第四章 第二話 |
最近、に何か変化があったらしい。 すれ違う侍女に挨拶をしたり、女中を手伝って膳を運んでやったりしているのを、幸村は見ていた。 よく見ていれば、笑顔らしきものを浮かべていることもある。 あのが、だ。 そこまで見ていて「らしい」というのは、当の幸村に対する態度には以前と何ら変化がないからである。 相変わらず言葉の端には棘があるし、眼が合うとすぐに逸らされてしまう。 ・・・・・・そういえば、眼が合うことが最近多くなった気がする。 以前はこちらが探さなければ同じ館にいても顔を合わせることがなかったが、最近はわざわざ探さずとも近くにいることが多い。 それは変化といえば変化なのかもしれない。 あの、紅葉を一緒に見てからだ。 やはりあの見事な錦は、頑なであったの心に何か訴えるものがあったのだろうと思う。 さすがは紅、武田の色だなどと考えていたら、気配を感じた。 自らこちらに来られるのは珍しいなと思っていると、声がした。 「・・・・・・幸村殿。だ」 「ああ、どうぞ、入られよ」 予想通り、襖の影から現れたのは相も変わらず仏頂面のだ。 ただ、全くの無表情ではない。 わずかに、眉根を寄せている。何か、困っているように、幸村には見えた。 そう思えるくらいには、の表情を読めるようになったらしい。 「む、どうされたのだ、それは」 おそらくが困っている原因、その両手に抱えている包みの山を見て、幸村は問うた。 「・・・・・・館内の方々からいただいたものだ。幸村殿は、甘いものがお好きだろう。先ほどさち殿に茶を頼んだ」 有無を言わさぬ口調でがそう言い、幸村が勧めた座布団の上に腰を下ろす。 そして、幸村の前に抱えていた包みをそうっと降ろした。 「なんと、これは菓子でござるか!」 幸村は顔を輝かせる。 は答えずに、すいと障子の向こうを見た。 茶器を持って現れた忍びに、わずかに口の端を下げる。 「・・・・・・猿飛殿」 「どーも、お二人さん。お茶がいるって聞いたから淹れてきたよ」 「おお、佐助。かたじけない」 二人の前に茶を差し出す佐助を、が温度のない眼で見つめる。 「・・・・・・わたしはさち殿に頼んだのだが」 「それを俺様が引き受けたのー。ほら旦那、見てこれ最近評判の干菓子だよ?」 「おおお、すばらしいな!」 「・・・・・・」 にこにことその顔に笑みを張り付けて包みの一つを幸村に見せる佐助と、尻尾が生えていればちぎれんばかりに振っているのだろうと想像できる幸村を、は吐息して見つめる。 その視線に気づいたのかどうか、佐助は盆を手に立ち上がった。 「じゃ、ごゆっくりどうぞー」 「うむ、ご苦労だった!」 一礼して障子から出ていく佐助の背中を、幸村が満足そうな笑顔で見送った。 佐助がもしかしてこの場に留まるのではないかと思っていたの淡い期待は外れてしまった。 やはりここは、幸村とふたりで会話をしなくてはいけない。 他人に不快な思いをさせないように振る舞おうと決めただったが、それを模倣している本人を前にすると、別段悪いことをしているわけではないのに逃げ出したくなってしまう。 まさか本人の前でその模倣を披露するわけにはいかず、結局幸村に対しては依然と何も変わらないように接してしまうのだ。 違う、幸村にこそ、嫌われたいわけではないというのに。 何か。 何か話題を探さなければ。 目の前の先ほど佐助が置いて行った茶を穴が開くほど見つめながら考えていると、幸村の弾んだ声がした。 「おお、これは団子であるな、さ、殿もおひとつ」 その団子はも気になっていた。 差し出された包みからひとつ受け取り、口に運ぶ。 ・・・・・・おいしい。 「なんと、美味であるな!」 がひとつ食べている間に、幸村は包みに残っていた全てを平らげて笑う。 この男は食事の時もそうだが、食べるのが早い。 口を動かしながらは空になってしまった包みを見る。 もうひとつくらい置いておいてほしかった。 ・・・・・・が、他にもこれほどあるのだから、良しとすべきか。 「殿も、甘味がお好きなのだな」 「そのような、ことは」 目線を逸らして茶を手にとる。 一口飲んで、驚いた。これは佐助が淹れたのだろうか。が淹れるものと、味がまったく違う。深みや旨み、甘みさえ感じられる。 ・・・・・・あの忍びは一体何者なのだ。 が茶に感心している間に、すでにいくつか包みを空にした幸村がさらにひとつ包みを手にしていた。 「これは、このあたりではあまり見かけぬものでござるなぁ」 「ッ、それは」 無意識に、風を動かしてしまった。 包みが独りでに幸村の手から弾かれ、の手元に落ちる。 「・・・・・・」 幸村が目を丸くして、こちらを見ている。 「・・・・・・」 しまった。 バサラ自体は、同じバサラ者である幸村には珍しいものではないだろう。あれ以降何度か手合せを重ねる中でも、はこの力を多用している。 だが、これではまるで。 「・・・・・・、ぷ」 幸村が堪えきれないという風に、笑った。 「な、笑うとは、」 の顔が羞恥に染まる。 「は、はは、いやすまぬ、だが、あまりに殿が必死で・・・・・ッ」 「・・・・・・っ」 何も言えない。 これではまるで、玩具を取り上げられた幼子の反応ではないか。 「こ、これは!近江の商人が国境を訪れた際にわざわざ買い付けに行かれたという逸品なのだ!」 はなかば乱暴に包みを開く。中身は干菓子。数は四つ。 よかった、二人で割り切れる。 その必死の形相に、ついに腹を抱えてしまった幸村の笑いが収まるまで、しばらく待たなければいけなかった。 すべての包みが空になるのに、そう時間はかからなかった。 やはり真田幸村の胃袋は異常だと、は茶を啜りながら思い、甘味で緩んでいるだろう顔に仏頂面を取り戻していた。 「甲斐には慣れたであろうか、殿」 一息ついた幸村がこちらを見ている。 「は、皆、親切に接してくれますので」 「そうであろう、躑躅ヶ崎はまこと、あたたかき人の集まるところだ」 確かに、とは内心うなずいていた。 は武田家の会議などに参加が許されていないし、知りえる家臣もごく一部ではあったが、小田原にあったような、腹の探り合いや陰鬱な空気が、ここでは感じられない。 逆に、困っている者に手を差し伸べる風潮があるようで、館内でもよくそうした助け合いを眼にした。も幸村に倣って実践したことだ。特に幸村のこの性質は、もはやお節介とも呼べそうである。 ・・・・・・このわたしにすら、手を伸べようとするのだから。 「・・・・・・甲斐の人間の、性質、か」 「いや、もちろんそれもあろうが、やはりお館様のお人柄によるものでござる」 独り言のようにつぶやいた言葉に、幸村がそう答える。 ふと、はその幸村の、誇らしげな顔を見つめた。 「貴方のその、忠義に篤いこころも、信玄公から学ばれたのか」 幸村がうむ、とひとつ頷く。 「もちろんお館様のお教えがこの幸村を形作っていると申しても過言はござらぬ。――が、ただ一つ、『義』の志は、上杉で学んだものなのだ」 「上杉?謙信公、が?」 意外な名を聞いて、は眼を見開く。 越後の軍神・上杉謙信は、幸村が慕う武田信玄の長年の好敵手である。 「某は幼き頃、人質として上杉に身を寄せていたのだ」 「!」 「我が真田一族が治める上田は、越後との国境に近く、あの頃は上杉と武田という大きな国に挟まれて、弱小の我が一族を守ろうと父上も必死だったのだろう」 は顔に出さないよう努めてはいたが、内心驚いていた。 幸村の、このまっすぐで、純粋とも言うべき性質は、きっと親や周りの者たちから愛されて育ち、身についていったものだと思っていたからだ。 人質というのは、惨めなものだと聞いている。 が小田原にいたころ北条家には他家からの人質はいなかったが、隣国・駿河の今川家の人質の話はよく噂も流れてきていた。 お家のため、どのような仕打ちを受けようとも耐えるしかない。しかも、この乱世にあっては家同士の取り決めなど容易く違えることもあるもの。