第六章 第二話 |
躑躅ヶ崎を発って数日、幸村一行は上田城に到着していた。 城とは言っても小田原城のような立派な天守閣があるわけではなく、の印象としては要塞に近い。 城内には水堀が張り巡らされ、さらに入り組んだ造りになっていて、慣れなければ迷いそうだ。 旅の道中、この上田城は真田家の先代・真田昌幸によって建てられたのだと幸村から聞いた。 上田の地は、もともとこの地の豪族であった幸村の祖父・真田幸隆が治めていたのだという。 後を継いだ昌幸は、越後や甲斐といった大国、あるいはさらに西の国々と対等に渡り合うべく、この地を守る砦として上田城を建てたそうだ。 後に武田信玄に仕官し、その能力を高く評価されることとなる昌幸だが、築城時にはもちろん武田軍に攻め込まれることも考慮していたのだろう、騎馬を寄せ付けない馬柵が城を取り囲むように設けられていた。 そもそもこの入り組んだ造りも、城内での戦を前提としたものなのだろう。 知略に優れた謀将という、真田昌幸の評価を窺わせる城構えだと思いながら、は今、案内された室で一人、腰を下ろしている。 先だって佐助が幸村に報告していたとおりなのか、一行は城の裏から、忍びたちに先導されて誰にも見られずに入城した。 自分の城なのだから堂々と正門から、下の者たちの出迎えを受けて帰還すればいいようなものを、今のところ下女のひとりも見ていない。 ここでしばらく待つようにと言い置いて、幸村は佐助を連れて行ってしまった。 できることが何もないので、は姿勢を崩さないまま、室内を見渡す。 躑躅ヶ崎の館と違い、調度の一つもない質素な室だ。 ふと思い立って、軽く板張りの床を叩いてみる。 その音を聞いてから、天井を見上げる。 さすがは真田忍びの本拠地だと思った。 床下にも天井裏にも忍びたちが行きかうだけの空間がありそうだ。 気配と足音が近づいてくるのに気付いて、は居住まいを正した。 足音の感じからして幸村だろうと考えて視線を動かした先、障子が勢いよく開く。 「えっと、殿!」 その声の調子がわずかにいつもと違うような気がしたのだが、現れた幸村はにこにこと笑顔を浮かべながらこちらに駆け寄る。 「長旅にお疲れではござらぬか!」 「・・・・・・は、問題はない」 何だろう。 この目の前の幸村は、いつもと何かが違う。 笑い方も声の調子も身のこなしも、すべて幸村のものだというのに、何か、違和感が。 「ときに殿、」 の眼前で腰を下ろした幸村が、笑顔のまま言う。 「抱いてもよろしいか?」 「・・・・・・は?」 眼の前の幸村は、 今、何と? 「――何をしている」 低い声がして、幸村との間を隔てるように、一人の男が降り立った。 おそらく天井から降りてきたのだろう、音を立てないその仕草から忍びだろうかとは考える。 その忍びを見て、幸村が、およそ彼らしからぬ嫌そうな表情をした。 「何ッだよ邪魔すんな甚八」 「邪魔をしなければ、何をする気だった」 「何ってナニ言わせる気ィ?」 「・・・・・・幸村、殿?」 忍びの背越しに、は幸村の様子を窺う。 これは、別人、か? しかし幸村は、こちらを見て笑顔を浮かべる。 いつもの、あの笑顔。 「何でござろうか、殿」 「いい加減にしろ、小介」 忍びがそう言って、幸村の額を軽く小突いた。 「痛ッた!」と額を抑えているのを無視して、こちらに向き直る。 「ご無礼を」 そう言って頭を下げられて、はいささか焦る。 「いや、その、貴方たち、は?」 忍びが頭を上げて、こちらを見る。 「・・・・・・真田忍隊、根津甚八。この者は穴山小介」 「『ハジメマシテ』、ちゃん。ちゃんって呼んだほうがいい?」 「・・・・・・と申す。もわたしの名だが、の方が呼ばれ慣れている故、そう呼んでいただきたい」 はとりあえずそう言って、甚八と名乗った忍びと、「幸村」を見比べる。 