第五章 第十二話 |
お茶にしましょう、と言われて、は厨まで茶を汲みに行き、室に戻ってきた。 黄梅院に茶を出しながら、言う。 「さきほど、梅の木に蕾がついているのを見ました」 「ま、あなたが花のお話をする日が来るなんて」 「・・・・・・」 最近何を言っても黄梅院はこの調子だ。 以前の自分はそれほどまでに、季節の移り変わりにすら興味がないような人間に見えていたのだろうか。 ・・・・・・事実、そうだったのかもしれない。 黄梅院は笑顔のまま茶に口をつけ、 「あら」 「!なにかおかしな味でもしましたか、」 「いいえ、あなたお茶淹れるの上手になったわねぇ」 そう言われて、はわずかに顔を赤らめた。 確かあれは年末、初めて佐助が淹れた茶を飲んで、自分の茶のとの違いに少なからず衝撃を受けたのだ。 それ以来茶を淹れるたびに、その場にいる女中たちに美味しい淹れ方を訪ねている。 色々な人の意見を参考に試行錯誤を重ねた結果今の味に落ち着いたが、まだ佐助には敵わないと密やかな闘志を燃やしているのだった。 「それで、風魔小太郎、と言ったかしら?その忍びは、どうなったの」 「・・・・・・わかりませぬ。ただ、」 の脳裏に、あの光景が甦る。 小太郎の胸元を突き破った、佐助の手裏剣の刃。 「・・・・・・恐らく、命はないものと」 そう言うの表情を、黄梅院は見つめる。 「親しい人、だったの」 問われて、はしばし逡巡し、頷いた。 「――は。わたしの、剣の師でありました」 それでも、と続ける。 「あの忍びが敵となることは覚悟の上でした。そしてそれ以上に、――猿飛殿に万が一のことがあればという感情が、勝りました」 「まあ」 黄梅院がわずかに目を見張る。 「あなたはトビザルさんが嫌いなのかと思ってたんだけど」 は驚いたように目を丸くして、そして眉を下げた。 「・・・・・・そう思われても無理はないかとは存じますが、わたしはあの忍びを信用ならないと思ったことはあっても、嫌ったことはございませぬ。こちらに来てからは、幸村殿以上に世話なったこともございますれば、礼をせねばならぬとも考えております」 その言葉に、黄梅院はにこりと笑みを浮かべた。 「だ、そうよ?いるのなら降りてらっしゃいな」 「え」 の表情が固まるのと同時、音を立てずに佐助が降りたった。 「黄梅院サマ、当てずっぽうで俺を呼ばれてもいないときだってあるんですよ」 「何よだいたいいるじゃない」 「猿飛殿!」 思わずが腰を浮かせる。 「怪我は!」 「うんもう平気ー」 「嘘を言うなあれから二日しかたっていないぞ」 「だから、こうやって天井裏を動くくらいには平気ってこと」 そのやりとりを、黄梅院がくすくすと笑って見つめている。 「・・・・・・、笑わないでください黄梅院様」 「だってに誰かの心配ができるようになったなんて」 だから以前の自分はどれほど人でなしだったのか。 はあきらめて息を吐いた。 そう、大事なのはこれからだ。 「で、トビザルさん。聞いてたでしょ?があなたにお礼がしたいそうよ」 「ッ、」 本人を前に言わないでほしいとは思ったが、どうせ会話が聞かれていたのなら同じことだった。 こちらに向き直る佐助を正面から見据えて、は口を開いた。 「猿飛殿にはこれからも、世話になることがあろうかと思う。わたしは、これからの身の振り方を決めた」 佐助はその言葉を聞いて、驚いたように言葉を無くし、そして頬を掻いて苦笑した。 「サンはそれで、いーんだね?」 「ああ」 は小さく笑みを浮かべて、うなずく。 「わたしは、貴方や幸村殿が好きだ。貴方たちの心からの笑顔を、この先も見たいと思った。だから貴方たちの傍にあろうと、そう決めた」 まっすぐと眼を見つめられて言われたその言葉に、佐助は言葉を失った。 「・・・・・・」 黄梅院が扇子を広げて、息を吐く。 「・・・・・・、」 佐助が漸く、口を動かした。 「サン・・・・・・、も少し言葉を選ぼうよ・・・・・・」 その顔が、わずかに赤い。 「ま、トビザルさんもそんな顔するのね」 「からかわないでください」 「その言い方にそっくり」 「だから、・・・・・・ッ」 本当にこの女は苦手だ。 