第六章 第四話

 騎馬で進む行軍の音は、どろどろと、地鳴りのように腹に響く。
 先を行く幸村の背、十字に負った二槍と、その下の六文銭を見る。
 そして、左手を手綱から離して、自らの陣羽織に触れる。
 この背に負うのも、真田の六文銭。
 眼下に広がる、広大な小田原城を、は見下ろす。その顔からは、表情が抜け落ちている。
「――案じ召されるな」
 真横から声がして、そちらに顔を向けると、そこに長身の忍びが立っていた。
「甚八」
 名を口にすると、忍びが馬上のを見上げる。
「貴方の御身は何があっても守るようにと、長から命じられている」
「・・・・・・それは、佐助もずいぶんと過保護なことだな」
 何があっても、という言葉を、佐助が発したのだろうか。
 つまりは、この戦でが北条方に寝返るようなことはないと、信じてもらえたということだろうか。
 そう思うと、何故かこころが暖かくなるような気がした。
「心遣いはありがたいが、この戦はわたしが越えねばならぬものとなるだろう」
 は再び、小田原城へ視線を移す。
 その眼に、光が灯る。
「だから、わたしが小田原の誰と戦うこととなろうとも、手出しは無用だ」
 甚八はの横顔をしばし見つめ、
「承知」
 と言い残して姿を消した。
殿?」
 やりとりが聞こえたのか、幸村がこちらを振り返る。
 は馬を数歩進めて、幸村の横に並ぶ。
「何かござったか」
「いや、何も」
「――幸村よ」
 頭上から重い声が降ってきて、は馬を退けて背後を振り向いた。
 二頭の馬の上に仁王立ちしている信玄が、幸村を見下ろす。
「貴様、あの城をどう攻める」
「は!本丸を目指すには、あの大きな門を通らねばなりませぬが、」
 幸村の言葉につられるように、は小田原城のその一角を見つめる。
「まずはこの幸村が一番槍として突撃いたしまする!」
「――止めたほうがいい」
 拳を握る幸村に、は声をかけた。
「な、なぜでござる!」
「あれは『栄光門』、これまで幾多の戦から小田原城本丸を守ってきた門だ。南蛮鉄が使われていて、種子島(鉄砲)や大砲も効かない。下手に突撃をすれば、貴方が怪我をする」
 の静かな声に、幸村はぬう、と唸る。
「――では、お主なら何とする」
 信玄の重い声が聞こえて、はゆっくりと瞬きをした。
 斥候に出ている佐助たちが遠からずその情報を掴むかもしれないが、今この場においては、自分だけが知る、小田原城の攻略方法。
 それを、は口にした。
「――堅牢な門は、内から開けさせるのがよいかと」
「ほう?」
 信玄を見上げる。顎に手をやっている信玄は、虎の眼でこちらを、そして小田原城を見下ろす。
「小田原城には、北条氏政をはじめとして、これまでの北条家の隆盛から、矜持ばかりが高い者が多くおります。そのため、少し挑発すれば、自ずと内から門を開けて出撃してくるかと」
「なるほどのう」
 の言葉に信玄はにやりと笑った。
「やはりお主をこちらに引き入れたは、得策であったな。――幸村よ!そういうことだ、一番槍は貴様に任せるぞ!!」
「はッ!!この幸村、必ずや!!」
 幸村は再び拳を握り、騎馬隊を振り返る。
「では参るぞ!真田幸村、一番槍を頂戴いたす!!」
 応、という声とともに、騎馬隊が進軍を始める。
 それを満足げな表情で見やる信玄を一度見上げてから、は幸村の後を追うべく手綱を握った。





 小田原城を臨む森の木々を縫って、忍びが動く。
 佐助は、背後に現れた気配に、口を開いた。
「――どうした」
「『根』より、報告」
 部下の声に、わずかに眉を動かす。
「本丸に至る『栄光門』は、敵軍を挑発することにより内側から開けさせるとのこと。幸村様が、一番槍として出陣されました」
「・・・・・・へェ」
 広大かつ堅牢な小田原城に相応しい、巨大なあの門をどうするか、佐助も思案していたところだった。
 確かに内側から北条方に開けてもらうのが一番楽だ。
 「根」からの報告、ということは。
「――それを進言したのは、ちゃんか」
 部下が是と答える。
 彼女も、覚悟を決めたということだ。
 こころの内を占めるのは、安堵が半分、そして危惧が半分。
 彼女は、故郷を攻め落とすことに、耐えられるのかどうか。
 以前の――出会ったころの彼女なら、相手が誰であろうと斬り捨てることができたのだろう。
 だが、幸村と接して、少なからず「心」を得た今の彼女は。
「・・・・・・ほんと、こういうとき旦那って厄介だよねぇ」
「は?」
「いやこっちの話。で、『根』はちゃんとちゃんについてんだろうね?」
「――そのことですが、こちらも報告があり」
 佐助が初めて部下を振り返る。
様より、誰が相手でも手出しをするなと命じられたとの由」
「・・・・・・あの子らしい」
 どこまでも、真面目で律儀。
 その姿が、どうしても幸村と重なる。
「ったく、厄介なご主人の相手は旦那で手一杯だってのに」
 そう言いながら、しかしその声色にはわずかに笑みが含まれていることに、忍びは気づいているのだが、間違ってもそんなことは口にしない。
「『根』に伝えろ、判断は任せるけどが命を落とすことだけは許さない」
「承知」
 短く答えて部下の気配が消えると同時、小田原城の虎口(出入口)付近で爆炎が上がり、わずかに遅れて轟音がここまで届く。
 眼を細めてそれを見て、佐助は手裏剣を構えた。
「・・・・・・始まったか」

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20120806 シロ@シロソラ
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