実家が裏切ったがために文字通り切り捨てられた人質も珍しくはないと聞く。 「真田の教えに、『利の理(ことわり)』がござる。『利こそ第一、利の前には、如何な人間であっても忠義やその他の心を忘れる』というものなのだが」 幸村はこちらに顔を向けてはいるが、どこか遠くを見るような眼で話していた。 珍しいなと思う。彼は人と話をするとき、相手の眼を見て話すからだ。 だが話している内容については、にも理解できるものだった。 幸村が言うところの「利の理」を体現する人間は多いだろう。事実、小田原にもたくさんいた。人間とは己の利益を追い求めるものだと、も知っている。 しかし今の幸村が「利を第一」にしているようには到底見えない。 は黙って話の続きを促した。 「父上は、この理に忠実な、知略に優れた謀将であった。某が上杉に遣られたのも、納得はできる」 そこで言葉をきって、幸村はを見た。 「何、そのような顔をされるな、お館様のお力添えで父上は武田家に仕え、お館様から『我が目』とも評価いただいた。某も元服前には上田に戻り、父上の後を継いでお館様に仕えているのだ」 「そのような、顔、などッ」 どのような顔をしていたのだろう。 は慌てて幸村から目線を外した。 「そのッ、『義』の志、というのは」 「義とは人道。この乱世にあっても、人であることを辞めるべからず――某はそう、理解しておる」 人であることを、辞めるべからず。 は心のうちでその言葉を反芻した。 「・・・・・・ずいぶんと、きれいな言葉だ」 口をついて出たのは、自嘲の響きを含んだ声だった。 「殿?」 「我ら武士(もののふ)はどうあっても、人を殺すことを生業とする殺戮者だ。人であることを辞めず、その一方で人を殺す。それは矛盾している」 は口の端にわずかに笑みを浮かべていた。 それはどこか、疲れたような、あきらめたような笑みだった。 そして両の手を見下ろして、言う。 「この手には、血の臭いがこびりついている。これは、わたしがもう人以下の――羅刹に成り下がった証だ」 「何を申されるか!」 幸村はの両肩をつかんでいた。 どこを見ているのかよくわからなかったの眼が、ゆるり、と幸村を見上げる。 「そうでなければ、こころを殺さなければ、人は殺せないだろう」 「某はそうは思わぬ!我らは人でありながら人を殺す痛みを、こころに刻むべきだ」 二人の視線が、交差する。 幸村はは、と気づいての肩から手を離し、数歩下がった。 「いや、その、申し訳ござらぬ」 「・・・・・・いや。こちらこそ、申し訳なかった。貴方を否定するような意図はないのだ」 はわずかに乱れた着物を正しながら言う。 こころの内に燻るような何かが存在するのを、無視した。 自分と幸村は考え方が違う、ただそれだけのことだ。 そうしては礼をし、立ち上がった。 「たくさんもらってしまった菓子に少々困っていたのだ、付き合っていただき、礼を言う。ありがとう」 幸村の言葉を待たずに、は障子をあける。 その先、館の中庭に、はらはらと白いものが舞い降りていて、はわずかに眼を見張った。 「・・・・・・雪、だ」 「おお、冷えると思うておれば。もう年も暮れるな」 背後から幸村の声がして、見ると横に並ぶように立っている。 「そうだ、殿。正月には我が武田軍伝統の祭りがあるゆえ、ぜひご参加くだされ」 「・・・・・・あぁ。黄梅院様の許可があれば」 そう言い残して、は濡縁に足を進める。 「殿」 声がかかって、幸村を振り返った。 「人には、その人なりの『義』があると某は心得まする」 その表情は、いつもの穏やかなものであった。 「いつか、殿にも。そなたなりの『義』が見つかればよいと、某は思う」 はその言葉に、是とも否とも答えず、踵を返すと歩いて行った。 |
20120628 シロ@シロソラ |
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