第五章 第九話 |
じ、と音をたてて、燭台の火が揺らいだ。 「あら、風?」 黄梅院の声に、が眉を動かす。 「・・・・・・妙な、風でございますね」 「春の嵐、にはまだ早いわよねぇ」 黄梅院はそう言いながら扇子を閉じた。 「それで、もう怪我は大丈夫なの」 「は、すでに痛みも熱も引いております。お見苦しいところをお見せし、申し訳ございませんでした」 平伏するに、黄梅院は苦笑する。 「あなたが謝ることじゃないわ、大事に至らなくて本当によかった」 「・・・・・・幸村殿と、猿飛殿のおかげです」 はそう言って、頭を上げる。 視線は黄梅院から外さずに、気配を探った。 先ほど黄梅院を訪ねてこの室に入った時も思った。珍しい、と。 監視が、いないのだ。 佐助の気配どころか、忍びの気配自体が、この館内に感じられない。 その理由は後で考えるとして、とりあえずはとは黄梅院に意識を戻す。 聞かれていないなら、それに越したことはない。 「――黄梅院様」 「なぁに、改まって」 居住まいを正したの様子に、黄梅院扇子を持つ手を降ろして言う。 「わたしは、決めました」 黄梅院はわずかに眼を見開いた。 「――聞かせて頂戴」 「は」 そうして、は、その決意を黄梅院に伝えた。 ごう、と一際大きな風の塊が、佐助が今立っている木に当たり、枝が揺れて、葉がざわざわと音を立てた。 佐助はその中で微動だにせず一点を見つめている。 佐助は風が嫌いだ。 特に強い風は、その音のおかげで他の音が聞き取りにくくなる。 薬を燻しても煙はすぐに立ち消えてしまうし、臭いが拡散してしまうから鼻も利かない。 だいたい妙な風だ。 こんな風が、今の季節に吹くはずがない。 ざわ、と木々が揺れる。 佐助はふわりと宙に舞い、右腕の肘から先だけを動かした。 ・・・・・・よりによって、こんな夜に。 佐助の手から放たれたクナイは、音を立てずにその一点を目がけ風の間を縫うように進み、 「――あるいは、アンタの仕業なのかな」 黒い羽が舞って、クナイはそのまま地面に突き立つ。 次の瞬間、佐助の手裏剣が目標を捕え、刃に弾かれる甲高い音が響き、手近な木の枝に着地した佐助は、向かい合うように同じく木の枝に着地した目標を見て、その口を笑みの形に歪めた。 「なぁ、『風の悪魔』サン?」 佐助の視線の先、腕を組んで枝に立っているのは、目までを兜で覆った忍び。 兜の向こうだからわからないが、こちらを見るようなそぶりをして、風魔小太郎の身から羽が滲み出る。 じゃ、と鎖の波打つ音、風魔小太郎の身体を拘束するように鋼の鎖が飛び、しかし羽の動きが一瞬早く、鎖の拘束から抜け出たその背後を、狙ったようにそこに現れた佐助の持つ手裏剣が襲い、風魔小太郎の忍刀に阻まれた。 刃を合わせたままぎりぎりと、力比べが続く。 「この先には、行かせないよ」 忍刀を弾く、細かな火花が散った。 その勢いを殺さず、宙返りをして木の枝に降り立つ。 佐助より低い木の枝に降りた風魔小太郎が、こちらを見上げて、両の手に忍刀を構えた。 「そうそう」 佐助は手裏剣を持つ手で、自らの肩をとんとんと叩く。 「こっから先に行きたきゃ、俺様を殺してからにしな」 風魔小太郎を見下ろすその眼に、昏い光が宿る。 その足元から、ずるずると闇が這い出る。 「――アンタにそれができれば、だけどね」 次の瞬間、黒い羽が散って佐助の眼前に風魔小太郎が現れる。 一切の躊躇も予備動作もなく、その手の忍刀が佐助の頭と胴体を切り離し、 「残念、ハズレ」 二つに分かれた分身が黒く溶けて消えるのと同時、背後を振り向いた風魔小太郎に、佐助の手裏剣が迫る。 闇に染まった森に、剣戟の音が木霊した。 初めの一撃で、気づいてはいた。 胸元を狙った一撃に、風魔小太郎は両手の忍刀で対応した。 片手でも十分太刀打ちできるというのに、だ。 そのおかげで、胸元以外の部分――たとえば足や背に、決定的な隙が生まれる。 森中に仕掛けた罠のほとんど全てと引き換えに、もう一度同じ攻撃をして、その隙が生まれることを確認した。 ――いったい、何だ。 風の悪魔らしからぬ隙だ。 忍びの戦いには理も法もない。あるのはただただ相手を殺す、その目的だけ。 その目的のためには、どんな手段も厭われない。 その致命的な隙は、罠であると考えるのが肝要だった。 「――ッく、」 思考の合間を縫うように黒い羽が舞う。やばい、と本能的に回避行動を取ったが左腕が間に合わない、 ――嫌な音がした。 なんとか体勢を整えて手近な枝に着地する。 目線は間合いの外に着地した風魔小太郎から離さない。 左手の感覚がおかしい。これは折れたな、と頭の隅で思う。 痛みを客観的に感じることには慣れている。問題は使える腕が一本減ったこと、それだけだ。 視界の先で腕を組んで佇む風魔小太郎には、大きく戦力を削げるような傷は残せていない。 対して佐助は追いつめられていた。 今しがた折った左腕はまだいい。骨は処置さえ適切にすれば綺麗に戻る。 それより気になるのは何手か前の交錯で切り裂かれた脇腹。出血量が多い。臓腑を傷つけているのかもしれない。 ここまで追い詰められたことはこれまでなかったのではないかと、佐助は思う。 流石は、風の悪魔だ。 口の中に溜まった血を吐き出す。 後がない。 佐助は腹をくくって、動かせる右手だけで印を結び、分身を生んだ。 分身二人と佐助本人の合わせて三つの影が、宙を躍る。 反応した風魔小太郎が跳び、そのうち一人に刀を浴びせ、分身が煙とともに消える。 「こんな手に引っ掛かるなんて」 次の獲物を探した風魔小太郎の眼前に闇を滲ませながら佐助が現れ、一直前にその胸元を狙った。 甲高い音が耳を劈く。狙い通り、手裏剣の刃は風魔小太郎が両手の忍刀で防いでいて、 「――どうかしてるよ?」 狙い澄まして現れた佐助が、動く右腕だけを振るう。 放たれたクナイが、両の膝に突き立った。 |
20120729 シロ@シロソラ |
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