第五章 第四話 |
焼けるような痛みが、脳天を突き抜けた。 「ッ」 「!」 駆け寄ろうとする黄梅院を手で制し、は即座にクナイを引き抜いて放る。 左腕の袖を上げると血が滲んでいる。躊躇なくそこに噛みつくように口を付け、血を吸って、吐きだしながら、風を使って跳躍、右腕で抜刀。 天井の板に太刀を浴びせ、みしりという音がして板が落ちるとともに、黒装束が現れる。その右腕から放たれたクナイを刀で弾き返す。 目的が果たせなかったためか、黒装束はすぐに踵を返し、 「逃がすか!」 は低く飛んで黒装束の足元を薙ぐ。その刃は正確に、黒装束の足の腱を捕える。 「――ッ!」 黒装束が倒れたところでその身体を蹴って仰向けにし、その上に馬乗りになって左腕を足で押さえつけ、右の掌に刀を突き立て板の床に縫い付けると、その勢いのまま歯で自分の着物の右の袖を噛み千切って、布を丸めて黒装束の口に突っ込む。 これで舌を噛んで自害もできない、そこまでやってしまってから、はふー、と息を吐いた。 黄梅院は初めにに駆け寄ろうとした姿勢のまま、固まっている。 瞬きをする間の、出来事だった。 「お見事」 よく知った声が聞こえて、は足元でもがいている黒装束から眼を離さずに口を開く。 「わざとか、猿飛殿」 「そう、思う?」 「この程度の忍びを、貴方が取り逃がすとは思えない」 「やだな、俺様の落ち度だよ、」 佐助の声が近づき、傍らに膝をついて顔を覗き込まれた。 「ごめんね」 その顔がいつもの取り繕った笑みではなく、こちらをまっすぐと見つめていたので、は小さく嘆息した。 「――ここからは貴方の領分だ、この忍びをどうにかしろ」 佐助が答える間もなく、二人の忍びが降り立つ。 佐助の様子から、真田の忍びと判断し、は刀を引き抜いて、身体を起こした。すぐに二人の忍びは両脇から黒装束を抱え、その場から姿を消す。 「、血が!」 黄梅院の声がして、左腕を見下ろすと、指先からぽたぽたと血が滴っていた。 わずかに、指先が痺れるような感覚がある。 ――やはり毒だったか。 忍びのクナイだ、何が塗られているか分かったものではない。 「・・・・・・大したことは、ありませぬ。自室で処置してすぐ戻ります」 そう言って、先ほど黄梅院からもらった懐紙で刀に付いた血を拭うと鞘に納める。 歩き出そうとして、その左腕を掴まれた。冷たくて、固い感触。 猿飛佐助の手甲だと判断して振り向く。 「・・・・・・何か」 佐助が答えずにの左袖を捲る。じくじくと、血を吹いている傷口。 「これ毒だよ」 「知っている」 は左腕を引き抜こうとするが、力が入らない。 「始めに血を吸った、大事には至らない」 「手当する」 「必要ない、離せッ!!」 が声を荒げると、佐助は小さく吐息しての左腕を解放した。 そして懐から小さな木の箱を取出し、に放る。 思わず受け取ったはいぶかしげに眉をひそめた。 「――血止めと、毒消しの薬だよ」 は表情を変えず、佐助を見据える。 佐助は眉を下げて、嘆息した。 「こればっかりは信じてよ、忍びの毒には忍びの薬が一番効くんだ」 そう言われて、漸くは小箱を懐に納める。 「――二度目はないぞ、猿飛殿」 ひたりと佐助に当てた温度のない双眸。 「黄梅院様の身に何かあったら、わたしは貴方を許さない」 「・・・・・・肝に銘じておくよ」 佐助の返事を聞いて、そのままは踵を返し、室を出て行った。 点々と床に残る血の跡を見つめながら、佐助は息を吐く。 「・・・・・・それで、の言うとおりわざと、だったわけ?」 黄梅院の低い声が聞こえて、佐助はその場で膝をついた。 「仰る通り、ですよ。あの忍びの目的がわからなかったんで、泳がせていました」 「そう」 黄梅院はそう言って、佐助の前に屈み、その顎を扇子で捕らえて顔を上げさせる。 「――これで、わかったわね?私にもあの子にも、甲斐を害する意はないのよ」 佐助は黄梅院の父親譲りの目線を受け流す。 黄梅院は息をついて立ち上がった。 「それで。聞いていたのでしょう」 「・・・・・・吃驚、さしてもらいましたよ。なんですかあの子、自分の恋路が他人事ですか」 「頭の固い子だとは思ってたんだけど・・・・・・、ちょっと予想を超えていたみたい」 黄梅院が扇子を開いて、大きなため息を吐く。 「弁丸は、どうなの?あの子のこと、何か言ってた?」 「好意は、抱いてるみたいです。色恋に繋がるかはまだちょっと・・・・・・。ていうか、旦那はようやくサンに対する好意を自覚したとこなのに、サンは『婚儀は現実的でない』とか、ずいぶん先のことまで考えてるんですねぇ」 苦笑して頬を掻く佐助に、黄梅院は華やかな笑みを向ける。 「あら、いつだって殿方よりおなごの方が先を見据えるものなのよ」 「・・・・・・なんだと?」 報告を聞いて、幸村は眉を跳ね上げた。 「佐助はいかがした」 「長は今、捕えた忍びの尋問中です」 幸村はぎり、と歯を鳴らす。 「お前たちがいながら易々と侵入を許すとは何事か!ここにはお館様もおられるのだぞ!」 警戒をわざと緩めて侵入者を泳がせていたのは、黄梅院とがいる奥向きの一角のみであったのだが、そのことは一切口にせずに才蔵はただ平伏する。 「申し開きのしようも、ございません」 その様子に幸村は息を吐く。 「よい、これ以上は佐助に直接言う。それで、殿の容体は」 「ご自分で処置されると仰られて、自室に籠られておいでです」 「何?毒を受けたのだろう、薬師は!」 「呼ぶな、との、長の指示です」 佐助は何を考えているのか。 幸村はその思考を、すぐに打ち消す。 あの忍びがおよそ幸村の利しか考えないのは、幸村自身が良く知っている。 一つ息を吐いて、幸村は立ち上がる。 「どちらへ」 「殿のところだ。そなたは佐助に、出来る限り早く戻れと伝えよ」 「御意」 忍びの姿が消えてから、幸村は乱暴に障子を開けると、大股で歩きだした。 |
20120719 シロ@シロソラ |
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