第四章 第四話

「あけましておめでとうござりまする、お館様ァ!!」
 謁見の間には、武田家の家臣団がずらりと顔をそろえている。
「うむ!皆息災で何より!!」
 豪快な笑顔でそう言う信玄の声は館中に響くのではないかと思われた。
 黄梅院の後ろに控える形で腰を下ろしているは、勢揃いした家臣たちを見て感心している。
 そろって体格が良く、「勇猛果敢」と顔に書いてあるような男たちだ。
 なるほど彼らが武田の最強騎馬隊を支えているのだろう。
 一通り新年のあいさつを終えると、信玄が立ち上がった。
「――それではこれより!武田・新春!漢祭りを、開催する!!」
 おおおおおお!!!
 まるで戦の勝鬨のように、家臣たちが一斉に声を上げる。
 そう、気にはなっていたのだ。
 この新年の挨拶の場に、なぜ皆戦装束なのか。
 確かに幸村から、今日この場には、戦支度を整えてくるようにと言われた。
 まさかこの雪の積もるなかどこぞと合戦とは思い難く(もちろん他国と戦をするという話は聞いていない)、何かの比喩かと思ったが、そう言われては従うよりほかなく、も他の家臣たちに比べれば籠手と脚絆のみのずいぶんと軽装ではあったが、一応刀も差している。
「今年は皆も驚く客人も呼んでおるからな、奮うがよいぞ!!」
 もう一度、地鳴りのような男たちの声。
 客人とは誰だろう。
 自分の存在については先ほど信玄から他の家臣たちへ紹介があったので、「皆も驚く」には該当しない。
 他に誰かが、この館を訪れているのだろうか。
 考えていると、信玄を先頭に、家臣たちが具足の音をたてながら室から出ていく。
「あの、黄梅院様」
「まったく、これだから男はどうしようもないと思うのよ。ねぇ
殿!」
 黄梅院が珍しく苛々と扇子を閉じるのと同時、二槍を携えた幸村がこちらに来た。
「さあ参りましょうぞ!」
「幸村殿。一体何が始まるのだろうか」
「武田漢祭り!それは漢のなかの漢を決めるこの甲斐きっての修練の場でござる!」
 きらきらとその眼を輝かせている幸村を、は平坦な面持ちで見上げる。
「数々の試練を勝ち抜いた者は、この甲斐に漢として名を馳せるのでござるぅぁ!!」
「・・・・・・つまり、集団での鍛錬ということか」
 東国、特に関東よりも北の国々では、雪に閉ざされる冬の間は戦がないと聞く。
 その間に武術のさらなる鍛錬を行うことを目的とした場であるかと、は理解した。
 甲斐に来て以来、幸村とは何度か手合せをしてきたが、相手が違えばまた見えるものも違うだろう。
 あれ以降、殺すことを目的としない戦い方を、は幸村から学んでいる。
 そろそろ他の者を相手に実践をしたいと思っていたところであった。
「それでは、黄梅院様」
「・・・・・・あなたまでやる気になってどうするの
 幸村について立ち上がると、黄梅院が呆れたように眉を下げた。
「まあいいわ、でもこれだけは約束して」
「は」
「無茶は、絶対にしないこと」
「は、承知しました!」
 その顔に、小さく笑みが混じっているのに気づいて、黄梅院はそれ以上何も言わずに二人の背を見送った。
「まったく、性根のとこでは似てるって、気づいてるのかしらね」





