第四章 第五話 |
ばん、と音をたてて扉を開くと、そこは道場の名にふさわしい板張りの広間となっていた。 「お、やっと来たね」 聞きなれた声がして、現れたのは、隈取のある狐の面をかぶった男。 「む!その明るい色の髪!草木に紛れやすい装束!そして手裏剣!」 すぐにでも手合せが始まるのかと思って右手を刀の柄にかけていたは、息を吐いて構えをといた。 「何やってるんだ、猿と」 「貴様!何奴!!!!」 の言葉にかぶさるように、幸村の誰何の声が広間に響いた。 「・・・・・・」 が信じられないものを見るような眼で、傍らの男を見上げる。 「・・・・・・やっぱわかんないか、ほんとにもう、――よく来たな、我こそは天狐仮面!」 「天狐、仮面・・・・・・」 もはや何について言及すればいいのかわからず、はぼんやりと佐助、もとい天狐仮面を見つめる。 「ちょっとそんな哀れな眼で見ないでサン!俺様だって恥ずかしいんだからもー」 「・・・・・・はぁ」 「なんと?天狐仮面殿は殿のお知り合いか!」 幸村がこちらを見る。 は半眼で、答える。 「知り合いと言うか・・・・・・、貴方の」 「わーー!」 の声をかき消すように天狐仮面が腕を振りながら声を上げる。 「その、そうそう、俺様ってば猿飛佐助の知り合いだから?」 どうやら天狐仮面の正体は、幸村には伏せておいた方がいいらしい。 「なるほど、佐助の知り合いか!某は真田源二郎幸村、佐助にはいつも世話になっている!!」 そう言って一礼する幸村をじとりと一瞥してから、は天狐仮面に向き直った。 「それで、天狐仮面とやら。我らは貴方と、戦えばよいのか」 左手を刀の鯉口にかけてそう言うと、天狐仮面は顔の前で手を振る。 「いーや、今回俺様はただの見届け役。お相手はこちらさんだよ、っと」 そう言って脇に退いた天狐仮面の背後。 そこにいた二人の男を見て、が眉を跳ね上げる。 「なん、だと・・・・・・!?」 ひとりは、天狗の面をつけた、長身の男。右腰に刀をさした、長衣の上着に、見覚えがある。 そしてもうひとりは、狼の面をつけている。見紛うはずもない蒼い陣羽織。そして、六振りの、刀。 馬鹿な。 ここは甲斐だ。 どうしてこの男が、ここに。 「Hey、まずは俺から名乗ろうか?俺の名は天狼仮面!覚えておくといいぜ、you see?」 そして天狼仮面がもうひとりの男を小突く。 「ホラてめぇも名乗りを上げやがれ」 「し、しかしっ!」 「あきらめな、俺だってやりたくてやってンじゃねぇんだ」 「く、このような・・・・・・ッ」 天狗の面の男が拳を握りながら肩を震わせている。 伊達政宗、もとい天狼仮面の付き人はどうやら苦労人のようだと、は思った。 男がぐ、と拳を握り、そしてこちらを向く。 「俺の名は、天狗仮面!さぁかかって来い!!」 どうやら自棄になったようだ。 「なんと・・・・・・二人とも相当の手練れとお見受けした、特に天狼仮面殿」 傍らの幸村がごくりと唾を飲んでいるのが、わかった。 「その六振りもの刀!只者ではござらぬな!!」 「・・・・・・」 この男、大丈夫なのか。 冷めた心でそう思って、天狐仮面を見やると、彼は面の上から頬を掻いていた。 「うーわー、マジでわかんないんだ旦那・・・・・・」 「天狐仮面、あの者たちがここにいるのは」 「あー大丈夫大丈夫、二人とも大将の客人だから」 「なんと、そなたたちが!なるほど、十蔵の言うとおりの言うとおりであるな!」 嬉々としてそう言って、幸村が二槍を構える。 「某は武田が家臣!真田源二郎幸村!!!いざ、尋常に勝負ッ!」 「上等だ!」 天狼仮面が刀を一振り抜いた。 「奥州、じゃねぇや、天狼仮面!――推して参るッ!!」 二人は同時に床を蹴り、その矛と刃がぶつかり合う甲高い音と衝撃が広間を抜ける。 