第三章 第四話 |
速い、というのが幸村の感想だった。 まず動きが速い。消えるように見えることもある。身体は細く、そう筋肉がついているようにも見えないが、この脚力はどこから来るのだろう。 そして判断も早い。どこに打ち込んでも、そこから次の手を瞬時に叩き込んでくる。常に先の先を読んで動いているのだろう。 が今手にしているのは木刀なので当たっても「痛い」で済んでいるが、なるほどこれが真剣であればそうはいかない。 稽古に向かない、と初めに言っていたのはこのことかもしれない。 足りないのは、力だ。 もう少し一撃に重みが出れば、戦術の幅が格段に広がる。 やはり、あの細い腕が心配だ。食事が足りていないのだろうか。今度夕餉を一緒にとろう。 そこまで考えて、幸村は模擬槍を構えなおした。 「どうされた、殿!まだまだこれからでござる!」 槍の間合いの外、その数歩先、肩で息をしているが、幸村の言葉に木刀を正眼に構える。 ふ、と、風が凪いだ。 の顔にかかった前髪の間から、ぎらぎらと光る双眸が、こちらを見据えている。 その顔が、 ――泣きそうに、歪んだ。 「――!」 どくり、と。 心の臓がひとつ、大きく音をたてたのがわかる。 初めて見る、の「表情」。 幸村を射殺すかのように向けられた、眼。 ひきつけられて、視線を逸らせない。 「、殿?」 思わず声をかけると、は我に返ったようにびくりと肩を揺らし、一度眼を閉じた。 再び眼を開いたその顔は、もとのおよそ温度が感じられない無表情。 その瞳に、剣呑な光が灯るのを、幸村は見た。 「――参る」 つぶやくような言葉を置き去りに、幸村の視界からが掻き消える。 ――背後! 気配を感じて右の槍を振るう、その柄が木刀と当たる。 「ッ!」 今までとは比較にならない重さの、一撃。 頬を斬るように走る、風。 「ぅおおおお!」 右手を振りぬく。 破砕音がして、の木刀が半ばで折れた。 しかし折れることも想定内であったのか、は流れるように動きを止めない。 最低限の動きで、折れた木刀を幸村に突きつける。 その狙いは、幸村の左目。 ・・・・・・間に合うか! 幸村は左の槍を引き、の胴を狙う。 なぜだろうか、ゆっくりと感じられる時間のなか、木刀のささくれて尖ったた割れ目が一直線に幸村の左目に迫る。視界の端で佐助が立ち上がるのがわかる。左の矛先は、正確にの鳩尾を狙う。 ――最後の最後に、 眼が、あった。 「ッ!」 その瞬間、の眼が、揺れる。 ――左の頬に裂けるような痛みが走るのと同時、幸村はの鳩尾にその矛先を叩き込んだ。 重い、というのがの感想だった。 動きはさほど速くはない。風を使えばでも十分に渡り合える。 だが一撃にかかる重さが、これまで相手にした誰よりも、重い。 そして、こちらの攻撃にはびくともしない。 痣ができているところもあるからそれなりに痛みくらいは生じているのかもしれないが、それが彼の動きを妨げることはない。 桶狭間で見たとおりであれば、幸村は炎のバサラ持ちのはずで、今その炎が出現していないことから、彼は自分の身ひとつで戦っていると判断している。 つまり、一撃の重みも、木刀の攻撃に動じない身体も、すべて彼自身の鍛えられた筋力によるもの。 何度目かの攻防で、叩き込んだ木刀ごと振り払われて弾き飛ばされた。 風を使って体勢を整え、着地する。 息が上がってしまっている。 自分が呼吸する音が、やけに耳障りだ。 幸村を見据える。 その、鍛え上げられた体躯。 ――女であるが、どれだけ望んでも手に入らないもの。 どうして。 じわり、と、胃の腑の底から滲み出るように、その言葉が浮かんだ。 どうしてこんなに違うのだろう。 同じ、武士(もののふ)で。 主君に仕え、一家を預かるという立場でありながら。 誰とでも気さくに会話し、主君や他の家臣からも一目を置かれ、戦場に出ればその働きはまさに一騎当千。 そしていくらこちらが冷たい物言いをしても、絶えることなく向けられる、笑顔。 どうして、わたしと幸村殿は。 「どうされた、殿!まだまだこれからでござる!」 ――こんなにも、違うのだろう! そして、天啓のように、一つの感情が心に落ちた。 そうか、わたしは。 ――幸村殿が、憎いのだ。 「、殿?」 幸村の声に、は我に返った。 ・・・・・・今、何を考えていた。 一度眼を閉じる。 落ち着くんだ。 息を吸い、そして吐く。 眼を開ける。 当初の考えがいつの間にか頭から消えていたことに気づく。 そうだ、殺すつもりでかかろうと思っていたのに。 ――殺す、つもりで。 急速に冷えていく頭が、目の前の男を殺す算段を弾きだす。 風に意識を集中する。 「――参る」 足元で風を小さく爆発させる。 その流れにのって瞬時に幸村の背後へ。 下から掬い上げるような一撃は、予想と違わず槍に阻まれる。 木刀を握る腕と、木刀そのものに風を集める。小さく凝縮した風が、大きな力を生み出す。 「ぅおおおお!」 幸村の、裂帛の気合い。 破砕音がして、木刀が半ばで折れた。 木っ端が散る中、その断面を見る。 申し分ない。 これなら、 ――頭蓋に突き刺せる。 はじめから想定していたとおりの動きで、幸村の左目を狙う。 幸村が槍を引くのがわかる。だが判断が一瞬遅い。おそらくこちらの方が速い。 なぜだかゆっくりと流れる時間の中、 最後の最後で、 眼が、合った。 その力強く、そして優しい、鳶色の眼。 「ッ!」 とっさに腕を動かす。 木刀が幸村の頬を掠り、 ――腹に衝撃を感じて、視界が暗転した。 |
20120615 シロ@シロソラ |
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