 躑躅ヶ崎館は山を背にして建っているが、そこには一つ城がある。
 万が一甲斐が攻め込まれた際には要害山城というこの城が戦場となると幸村の説明を受けながら、その城も抜けて山に入った。
 他の家臣たちはずいぶん先に行ってしまったのか、静かな森には二人が雪を踏みしめる音だけが響く。
 それにしても、とは横を行く幸村を見つめた。
 あの、桶狭間で見たものと同じ、緋色の戦装束。
 ・・・・・・寒くはないのだろうか。
 正直なところ、は甲斐の寒さに堪えていた。小田原では雪が降ることはあっても、積もることはあまりなかったのだ。
 しかし傍らの幸村の戦装束は、裸の上半身に丈の短い陣羽織(と言うのだろうか、の見たこともない造形の上着だ)を羽織っていて、つまりは腹を出している。
 均整のとれた筋肉がいっそ美しいななどと思いながら眺めていると、唐突に幸村がこちらを向いた。
殿?いかがされた」
「ッ、いや、その、信玄公の仰られた『客人』とはどなただろうな」
 慌てて目線を外し、話題を変える。
「うむ、某も聞いてはおらず」
「そうなのか」
 身体が芯から冷えているのか、話していても息が白くならない。
 寒さで戦えませんでした、では笑い話にもならないなと思いながら、悴んだ手に息を吹きかける。
「寒うござるか」
「あぁ・・・・・・、やはり相模とは気候も違うのだな。・・・・・・幸村殿は、その、腹を出されて寒くはないのか」
 どうしても気になったので、逸らした話題を元に戻してしまった。
 問われた幸村は、力強く笑う。
「なに、この身の内はたぎっておるゆえ!!」
「・・・・・・」
 聞いた自分が馬鹿だった。
 そう思っていると、いつの間にか手袋を外していた幸村の手が、の手を握った。
「おお、冷たい手でござるな」
「・・・・・・ッ!!??」
 その、大きな、暖かい手。
「これでは刀を握るのに支障が出ましょうぞ、某が温めて」
「結、構、だッ!!!」
 勢いをつけて包まれた掌を引き抜く。
殿?顔が赤いようだがお加減でも」
「心配は、無用だッ」
 落ち着け、
 このようなことでいちいち目くじらをたてているようでは、武人としてまだまだだ。
 それにしても、暖かい手だった。
 傍らの幸村を、ちらりと見上げる。
 幸村は炎のバサラ持ちだ。
 身に宿すバサラがそのバサラ者の身体的特徴に影響するのかどうか、はよく知らなかったが、幸村は体温が高そうだ。
 そう思いながら雪かきがされている石段を昇りきった先、寺を思わせるような大きな建物が現れた。
「幸村様!遅かったではありませんか」
「む、十蔵、某たちは出遅れたか」
 建物の前、雪の上に蓆を敷いたその場には、すでに何人もの怪我をした男たちがうめきながら伏せており、その間を忍び装束の者たちが手当に走り回っている。
 またひとり、建物からけが人が運び出されてきた。
 中では何が行われているのだろう。
 そもそも、国主が呼びかけて家臣たちが一斉に鍛錬を行う場など、小田原にはなかった。
 戦がなければ相模中に散っている家臣たちも小田原に来ることがない。
 こういった、皆が一丸となるような場を設けることが、最強騎馬隊の士気を上げることにもつながるのだろうか。
 これが、武田の修練であるかと、は内心、戦慄を覚える。
 ますますもって、純粋な力のぶつかり合いで、北条が勝てる相手ではない。
「今年はやはり、お客人の力が大きいですね」
「なんと、それほどの手練れがおるのか!たぎるぅぅぁあ!!」
 忍びにそう言われて、まだ何もしていないのに発火しそうな幸村を眺めていると、声がかかった。
殿」
 振り向くと、忍び装束の者がひとり、頭を垂れていた。
「貴方は」
「真田忍隊、才蔵と申します。殿も参加されると伺っていますが」
「ああ」
 が頷くと、才蔵と名乗った忍びは幸村の方を一度気にするように見てから、小声で言った。
「この先、何を見られても。どうか笑ったりされませんよう」
「・・・・・・は?」
「幸村様におかれては、常に全力であることを、ご理解いただきたく」
「貴方は何を」
 言っているのか、と続けようとしたの背後に、幸村から声がかかる。
「さあ殿、いざ参りましょうぞ!!」
「あぁ、今行く、」
 そう答えてもう一度振り返ると、そこにはもう才蔵の姿はなかった。
 何だったのだろう、と思いながら、は幸村の後について「武田道場」と書かれた門をくぐった。

 才蔵の言葉の意味を理解したのは、そのすぐ後だった。

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20120703 シロ@シロソラ
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