そう遠くない過去に見たことがある、蒼紅の衝突を、は冷めた眼で眺め、 「ではわたしはそちらの天狗仮面と手合せをすればいいのか、天狐仮面」 「そういうことになるねぇ」 天狐仮面の飄々とした声を聞いて、は刀の柄に右手をかけ、重心を落とした。 天狗仮面はしばらく天狼仮面の方を見た後、こちらを向く。顔は見えないが、今おそらく溜息を吐いたと思う。 「誰かと思えばお前ェは、あの時の名無しの権兵衛じゃねェか。武田の者だったのか」 そういえばそんな名を名乗ったのだった。 羞恥を顔に出さないように努めた。 「え?何それサンの偽名?」 食いつくな、天狐仮面! 心の内でそう吐き捨ててから、は平静を装って口を開いた。 「、と申す。今は故あって、武田で世話になっている者だ」 「そうか。ならば今後も政――天狼仮面の敵となりうるわけだな、その実力、この天狗仮面がとくと確かめてくれよう!」 芝居がかった口調で、天狗仮面が刀を抜く。 なんだ、この男もそれなりに乗り気なのではないか。 「じゃぁいくよ、――はじめ!」 天狐仮面の合図で、は床を蹴った。 「オラよォ!!」 下から上へ掬い上げるような一撃を刃で受け止め、その力をいなしきれずには後ろへ弾かれた。 「く、」 板張りの床を滑って着地し、一度刀を鞘へ納めて、低く跳ぶ。 天狗仮面の足元で抜刀、その勢いを殺さぬまま足を払うために刀を薙ぎ、 「甘ェ!」 がつ、と音をたてて突き立てられた刃に阻まれた。 その刃に、蒼い雷光が纏わりつく。 ――深追いしすぎた! ざわ、と背筋を這う悪寒に従って、風を使って側方へ跳ぶ。 一瞬前までの身体があったところを、天狗仮面の雷光を纏った拳が打ち抜いていた。 体勢を整えて立ち上がり、刀を鞘に納めながら、は天狗仮面を見据える。 この男、出来る。 動きが特別速いわけではない。一撃の重みも、幸村ほどではない。 だがこの男には、隙がない。 左利きの剣士の相手をするのは初めてで、慣れない向きの斬撃の対応に苦労していることを差し引いても、眼前の男の刀捌きには一切の隙が見当たらず、しかも体術も併せて使うとあって、は攻めあぐねていた。 「なかなかやるじゃねぇか、桶狭間の動きはまぐれじゃなかったってことか」 天狗仮面が床に刺した刀を引き抜きながら言う。 は答えずに、天狗仮面を見据えている。 伊達政宗も、剣の腕は並外れていた。それでも探せば隙は見つけられたのだ。バサラを使った力まかせの戦い方では敵わないとは理解しているが、奇襲なら互角以上の戦いができるだろうと今も思っている。 だが、この天狗仮面は。 純粋な剣の腕だけではない。こちらの動きを見る洞察力や観察力に加え、次の一手を読む力にも長けていると感じた。 おそらくそれは、このような一対一の斬り合いだけでなく、合戦の場や政(まつりごと)においても力を発揮するだろう。 「貴方ほど腕の立つ男が、誰かに仕える立場なのか」 思わずそう口をついて出た言葉に、天狗仮面がわずかに顔を動かす。面のせいで表情はわからないが、何かしらの反応があったようだ。 「どういう意味だ」 「いや、・・・・・・気を悪くされるような言い方かもしれないが、この下剋上の乱世にあっては、貴方が国を統べることだってできるのだろうと、思ったのだ」 天狗仮面が床から引き抜いた刀を構える。 「この天狗仮面、政宗様の傍にあり、その背を預かることを義として生きている」 「・・・・・・ちょっと右目の旦那、竜の名前出しちゃだめじゃん」 天狐仮面が横槍を入れたが、どうやら隣で乱闘中の二人には聞こえていないらしい。 主の傍にあり、その背を預かる。 は天狗仮面の言葉を、心の中で反芻していた。 自分が、「御本城様」へ捧げていた忠誠。あるいは、黄梅院を守るという意思。 