第四章 第六話

 日が暮れ、館内では宴の準備が整っていた。
「さて、皆の者!本日は大義であった!」
 広間にはところどころ包帯を巻いた家臣たちが並び、応、と答える。
 大半が怪我人であったが、重傷者はいないらしい。
 上座には信玄と、天狼仮面、もとい伊達政宗が座っている。その傍らに天狗の面を脱いだ従者が控え、信玄の傍には幸村が控えている。
 は黄梅院の元に戻るために宴を辞退しようとしていたのだが、信玄たっての誘いがあり、その場に同席していた。
 家臣たちは皆鎧兜を脱ぎ、正月であるためか、新調したのだろう着物を着ている者が多く、男ばかりの場でありながらも普段とは少し異なる華やぎがあった。
 も、手持ちの中では一番汚れの少ないものを選んでいた。
「まずは、ここにおられる奥州の伊達政宗公とその従者・片倉小十郎殿に、我が武田漢祭りにご参加いただいたこと、礼を申し上げる!」
 そう言って信玄が傍らの政宗を見ると、独眼竜はその隻眼を細めた。
「Ha、虎のオッサン直々のご依頼だ、礼には及ばねェ」
 信玄とは親子ほども年の離れた伊達政宗のもの言いに、古参の家臣たちが眉をひそめるのが見える。
 だが信玄は意に介さない様子で、家臣たちに告げた。
「奥州の国主にわざわざ出向いてもらったのは他でもない。我が甲斐は、奥州と同盟を結ぶことと相成った」
「!」
 は眼を見開く。
 見回すと、知っていたのはごく一部の家老だけだったようで、家臣たちの多くは隣の者と顔を見合わせるなど、驚いた様子だった。
 幸村も知らなかったようだ。なんと、と声が聞こえる。
「このところ、尾張の織田の文字通り魔王がごとき所業、聞き及んでおる者も多かろう」
 も、小田原にいたころ聞き及んでいた。
 仏に仕える者たちを寺ごと焼き討ちしたり、最近は奥方の出自である美濃を攻め滅ぼしたとの由。
 その戦は殺戮というに等しく、織田軍の通った後は人はおろか草木の一本も残らないというまことしやかな噂もあった。
「今川が織田に敗れて、事態は急を要するものとなった。次に織田が狙うは、相模か、あるいはこの甲斐であろう。もちろん攻め込まれるのを待つ我らではない。雪解けを待って、相模・尾張へ討って出るべきとは思うておる。ただその間に背を突かれては面白うないからの」
 信玄が、家臣たちを見回す。
「そなたらに告げずにいたは、この信玄の不徳の致すところ。しかし今日この者たちと手合せして、勝てた者はおるまい。伊達公は一筋縄ではゆかぬ相手と、皆骨身に感じたことだろう」
 なるほど、使者ではなく伊達政宗本人を呼び寄せたのは、家臣たちに同盟を納得させるためであったかと、は思い至った。
 そして、眼帯姿であればその容姿をよく知らない者であっても独眼竜であると気づくかもしれないから、ああやって面をかぶっていたのだろう。
 ・・・・・・天狐仮面と火男仮面は面の必要性がよくわからないが。
「そういうこった、今は各国が織田攻めのために動いてやがる、その間は奥州は甲斐に手出しはしねぇ」
 信玄の言葉を継ぐように、伊達政宗が口を開いた。
「つっても魔王の首はこの独眼竜がもらうぜ?その後は竜が虎も食らうから覚悟するんだな」
「ま、政宗様、」
「なんと、政宗殿、不敵な!そのようなことはこの幸村、」
 片倉小十郎が慌てたような声をあげ、幸村がまさに今から掴み掛らんと声を荒げ、
 信玄が大声で笑った。
 その場にいる誰もが、その笑い声に圧倒されたように押し黙る。
「独眼竜よ、その意気や良し!その時がきたならば、この虎の牙、しかと受けるがよいぞ!のう幸村!」
「ッ、はッ」
 呆気にとられていた幸村が、我に返って平伏する。
「面白ェ、せいぜい竜の爪に気を付けるんだな、you see?」
