第五章 第十一話

「――殿!!!」
 声が聞こえて、気づけばの身体は抱きかかえられていた。
 視界の流れる速さが、元に戻る。
 雪の上を滑るように着地する。
 暖かい腕に覚えがある、見上げると予想通りの顔がこちらを覗き込んでいる。
「大事ござらぬか!」
「幸村殿、大丈夫だ、降ろしてくれ」
 幸村の腕の中でもがくように身体の向きを変えて、は小太郎の方を見る。
「ほんと、どーしちゃったのアンタ。こんな簡単に背後を取られるなんてさ」
 いつもどおりの軽い口調が聞こえて、は内心安堵を覚えながら、しかし口からは、崩れ落ちるその名が漏れ出た。
「小太郎!!」
 その身体が黒い羽に埋もれる。
 その最後、小太郎の顔がこちらを見た、ような気がした。
 風が吹いて、羽が飛ばされていく。
 月明かりの下、そこには満身創痍の佐助だけが立っていた。
 無事というには程遠いその姿に、は眼を見開く。
「猿飛殿ッ」
 駆け寄るのと同時、佐助ががくりと膝をつく。
 それを見て足では間に合わないと判断して風で低く跳ぶ。前のめりに倒れるのを寸前のところで受け止めた。
「猿飛殿、」
「佐助!」
 後から幸村が追いつく。
 佐助の身体を仰向けに抱き起す、成人男性にしては軽いと頭の隅で思いながら、腰を支えるように手をまわし、
 生暖かい感触が伝わってきた。
 思わず掌を見て、の顔から血の気が引く。
 そこにべたりと張り付く、大量の血液。
「さるとび、どの、」
「そんな顔しないで」
 にこりと笑って、佐助が手をついて身を起こした。
 そしての顔を覗き込むように見つめる。
サンが無事でよかった」
 どうしてそんな顔で、そんなことを言うのか。
 は眉根を寄せる。
「旦那、サン怪我してるから連れてって」
「な、わたしは、それより貴方が!」
「ま、待て佐助!今薬師を、」
 うろたえた声を上げるふたりを交互に見て、佐助は眉を下げる。
「ちょっと、旦那まで何言ってんの、いつものことだよ、俺様は大丈夫」
「貴方は馬鹿なのか!!大丈夫なはずが、」
「馬鹿者!その出血、ただ事ではなかろう!!」
 ふたりから同時にそう言われて、佐助はげんなりと息を吐いた。
 あんたらが似てるのはよくわかったから、馬鹿馬鹿言わないで。
「・・・・・・、旦那、俺様よりサンのが危ないから」
「何ッ!?」
「風魔小太郎、あいつヤバい毒使ってる。早く処置しないと、サンの命が危ないよ」
 悲痛な表情を作ってそう言えば、幸村はわなわなと震えて傍らのを見る。
「だから!貴方はさっきから何を言ってるんだ!」
 そう言って眉を跳ね上げるの身体を、幸村が問答無用とばかりに抱きかかえた。
「ッ、ことは一刻を争う!佐助、殿をまず運ぶゆえ、お前はここでじっとしておるのだぞ!!すぐに戻る!!」
「いやだから、幸村殿――うわ!」
 抱き上げられたは、なおも言いつのろうとして、急に幸村が加速したので舌を噛みそうになる。
「うん旦那、よろしく」
 遠ざかる幸村の背を眺めながら、佐助はひらひらと手を振っていた。





 ふたりの姿が見えなくなってから、佐助はひとつ息を吐いて右腕一本で身体を支えるとのろりと立ち上がった。
 そして、雪の上に落ちていたものを拾い上げる。
 風魔小太郎が懐から取り出した、何か。
 に見られないようにわざわざ倒れた振りをして、身体の下に隠していたのだ。
「・・・・・・」
 月明かりの下でそれを見る。
 小さな紙の包みだった。
 臭いを嗅いでから、包みを開く。
 現れたのは、ずいぶんと可愛らしい造形の、干菓子。
 こんなに凝った作りのものは、この辺りでは売っていない。近江あたりか、下手をすれば京の都まで行かなければ手に入らないのではなかろうか。
「・・・・・・」
 佐助はしばらく無言でそれを見つめる。
 あの風の悪魔が、後生大事に懐に抱えて、に渡そうとしたもの。
「・・・・・・ほんと、間に合ってよかったよ」
 手甲に包まれた掌が、包み紙ごと干菓子を握りつぶす。
「あの子はもう、旦那のものなんだから」
 じわりと、佐助の足元から闇が這い出る。
 その中に沈みながら、佐助は笑った。
「悪い虫が寄り付かないようにしなきゃぁ、ねぇ」
 そのまま佐助の身体は、闇の中に沈んで消えた。

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20120729 シロ@シロソラ
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