「・・・・・・変化の、術か?」 忍びの術には、別人に化けるものもあると聞く。 しかし、「幸村」――小介というらしいその男は幸村の笑顔のまま首を横に振った。 「いーや、これ地顔。俺元々こういう顔で、声なの。幸村様とよく似てるでしょー?」 似ているという次元の話ではないような気がする。 「しっかしちゃんてば聞いてたよりずっとかわいいね!幸村様なんてやめて俺にしときなよー」 「・・・・・・はあ」 何をだろう、と思いながらがとりあえず相槌を打ってみたのと、 「何をやってンのかな、お前は」 そう聞きなれた声がして、小介を上から押しつぶすように闇色を滲ませて佐助が現れたのが同時であった。 「ちょっとッ!痛い痛い痛い佐助!」 あの佐助が「幸村」を足蹴にしている、なんという奇妙な光景かとは思う。 「長って呼びなこの馬鹿」 あの佐助が「幸村」に馬鹿と言った、なんという以下略。 「ちょ、マジ、痛いってば長ァ」 「なんだ、ここにおったか小介」 開けたままだった障子の向こうから、幸村が現れて、は思わず今佐助に押しつぶされている「幸村」と見比べる。 「幸村さまあぁ、佐助がいじめるー!」 「旦那、今すぐこいつ殺してもいーい?」 わざとらしく泣き真似をして幸村に助けを求める小介と、あからさまな殺気を隠さない佐助を、は呆けたように見つめる。 幸村が苦笑しながら、の傍らに腰を下ろした。 「耐えよ佐助。小介もいちいち佐助の手を煩わせるな」 「てゆうか、何でお前が勝手に出歩いてンの?仕事はどうした」 幸村に言われて渋々といった風に脇に退いた佐助に、小介はけろりとした表情で答える。 「え?だって幸村様帰ってきたからもういいかなと思って」 「引き継ぎを済ませるまでは終わりではないぞ小介」 同じ人物が目の前で会話をしているように見えて、は二人の顔をまじまじと見つめてしまう。 その視線に気づいて、幸村は眉を下げた。 「驚かせたようで申し訳ござらぬ、殿。この小介が、上田の城代でござる」 「・・・・・・貴方の振りをしていた、ということか?」 「左様。この小介は某とよく似ておる故、某が城を空ける際には某の振りをさせておりまする」 「・・・・・・つまり、事情を知らない者は貴方が城を空けているとはわからない、と?」 それは厳密には城代と言わない気がする。 しかしこの小介が幸村の振りをして上田城に留まっていたのなら、先ほどの裏からの入城は合点がいく。 この城の、下々の者たちは、幸村が城を空けていたことを知らないのだ。 幸村は笑顔を浮かべて頷いた。 「左様にござる。しかし、小介からの引き継ぎを終えてから皆に殿を紹介しようと思っておったが、これでは改めて場を設けるのも難だな」 「そう思って呼んどいたよ、旦那」 佐助の声と同時、室内にどこからか人影が現れる。 現れたのは七人、佐助・小介・甚八と合わせて十人。 これが真田幸村の家臣たちであるかと、は背筋を伸ばして彼らを見つめた。 「皆の者、躑躅ヶ崎に同行しておった者たちは存じておろうが、こちらは殿だ。我が真田家にてお預かりすることとなった故、よろしく頼む」 幸村が、家臣たちを見回してそう言ったので、は手をついて頭を下げた。 「と、申しまする。きたる戦に向け、まずは戦力としてお役にたつよう尽力いたしますので、よろしくお願い申し上げまする」 家臣たちの中には佐助をはじめ、忍び装束の者もおり(というか出現のし方からして、忍び装束を纏っていない者もその本性は忍びなのかもしれない)、おそらく自分の名前や出自は筒抜けなのだろうとは思ったが、幸村が皆へ紹介という形をとったので、作法通りに礼をしてそう言った。 その心の内を察してか、佐助が苦笑してひらひらと手を振るのを、は表情を動かさずに無視する。 「殿、紹介いたす。