 そう言って、伊達政宗はにやりと笑った。
 信玄は満足げにひとつ頷き、そして家臣を見渡す。
「そして、皆の者。この、殿だが」
 突然名を呼ばれて、は弾かれたように顔を上げた。
「は、」
「今日はこの片倉殿に引けを取らぬ見事な戦いぶりであった」
「は、もったいなきお言葉」
 そう言っては平伏する。
 何しろ奥州との同盟と同列に自分の話題が挙がるとは思っていなかったのだ。
 内心の驚きを顔に出さないように努めながら、は信玄の言葉を待つ。
殿は北条からの客将であるが、どうだ、この甲斐に留まる気はないか」
 ざわ、と家臣たちがどよめいた。
 ・・・・・・「あの者は北条の間者ではないのか」
 ・・・・・・「いや、黄梅院様を命を賭して守ったとの由、」
 ・・・・・・「片倉殿に互角とは、なかなかの剣の使い手であるぞ」
 ・・・・・・「そなたは歯が立たなかったものなぁ」
 ・・・・・・「お前も人のことは言えぬだろう」
 は、聞こえてくる声を無視して、どう返答すべきかを考えていた。
 この甲斐が、良いところであることは、もうわかっている。
 だが、北条氏政の命を、反故にはできない。
 ――捨てられた主を、まだ主と崇めるのであれば。
 言い澱んでいると、信玄が笑ったのがわかった。
「よい、、そなたの立場はこの信玄もようわかっておる。よく考えたうえで、返答いたせ」
 その笑顔は、幸村とよく似ていると思いながら、は頭を垂れた。
「は、ご配慮いただき、かたじけのうござります」
「うむ。――では皆の者!今宵はめでたき新年、無礼講じゃ!たんと呑むがよい!」
 待ちかねていたのであろう、家臣たちは自分の杯を手にし、地鳴りのような声を上げた。





 広間はざわざわと家臣たちの声であふれていた。
 時折大きな笑い声がする。
 信玄は奥州からの客人を幸村に任せて、家臣たちの間を回っているようだった。
 それぞれが三々五々に輪を作って酒を飲みかわしている。
「やりましたな、殿!お館様に目にかけていただけるとは、まこと光栄なことでござる!!」
 拳を握ってそう言う幸村の声を聞き流しながら、は内心かなり困っている。
 ・・・・・・自分が場違いに思えて仕方がない。
 独眼竜を本気で殺そうと相対したのはまだ記憶にあたらしい出来事だというのに、こうやって顔を合わせて酒を飲んでいる現状が、信じられなかった。
 幸村にしてもそれは同じはずなのだが、ここが戦場ではないからなのか、政宗や小十郎に対してまるで知己であるかのように談笑している。
 いったいどういう間柄なのだろう。
「しかし、アンタがここにいるとはねェ、権兵衛」
「ごんべえ?」
!」
 幸村が聞き返すのを遮るようには声をあげ、伊達政宗を見た。
「・・・・・・と、申しまする」
 本当に、もっとまともな偽名を名乗るのだったと後悔していると、伊達政宗はひたりとこちらを見たまま、
「お前と対等にやりあったって?小十郎」
「は、太刀筋はなかなかのものでございました」
「対等など、天狗仮面殿には遥かに及ばぬと、感じました」
 無意識にそう言ってしまい、片倉小十郎が顔を赤くする。
 は失言に気づき、頭を下げた。
「申し訳ない、片倉殿」
「いーや、なかなか良かったぜ小十郎?guysにいい土産話になる」
 伊達政宗がにやにやしながらそう言い、片倉小十郎が平伏した。
「な、政宗様、後生にございます、なにとぞそれだけは」
 ああやはりこの人は苦労人だ。
「そうでござる、片倉殿!あれは立派な天狗っぷりでございましたぞ!」
「・・・・・・幸村殿、それは褒め言葉になっていない」
 幸村にそう言い置いて、は伊達政宗に向き直った。
「伊達公。先日、桶狭間では無礼を働き、申し訳――」
「stop」
