第四章 第七話 |
宴がお開きになったのは、満月も天頂を過ぎた深夜であった。 幸村は自室に戻るべく、濡縁を歩いている。佐助がその傍らにいた。 「うはー、さすがに冷えるねぇ旦那。・・・・・・旦那?」 どこかふらふらと歩いている幸村の顔を、覗き込む。 「どしたの旦那、酔ってンの?」 幸村が視線を動かして佐助を見つめ、 がば、と抱きついた。 「ぅわ!何!ちょ、旦那!?」 狼狽する佐助を無視して、幸村はぎゅう、と佐助を抱きしめる。 「おーい、どーしたー?」 ぽんぽん、とその背を軽く叩いてやると、幸村が佐助を抱きしめる力が強くなった。 「・・・・・・、ちょっと、本当に酔ってンの?あれくらいで?」 幸村は酒豪とも言えるほど、酒には強い。 気心の知れた相手と無制限に飲むときならいざ知らず、あの公の場で出される量の酒で酔っているとは考えにくかった。 漸く身体を離した幸村の顔を覗き込むと、幸村はこちらを見ずに、ぼんやりと自らの両腕を見下ろしている。 「・・・・・・固い」 「は?」 「お前は固いな、佐助」 幸村はそう言って、佐助を見つめる。 佐助はがしがしと頭を掻き、息を吐いた。 「そりゃアンタ、俺様は身体が資本の忍びですから」 「殿は、やわらかかった」 「・・・・・・」 主が何を言わんとしているか気づいている佐助は、黙って続きを促す。 幸村はそれに気づかず、独り言のようにつぶやく。 「殿は細くて、やわらかくて」 「竜の旦那の言うことなんか、真面目に受け取るんじゃないよ」 ――『・・・・・・最近、よくそう言われるのですが。わたしはそのように、おなごに見えますか』 そう言った、の顔。 完全な、無表情だった。 が、あの顔をするときは。 ――何か胸の内にあるものを、隠そうとしているときだ。 「佐助・・・・・・殿は、まこと、政宗殿の言うとおり、」 「知りたいンなら、本人に聞きな」 ほらもう寝た寝た、と佐助は幸村を室へ押し込んだ。 主が眠りについたことを気配で確認してから、佐助は屋根へ上がる。 「長」 「ん、ご苦労」 背後に現れた忍びが差し出す酒瓶を、佐助はそちらを見もせずに受け取って懐に収めた。 「さて、と。姫君はまだ起きてるかな」 「・・・・・・ずいぶん、ご執心ですね」 常であれば要件が済めばすぐに姿を消す部下がそう言ったので、佐助は初めてそちらに視線を向ける。 「どーいう意味」 「長が自ら、何度も足を運ばずとも」 「登場人物は少ない方が、警戒されないでしょ」 「口を割らせるのが目的ならば、拷問にでもかければ」 佐助はつまらなさそうに息を吐く。 「お前が考えそうなことだな。――あの子は苦痛で責めても口を割らないよ、たとえ命を落としてもね」 忍びはしばし逡巡し、口を開いた。 「長は、あの者をどうされるお考えなのですか」 「そりゃ、旦那とくっつけるか、そうでなきゃ殺すか、どっちかでしょ」 初めてが躑躅ヶ崎の地を踏んだあの日、幸村はの信頼を勝ち取ると、信玄は言った。 それは予想の言葉であったが、忍びの佐助にとっては命令に等しい。 に甲斐を害させないこと、それが信玄の命令だ。 提示された方法は、彼女の信頼を得ること。が優秀な武人であることは事前の調べで報告済であったから、できれば甲斐側の人間として受け入れたい、そういう意図があると佐助は理解している。だがしかし、その方法をとらねばならないという理由はない。 まさか黄梅院の泣き落としに引っ掛かる虎ではあるまい。「甲斐に害がない」という結果が同じであれば、を殺すことも立派な選択肢だ。 男と女の間に信頼関係が生まれるなら、それは思慕の情にすり替わる。 そこまで間柄が発展しないのであれば、不安要素は早々に断ち切るべきだ。 ・・・・・・黄梅院の手前、殺る方法は考えないといけないけど。 「そんなこと言われなきゃわかんないの」 呆れを隠さず声に乗せてそう言っても、部下は引き下がらなかった。 「選択肢はもう一つ、あるでしょう」 「何」 「貴方があの娘を、囲い落とすことも」 佐助は一切表情を変えない。その温度を感じさせない眼が、部下を見つめる。 「才蔵」 「は」 わざと殺気を隠さずに言う。 「あんまりくだらないこと言ってると、殺すよ?」 「私を殺されるなら、小田原城が落ちてからがよいかと」 平坦な声で返された言葉に、佐助は息を吐いて眉を下げた。 「・・・・・・俺様ほんとお前が嫌いだわ」 「お褒めに与り光栄です」 笑みさえ浮かべてそういう部下を佐助は嫌そうに見つめてから佐助は踵を返す。 その視線の先は、の室がある棟。 「いつもどおり、あの一角には誰も入れるな。行け」 「――承知」 忍びの気配が消える。 それを確認してから、佐助は屋根を蹴って跳んだ。 内庭に面したそこは、篝火がなくとも存外明るい。 冬の透明な空気により、阻まれることなく降る月のひかりを、積もった雪が反射しているからだ。 目当ての相手は濡縁に腰を下ろしている。 いつもならこの距離で気づかれるのに、今日はこちらに気を配っている様子がない。 視線は上を向いている。夜空を――月を見上げているのだろう。 ぼんやりと浮かび上がるような幻想的な風景の中、彼女はまるでヒトではない何かに見える。 脳裏に、お伽噺がよぎった。 月からきたというなよ竹の姫君が実在するならば、こんなだろうか。 誰に聞いたのか、今となってはもう覚えてもいないが、初めてその物語を聞いたとき、なんて女だと感心したことを記憶している。 群がる男たちに無理難題を押し付けて、男たちが四苦八苦する姿をあざ笑うかのように帝を選んでおきながら、最後はその帝すら捨てて故郷に帰った。 かの姫君は月の住人であってヒトではない。だからこそ気高く、残酷で、そして美しい。 の正体が実はなよ竹の姫君で、人間ではないというのなら、あるいは。 ――自分のものにすることが、できるのか。 「・・・・・・」 佐助は内心、自分で自分を嘲笑った。 才蔵の言うことを、真面目に受け取るな。 ・・・・・・旦那のこと笑えないな、これじゃ。 視線をに戻す。 その姿を脳に焼き付けるように、微動だにしない彼女をゆっくりと十数える間見つめてから、佐助は軒から降りた。 |
20120709 シロ@シロソラ |
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