頷く。
「そうだ。わたしは、真田幸村殿に仕えると、決めたから」
「――驚いたな、甲斐に行ったんだからてっきり武田に士官するんだと思ってたのに」
「わたしが、考えて、決めた結果だ」
「へえ?」
 甲高い音が耳を劈く、互いに弾かれたように背後へ跳び、間合いをる。
「そうか」
 一郎の声は、どこまでも穏やかだ。
「お前は、やっと、自分の生きる道を自分で考えるようになったんだな」
 こんなに静かな男だっただろうかと、は思う。
 いつでももっとうるさかったと、記憶しているのだが。
「なら、祝いついでだ」
 そう言って、一郎は笑う。
「これでも北条直参の家臣だ、この首持って行け」
 はそれを、わずかに眉根を寄せて見据える。
「・・・・・・簡単に取らせるつもりはないのだろう」
「そりゃあそうさ」
 一郎が刀を構える。
「これでも十六年間、お前の兄貴分だったんだぜ」
「・・・・・・ああ、そうだな」
 は一度刀を鞘へ戻し、風に意識を集中した。

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20120806 シロ@シロソラ
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