それらは忠義の志であるととらえていたのだが、この天狗仮面が伊達政宗に対して抱いているものとは何かが違うような気がする。 どれも、結果としては「忠義」の範疇に収まるものだ。 だが、自分の志と、天狗仮面の志は、もっと根本のところで違うと思う。 何が、違うのだろう。 ――『よく考えて、答えを出しなさい』。 脳裏に、黄梅院の言葉がよぎった。 考えた結果の志は、この男のような忠義心となるのだろうか。 「かかってこねぇならこっちから行くぞ!」 一直線にこちらに迫る切っ先を寸前で左側に避け、その勢いのまま抜刀して天狗仮面の背を狙う。先ほどもためした動きはやはり読まれていて、の刀は空を切った。 「どうした、もう手数を使い果たしたか」 は刀を引いて構えなおす。 「・・・・・・貴方からは、学ぶことが多そうだ」 そう言って重心を落とすのと同時、天狗仮面が刀を鳴らした。 「――向学に努める奴ァ、嫌いじゃないぜ」 その言葉を合図に、は床を蹴る。 考えるのは後だ。 せっかくの鍛錬の場である。 洞察力でも観察力でも予見の力でも、あるいはその志の一端でもいい。 今は少しでも多くのことを、この男から吸収しよう。 「ふむ、竜の右目と互角にやり合うとは、やるのう」 「あ、ちょっと大将何出てきてンですかー」 天狐仮面の慌てたような声に、と天狗仮面は動きを止めた。 現れたのは筋骨たくましい大男。その顔には、口をすぼめて笑う、火男(ひょっとこ)の面。 今の、声は。 もしかしなくとも。 「・・・・・・すべて貴方のお考えのうちか、信玄公」 「なんと、一目で正体を見破るか。侮れぬなぁ、殿」 火男の面の下で顎を撫でている信玄を、は半眼で見つめる。 見破られないとでも思ったのだろうか。 「Hey、アンタは俺たちのあとのLast bossだろうが!」 衝撃音とともに着地した天狼仮面がこちらに気づき、声を上げた。 それにつられて幸村もこちらを見る。 「なァに、お主が相手では幸村もなかなか儂には辿りつかぬと思うてな!」 「なんと新手でござるかッ」 肩で息をしている幸村が、言う。 「その堂々たる大きな体躯、そして虎が如き装束・・・・・・!」 はその言葉の続きを、あまり期待しないで待った。 「並々ならぬ力量の持ち主とお見受け致した!某は真田源二郎幸村!名を伺っても、よろしいかッ」 天狗仮面が肩を落としているのが見えた。 天狐仮面の方はもうあきらめているようだ。 「ふむ、いかにも!儂ほどの手練れはこの甲斐にそうはおらぬ!!我が名は火男仮面!幸村よ、そなたに儂が倒せるかな」 「火男仮面殿・・・・・・!この幸村、天狼仮面殿との決着が付けば、必ずや!」 そう言って天狼仮面に向き直る幸村の様子はもちろん、真剣そのものだ。 その瞳が、炎を孕んだように、ぎらぎらと輝いている。 「Ah?こっちはさっさと終わらせようってか?」 天狼仮面がそう言って、右手に下げていた刀を鞘に戻す。 「それは――」 次の瞬間、両手でずらりと六爪を抜いた。 「こっちの台詞だぜ?」 ぼう、と、天狼仮面の周りに蒼い光が滲む。 それを見た幸村が、かッ、と眼を見開く。 「その覇気、見間違えようもござらん!――貴殿は伊達政宗殿かッ!!!」 がゆっくり一呼吸する間、広間を静寂が満たした。 天狼仮面が六爪を握る両腕をだらりと下げる。 「・・・・・・遅ェ・・・・・・」 げんなりとした声が聞こえた。 「・・・・・・天狐仮面」 「ん?」 は平坦な声色で、佐助に問う。 「幸村殿は、どうやって人間を判別しているのだ」 佐助は肩をすくめて答えた。 「・・・・・・、ほら、馬鹿と天才は紙一重って言うし?」 |
20120704 シロ@シロソラ |
http://sirosora.yu-nagi.com/ |