第四章 第一話

 その日の朝、佐助が厨に足を踏み入れると、何やら楽しそうな女中たちの声が聞こえた。
「ほんと、最近の様はどうしたのかしら!」
「このあいだなんて私、膳を運んでもらっちゃったわ!」
「こら、それは自分で運びなさいよ仕事でしょ!?」
「だってだって、あんなお優しい表情で、『わたしが持とう』なんて言われたら!」
 声真似が完璧だ。こういうところで女というのは恐ろしい。
「私だって、今朝ご挨拶したら微笑んでいただいたわ!」
「あぁ、あのたまにしかお見せにならない笑顔が堪らないのよね」
「はじめのころは何かこう冷たいような感じがしたけれど」
「きっと慣れないところで戸惑ってらっしゃったんだわ、繊細なお方・・・・・・」
 声に色をつけるなら、間違いなく黄色。
 もう外では雪が降ろうかという寒さであるのに、厨は朝からずいぶんと盛り上がっていた。
サンの話ー?俺様も混ぜてくんない」
 女中たちの会話を一通り聞いてから、絶妙な間合いで声をかけると、彼女たちが一斉にこちらを向く。
「猿飛様!おはようございます」
「今日もいい男ですわねー」
「んふー、ありがと。みっちゃんもかわいいよー」
 そう言って、ちょいと鼻の頭をつついてやると、とたんにきゃああと黄色い歓声が沸く。
「さ、猿飛様!私にもー!」
「ちょっとちょっと今さっきまでサンかっこいーって話してたんじゃなかったの」
「そうよそうよ!まぁでもあなたはそうやって猿飛様を追いかけていればいいわ、様は私が狙いますから!」
「はー!?何言ってンですか?」
「猿飛様!様ってまだ奥方様を迎えられてないですよね!?」
 火花が散りそうな言い合いの中、一人が佐助に食って掛かるようにそう言い、他の女中たちも弾かれたようにこちらを見た。
 佐助は頬を掻きながら、苦笑する。
「まだお若いし、お嫁さんはいないと思うよー?」
「お武家様ですから、そういったことに年齢は当てになりませんわ!国元にそういう方の一人やふたり、」
「あら相模の女に負ける私たちではなくってよ、そうでしょ?」
「その通りだわ、今こそ甲斐の女の心意気を発揮するときよ!」
 すごい方向に盛り上がってるなぁ、と佐助は顔に出さずに内心呆気にとられていた。
「それで、猿飛様!近頃様のために食事を用意されてますよね?あのお方の好みのものとか、教えてくださりませ!」
 つい先ほどまで言い合いをしていたはずなのに、こういうときは一致団結。
 まったく女というのは不思議な生き物だ。
「好みのものねぇ」
 佐助はその顔に張り付かせた笑顔を少しも崩さず、考える。
 すなわち、自分の目的に沿うような答えを。
「あぁ、強いて言うなら甘いものとかお好きみたいだよ?」