佐助はよいとして、その横が才蔵」 確か、正月の武田漢祭の際に声をかけてきた忍びだと気付く。 「霧隠才蔵と申します」 やわらかな微笑みで、そう言って頭を下げられたので、も頭を下げた。 「それから――」 それぞれの名前を聞いて、そのたびにはまっすぐとその人を見つめた。 皆、只者ではないと感じる。 戦となれば、彼らは大きな力を発揮するのだろう。 「――して、佐助、殿のひとまずの世話役だが」 が驚いて幸村を見る。 「殿?」 気づいた幸村が首を傾げた。 「幸村殿、わたしは貴方に士官したつもりなのだが」 「うむ、某もそのつもりにござる」 「ならば、わたしに世話役などいらないだろう」 「しかしここでの生活に慣れぬこともおありだろうから」 家臣にわざわざ世話役をつけるのが真田家の伝統か何かなのだろうか。 そう考えていると、佐助の声が聞こえた。 「居心地悪いんならさ、サン、監視だと思ってくれたらいーよー」 そのへらへらとした笑顔に視線を移す。 「何を言うか佐助ッ」 「似たようなモンでしょ、そりゃ旦那と俺様はそこそこサンの人となりを知ってるわけだけど、皆がそうってわけじゃないんだしさ」 佐助の言葉に幸村は眉を跳ね上げ、慌てたようにに向き直った。 「な、殿、監視などと、決してそのような」 「貴方がそういう発想をしないことは、わたしもわかっている」 幸村の様子にわずかに眉を下げながらは言う。 「しかし猿飛、いや佐助の言うとおり、監視と思えば気が楽なのも事実なれば、」 「えっ何何ちゃんてば見られて興奮するほうなの?気が合うね」 「・・・・・・お前は黙っていろ」 小介が茶化すようにそう言うのを、横の甚八が窘める。 佐助が嫌そうに口を曲げた。 「ほんとにさァ、お前は旦那の顔でそういうこと言うんじゃないよ」 「なんだよこれは俺の顔だ」 またも佐助と小介は言い合いを始め、才蔵以下ほかの家臣たちは慣れているのか二人を見守っていたり、苦笑していたり。 そのやり取りに、は小さく笑った。 「なんというか、にぎやかだな」 「うむ、」 幸村も笑う。それは誇らしげな笑顔だった。 「某の、家族でござる」 「家族、か」 「殿も、家族でござるよ」 「・・・・・・」 家臣は幸村にとって家族なのだから、幸村の家臣となったも等しく家族なのだと、は自分に言い聞かせる。 それ以上の意味はないのだ、この男の言葉には。 佐助が小介の言い分を聞き流しながら言う。 「それで、サンの監視っつうか世話役だけど、甚八、お前に任せるから」 声がかかった甚八が頭を下げる。 「承知」 「えーなんで!俺は!?」 小介が手を上げてそう言うのを、佐助が半眼で見つめる。 「お前だと色々危ないからだめ」 「ッンだよ佐助に言われたかないねー隙あらば手ェ出したいとか思ってンだろー?」 「・・・・・・ほんとに殺すよ?」 不穏な空気が漂い始めた二人の間に、才蔵が割って入った。 「はいはい、その辺にしなさい二人とも。長、子どもの言い分にいちいち目くじらたてないでください。小介、長はむっつりを隠しているのだから言及してはいけませんよ」 笑顔のまま才蔵がそう言い、いよいよ佐助の殺気が濃くなった。 「うんとりあえずお前から逝こうか才蔵」 「はい、この才蔵めがお役御免であればいつでもどうぞ」 にっこりと笑う才蔵、脱力する佐助、囃し立てる小介。それを見守る家臣たち。 は傍らの幸村を見上げる。 「いつも、こうなのか」 「そうでござるな、だいたいいつもこのような感じでござる」 「そうか、それは・・・・・・」 なるほど、家族とはこういうものなのかと、は思う。 「・・・・・・楽しそうで、いいものだな」 |
20120801 シロ@シロソラ |
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