佐助は心の底で吐き捨てるようにそう思ってから、を見た。 「・・・・・・サンがそう思ってくれて、俺様は嬉しいよ」 「そうか」 そう言って口の端を上げる彼女の、そのささやかな笑顔のなんと眩しいこと。 眼を奪われそうになって、佐助は瞬きをした。 「それで、大将への報告は?」 「謁見の許しは得ている、ちょうどこれから報告に上がる予定だ」 「それ旦那も聞いたほうがいいと思うから、呼んどくね」 「そうだな、かたじけない」 が頭を下げると、「忍びに頭を下げるんじゃないよ」と言い残して、佐助の姿が滲んで消えた。 黄梅院がそれを見て、感慨深げに言った。 「トビザルさんも難儀なことねぇ」 「は?」 は黄梅院に向き直る。 「いいえ、こっちの話よ、――ッ、」 笑顔だった黄梅院が突然身を折り、口元を抑える。 「黄梅院様!?」 咳き込んだ黄梅院に、は狼狽えた声を上げた。 「だ、大丈夫、よ、」 咳が収まった黄梅院が、息を整えながら言う。 「ちょっとお茶が別のとこに入っちゃっただけ、もう大丈夫」 「・・・・・・左様で、ございますか、」 「大丈夫だってば。ほらお父様のところに行くのでしょう、しゃんとなさいな」 そう言われて、は背筋を伸ばす。 その様子を、黄梅院は満足げに見つめた。 謁見の広間に入るのは、正月以来であった。 と、その傍らには佐助が呼んできた幸村がいる。 足音が聞こえて、二人は平伏した。 足音の主の思い声が、降ってくる。 「面を上げよ」 「は、」 言われて頭を上げる。 初めてその姿を見たときから変わらぬ威厳をその身から発して、信玄は腰を下ろしていた。 「前置きはよい、そなたの思うところを申してみよ」 挨拶を口にしようとしていたはそう言われて、一度口を引き結び、まっすぐと信玄を見つめる。 虎の眼はこちらの心のうちまで射抜いているようだ。 は口を開く。 「先日頂戴いたしました、この甲斐での――信玄公への士官のお話につきまして、」 その決意ゆえか、のこころは穏やかだった。 眼前の信玄に対しても、威厳こそ感じてはいるが、これから話すことに緊張はない。 「――恐れながら、お断りを、申し上げまする」 「ッ、殿!?」 傍らの幸村が、驚いた声を上げた。 「幸村、よい」 信玄が窘めるように言い、に視線を戻す。 「それは残念なことよ。して、それではそなたはこれからどうするのだ」 「は」 は一度、幸村を見た。 驚きのためか、何やら複雑な表情をしている。 視線を信玄に戻す。 「わたしは、この真田幸村殿に士官いたしたく、その許可を信玄公にいただきとう存じ上げまする」 「なんと!?」 やはり幸村の、驚きの声がする。 信玄はの重い声が、広間に響く。 「ふむ、儂では不服であるか」 は表情を変えずに、答えた。 「いいえ。ただわたしは、真田家の為にこの力を使おうと、決意した次第」 信玄がしばらくを見つめ、そして大きな声で笑った。 「はは、成程のう!やはりそなたは面白い!どうだ幸村、殿はこう言っておるぞ」 「は、その、」 幸村は混乱しているようでしばらく「あの」とか「その」とか言っていたが、ふとを見る。 が見つめ返し、小さく笑って頷いた。 それを見て幸村は頷き返し、まっすぐと信玄を見据える。 「――、お館様のお許しをいただけるのでしたら、この幸村、殿を、真田家にてお預かりいたしたく」 「ならばよし!」 そう言って信玄は膝を叩いて立ち上がる。 「、その方これをもって、真田幸村の臣といたす!」 「拝命いたします」 そう言っては平伏した。 頭上から、笑みを含んだ信玄の声が降ってくる。 「幸村の下はなかなか大変ぞ、奮うがよい」 それを挑戦と受け取って、は頭を上げ、信玄を見据える。 その口の端に、笑みが宿った。 「殴り合いも、ご覧に入れてみせましょう」 「殿!?」 幸村が狼狽した声を上げ、信玄が再び大きく笑い、 「・・・・・・いやそれはやめて」 天井裏で、佐助が大きくため息を吐いていた。 |
20120730 シロ@シロソラ |
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