 黄梅院は、室に入ってきたが両手に山のように小さな包みを抱えているのを見て、眼を丸くした。
「まぁ、。どうしたのそれ」
「は、すれ違うたびに渡されてしまい」
 つぶれないように注意して、包みを置くと、は腰を下ろした。
「あら、それ全部お菓子なの」
 黄梅院が包みの山を覗き込み、はうなずく。
「そのようです。何やら、評判のものが手に入ったとか、あとはご自分で作られたというものも」
「・・・・・・みんな、女の子たちから?」
「・・・・・・は」
 が眉を下げるのを見て、黄梅院は扇子で口元を隠した。
「あののそんな顔を見れるようになるとは思わなかったわ」
「そのような妙な顔をしておりますか」
「あら、いい顔してるわよ?」
 黄梅院がころころと笑う。
「あなた元から頑張り屋だけど、最近またちょっと頑張ってるのね」
「頑張る、と申しますか・・・・・・、その、あまり人に不快な思いをさせないような立ち居振る舞いを身に着けるべきと存じ、」
 『殿はもうしばし、素直になられるべきであろうな』。
 あの日、幸村に言われた言葉が脳裏に思い出される。
 あれ以来、も自分で考えてみた。
 自分の、素直な気持ち。
 ――自分にないものを全て持っている幸村を羨ましいと思う、浅ましい嫉妬。
 自分にそういう感情があるということが、本当に恥ずかしい。
 が、事実なのだから認めなくてはならない。
 では、その嫉妬心を無くすにはどうすればいいか。
 答えは、簡単だった。
 「自分にないもの」を身に付ければいい。
 大きな身体や強い力は、もちろん鍛錬は欠かしていないが、女の身でこれ以上身に着けることが困難であることは理解している。
 しかし、他者から向けられる、笑顔や人望ならどうだ。
 とて、好んで人から嫌われたいわけではない。
 それならば、自分の立ち居振る舞いを変えれば、そういったものが手に入るのではないか。
 それではどういった立ち居振る舞いが、人に好まれるのか。
 それは、聞くまでもなく体現している男が近くにいる。
 そう思い至って以来、は意識して幸村の行動や言動、会話を観察するようになった。
 まずはあれを、模倣するところから。
 答えは簡単、手段もわかった。
 ・・・・・・実行するのは、とても困難に思えた。
 人の話を聞く姿勢、声をかけるときの調子、そして笑顔。どれもこれも、小田原にいたときには一切気を払わなかったことだ。
 幸村がいかに周囲に気を配り、誰にでも分け隔てなく接しているかを、は理解しつつあった。
 『人は変われるものでござるよ』――幸村は、そう言った。
 できるかどうかではない。
 やるのだ。
 そうしてはまず周りの人物を観察することから始めた。
 すぐに、膳を重そうに運んでいる女中に気づく。
 なるほど、女性の細腕であれだけの膳を積んで運ぶのは大変だろう。
 替わりに持とうと声をかけると、ずいぶんと驚いたような顔をされたが、何度も礼を言ってくれた。
 笑顔で。
 誰かに礼を言われるようなことは、ずいぶんとなかった。
 悪い気はしない。
 今まで自分には関わりのない人たちだからと、気にも留めていなかったが、そうやって見ていると、館内にはたくさんの人がいて、それぞれ忙しそうに、ときに笑顔で、ときに怒ることもありながら、生活していると知った。
 よく顔を合わせる女中や侍女、小姓の顔と名前を、漸くは覚えつつある。
「それはとてもいいことだと思うわ」
 黄梅院はそう言って、そして山積みの菓子の包みを見る。
「で、。あなた甘いもの好きだっけ」
「は、好みではございます。こちらなど、近江の商人がこちらを訪れたのでわざわざ買い付けに行かれたとのこと」
 見たことのない造形の包みだ。中身はどのようなものなのだろう。
 黄梅院がこちらを見て、笑った。
「・・・・・・ぷ、本当に好きなのね。わかった、今度私も何か用意するわ」
「え!?いや、その、今はこのようにたくさんあり、」
「わかってるわよ今じゃないわ、どんだけ好きなのよ。――ていうか、真剣な話、それどうするの?あんまり日持ちしないんじゃない?全部ひとりで食べるの?」
「は、よければ黄梅院様も」
「私そんなに甘いもの好きじゃないのよねぇ」
「・・・・・・左様でございますか」
 は山積みの菓子を前に、口を引き結ぶ。その覚悟を滲ませた眼差しは、やたらと真剣だった。
「――かくなるうえはこの、すべて」
「待って待って、切腹しそうな勢いで何無茶な決意してるの、一度にそんなに食べたらまたトビザルさんから薬もらう羽目になるわよ」
 遮られて、は黙り込む。
 確かに食事の量が多すぎて、佐助から薬をもらったことは一度や二度ではない。
 黄梅院はの様子を見て、扇子をぱちりと閉じる。
「私、この館に甘いものが大好きなひとがもう一人いるの、知ってるわ」
「・・・・・・わたしも、存じ上げております」
 ずいぶんと間をあけて、が完全な無表情でそう言ったので、黄梅院は眉を下げて息を吐いた。
「相変わらず、弁丸は嫌われてるのね」
「いえ、そのようなことは」
「じゃぁそれ持って弁丸と何か話してきなさい」
 有無を言わさぬ口調でそう言われれば、に拒否権はない。
 表情を崩さず、頭を下げた。
「・・・・・・承知、致しました」



 苦労して菓子を抱えなおして、室を出ていくの背中を見送ってから、黄梅院は扇子を開くと、口元を隠してひとつ息を吐いた。
 そして、目の動きだけで天井を見上げる。
「・・・・・・」
 しばらくそうしてから目線を外し、音をたてて扇子を閉じた。

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20120628 シロ@シロソラ
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