 甲斐と奥州が同盟を結ぶのであれば、禍根を残してはいけないと頭を下げると、伊達政宗の遮る声が聞こえた。
「お互い武器を持って戦場に立ったなら、命の取りあいはして当然のことだ」
 その言葉に、は伊達政宗の武人としての覚悟を垣間見た気がし、
「かたじけなく、存じ上げまする」
 そう言って、頭を垂れた。
 さすがは、広大な奥州を平定した独眼竜だ。
 さきほどの信玄とのやり取りにしても然り。
 片倉小十郎がその忠義を誓う相手。
 同年代とは思えない、器の大きな男であると、見受けられた。
 眼前のことにとらわれず、常に何手も先を見越しているような。
 奇襲なら五分以上の戦いができると思っていたが、それは誤りかもしれない。
 自分とは、根本的にどこかが違うのだ。
 昼間に片倉小十郎と相対したときに感じた「考えた結果の志」を持っている人間。
「ところで、?」
 伊達政宗がそう言って、その隻眼をこちらに向けたので、は考えを中断した。
「は」
「アンタ、女だろ」
 一切表情を動かさなかったの隣で、幸村が盛大に酒を吹いた。
「ぶは、な、何を申されるか政宗殿!殿がおなごであるなどと、そのようなッ!」
「ンだよ、きったねぇな真田幸村、テメェには聞いてねぇよ、なぁ
 は一つ息を吐く。
「・・・・・・最近、よくそう言われるのですが。わたしはそのように、おなごに見えますか」
 完全な無表情でそう言う。
 独眼竜の隻眼が、面白そうに笑う。
「Ha、女にしか見えねぇな」
 その右腕がすうと伸びて、の顎を捕えた。
「・・・・・・この俺の隻眼は、真実しか映さねぇ」
 顎を持ち上げられて、伊達政宗の隻眼と、の視線が正面からぶつかり、
「ッ、触らないで、くだされッ!!」
 次の瞬間、は幸村の、腕の中にいた。
「Ah?なんだテメェの女か、真田幸村」
「なッ、違、そうではなくッ、」
「――ちょっと竜の旦那。いつから男色の趣味に目覚めたワケ?」
 いつの間にかそこに、佐助がいた。
 伊達政宗が舌打ちをして佐助を睨む。
「いたのか、猿」
 佐助はその顔ににこにこと笑みを浮かべている。
「この子は武田(ウチ)の大事なお客サマだからね。ちょっとかわいいからって誰彼、ていうか性別までかまわずに手ェ出さないでくれるかな」
 その眼は一切笑っていないことを、伊達政宗も気づいている。
「・・・・・・政宗様」
 従者の声に政宗は吐息した。
「shit!わァかってるよ、小十郎」
 幸村はその様子に漸く安堵の息を吐き、
「・・・・・・殿、幸村、殿」
 腕の中からくぐもった声が聞こえることに気づいた。
「ゆきむら、殿、くるしいのだ、が」
「ッ!も、申し訳ない殿ッ!」
 慌てて腕を緩めると、ぷは、という声とともにがその腕から抜け出した。
 表情は相変わらず硬い、が、酸欠の為だろうか、仄かに桃色に染まった頬、潤んだ瞳、そして息を吸うために薄く開いた唇。
 ――どきり、と、幸村の心の臓がひとつ、大きな音をたてた。
「あぁ、サンは黄梅院様がお呼びだよ」
「そうか、それでは伊達公、片倉殿、御前失礼致しまする」
 息を整えたは表情を消したままそう言って頭を下げ、すうと立ち上がって歩いて行った。
 佐助はその後ろ姿を見送って、
「――猿。コイツどうしたんだ」
 政宗の声に振り返ると、幸村が中途半端に腕を広げた状態で、顔を真っ赤にして固まっていた。
「・・・・・・酔ったんじゃない?」
 とりあえず、そう答えておいた。

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20120706 シロ@シロソラ
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