第三章 第七話 |
「殿、もう少しでござる」 そう言って、前を行く幸村が、馬上から笑顔を見せた。 日はすでに天頂に近いが、だんだん深くなっていく森の中ではあまり光が差し込まない。 今日はとても天気が良い。 季節はもう秋の終わり、冬が近づいていたが、日向に出ればそれほど寒さも感じず、確かに馬に乗るには良い日和であった。 ・・・・・・なぜよりによって幸村とふたりで馬で森なのか。 は小さく息を吐いて、今朝の出来事を思い出していた。 酒の効果があったのか、昨夜はあの後寝付くことができ、珍しく夢も見ないで眠ったので、今朝は清々しい朝を迎えることができた。 腹の方は見事な痣になってはいるものの、押したりしなければ痛みはもうない。 今日幸村を見かけたら、まず昨日のことを謝ろう。 そう思って、幸村が声をかけてきてからどう会話をするかという予想を何十通りも考えていたのだが。 黄梅院に付いて食事をとる室に入るなり、いつも通りの笑顔で幸村が待ち構えていたので、最初から思惑が外れてしまった。 「おはようございまする、黄梅院様、殿。さ、座ってくだされ」 「ありがと弁丸」 当然のように黄梅院がそう言って、上座の席に腰を下ろす。 はわけがわからないまま腰を下ろし、そこに配膳をしている佐助がいた。 「・・・・・・猿飛殿?」 「あ、おはようサン」 あはー、と笑う佐助と、幸村の顔を見比べる。 「殿、その、昨日の怪我は大事ないであろうか」 「ッ、いや、その、問題はない。わたしのほうこそ、」 「――しかし、殿はやはり細すぎる!」 「は・・・・・・?」 「昨日確信いたした。殿は素晴らしい身のこなしと太刀筋をお持ちだ、なればこそ、力をつければ、各段に強うなれるでござる!」 「・・・・・・はぁ」 「よもやこちらの食事が口に合わないのではないかと思い、今朝はこの佐助に用意をさせ申した、お好みに合わぬようであれば味付けを変えることもできるゆえ、まずはたんと食べていただきたい」 謝らせてももらえない。 真田幸村は、やはりこちらの予想のはるか斜め上を行く発想の持ち主だ。 佐助を見ると、にこにこと笑顔を張り付かせて櫃から飯をよそっているところだった。 助けを求めるように黄梅院を見ると、扇で口元を隠している。 「・・・・・・まぁ、そういうことよ、。弁丸があんまりうるさいから許可しちゃった。だからがんばって食べなさい」 「・・・・・・は」 黄梅院がそう言うのであればに拒否権はなく、箸を手に取り膳を見下ろす。 ――朝餉とは思えない、品の数である。 はどちらかというとあまりたくさん食べる方ではない。朝餉は特にそうだ。 だが、こちらを見ている幸村の、希望に満ちた眼差しが、「食べない」という選択肢を許してはくれないように思えた。 汁物の椀を口に近づける。ああ、いい匂いがする。 一口、 「――おいしい」 「あらほんと。トビザルさんってば料理上手ねぇ」 さすがに驚いた。 幸村が顔を輝かせる。 「そうでござろう!佐助の料理は三国一でござるよ!」 しかし忍びの仕事の範疇を超えているような気がする。 昨夜も遅くまで自分と酒を飲んでいたというのに、きっと今朝早くから仕込みをしていたのだろう。 ・・・・・・いっそ哀れに思えてきた。 「それで、殿」 「遠――、いや、なんでしょう」 危ない。 条件反射で「遠慮する」と言いそうになった。 黄梅院が射るようにこちらを見ているのがわかる。 「今日は某に少しおつきあいくだされ」 「・・・・・・は」 「どうしても殿に見せたいものがあるのでござる」 黄梅院を見ると頷かれた。 は一つ息を吐いて、幸村を見つめる。 「・・・・・・承知いたした」 悪戦苦闘の末朝餉を平らげると(顔色が悪くなって、見かねた佐助が薬をくれた)、幸村が表に馬を二頭用意していた。 「・・・・・・どちらまで行くのですか」 「いや、それほど遠くはござらん!」 そう答える幸村の左頬に貼られている布片を見る。 「あの、昨日は――」 「さ、参りましょうぞ」 ひらり、と馬に跨り、幸村が先に行ってしまう。 「殿!お早く!」 「ぅ、あ、合いわかった」 笑顔で手招きする幸村に、は慌てて馬の腹を蹴る。 その振動が、胃の腑に響く気がする。 佐助から、昼にもうひとつ飲むようにと薬を渡されたが、昼までもつだろうか。 ・・・・・・もしかしてこれが昨日の意趣返しなのではないか。 ちらりと不穏な考えが頭をよぎる。 いったいどこへ、連れて行かれるのだろう。 |
20120620 シロ@シロソラ |
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