第三章 第三話

「いーんじゃない?」
 結局黄梅院は一言で片づけてしまった。
もこっち来てずっと引きこもってるし、たまには外に出て身体を動かしたら?」
 というわけで、は幸村と、館内の庭園で対峙することとなってしまった。
 庭に面した濡縁には、黄梅院が扇子を玩びながら座っている。
 の手には木刀、幸村は両手に模擬槍を構えている。
 もはや後には引けないと思い、は口を開いた。
「初めに申し上げるが、幸村殿」
「何でござろう?」
「わたしの剣は、実戦を想定して組み立てていて、その、稽古の手合せには向かないのだ」
 幼少期を除いては、の手合せの相手は常に風魔小太郎だった。
 それは手合せとは名ばかりの殺し合いである。――小太郎には自分を殺す意図はなかった(あればとっくに殺されている)だろうから、正確には殺し合いとは言わないのかもしれないが、真剣を使うことも多かったし、模擬刀であっても、は本気で小太郎を殺そうとかかっていた。
 そうしなければ身に付かないことが多かったし、例えが本気で殺そうとしても小太郎に敵うことはなかったからだ。
 小太郎以外の相手に同じようにかかれば、例え真剣を使っていなかったとしても、打ち所が悪ければ生命に係わるような怪我を負わせる可能性もある。
 それが、相模にいたときに一郎や他の人間とただの一度も手合せをしなかった理由だ。
「だから、貴方の望むような手合せには、ならないかもしれない」
「何、気に召されるな。貴殿の本気で、某にかかってきていただきたい」
 幸村が力強く頷いた。
 致し方ない。
 は腹をくくった。
 幸村が小太郎以上であれば、自分が本気でかかっても死なない。
 小太郎以下であれば、それはまたそのときに考えることにしよう。
「承知いたした。――では」
 は木刀を正眼に構える。
 そもそも真剣でなければ抜刀術が使えないので、その時点での手の内はひとつ減ってしまっている。
 幸村を見据えた。
 槍使いとは、戦場で何度も対峙したことがあるが、二槍の相手は初めてである。
 は構えたまま、幸村の隙になりそうなところを探す。
 槍は間合いの広い武器だ。
 その分、懐に入り込まれると対処が難しくなる。
 幸村の構えは右手を前に、左手を後ろに、それぞれ矛先をこちらに向けている。
 狙うは、幸村の右側。からは左側だ。
 突き出している矛先を避けて懐に入りさえすれば、幸村は一度右手を引かなければ対処ができなくなる。
 そこに、決定的な隙が生まれる。
 が重心を落とす。その視線の先、幸村が動く気配はない。
「――参る!」
 意識を風に集中して、地を蹴った。
「まあ」
 黄梅院が口元を扇子でかくして、声を上げた。
 ――が、消えた。
 次の瞬間、幸村の右側に姿勢を低くしたが現れる。
「――ッ!!」
 の眼に、幸村がこちらを見るのが映る。
 その表情はわずかな驚愕と、――笑み。
 ・・・・・・余計なことは考えるな。
 頭の中から幸村の表情を瞬殺して、は木刀を振るう。その刃に追い風を巻き起こす。
 
 大きな音がして、庭園を風が吹き抜けた。





 ――入った!
 木刀を幸村の脇腹に叩きつけるその瞬間、はそう思った。
 やはり槍相手には先手を取るに限る、とそこまで考えて、
 腕に衝撃。
 自分で巻き起こした追い風が自然の風とぶつかって、突風が頬をすり抜けて行った。
「・・・・・・!」
「成る程、素晴らしい太刀筋でござるな!」
 頭上から変わらぬ幸村の声。
 木刀は確かに、幸村の脇腹をとらえている。
 いくら刃のない木刀とはいえ、受け身も取らずに直撃だ。
 なのに。
「次は某から参る!」
 一挙動で身体を反転させた幸村の二槍が迫り、はとっさに木刀で受け止め、力で受け止めきれないと瞬時に悟って矛先を受け流しながら後ろへ跳んだ。
 ・・・・・・重い。
 木刀を構えなおしたところで、幸村の追撃。
 めまぐるしく繰り出される矛先を、すべて木刀でなんとか受け止める。
「く、!」
 は右目の下に皺を刻んだ。





 黄梅院は扇を閉じたり開いたりしながら、二人の様子を見ている。
「弁丸・・・・・・腕を上げたのね」
 そこへひらりと、忍びが舞い降りた。
「あら、あなたは」
「御前失礼いたします、黄梅院様」
「トビザルさん」
「・・・・・・猿飛です。よろしければ佐助と呼んでいただければ」
「ええよろしく、トビザルさん」
 佐助は笑顔を崩さなかった。
「それで、主の雄姿でも見にきたの?」
「まぁ、そのようなもんです。こちらで拝見してもよろしいでしょうか」
 黄梅院はにこりと笑う。
「よくてよ、ていうか座りなさいな」
「では、失礼いたします」
 黄梅院との間を少し開けて、佐助は濡縁に腰を下ろした。
「ぅおおおああぁぁぁ!!」
 幸村の掛け声が聞こえる。
 佐助はこの手合せを、屋根の上から眺めていたのだが、を観察するために降りてきたのだった。
 頬杖をついて、ふむ、と一息。
「どう?トビザルさんの目からみて、弁丸は好調なのかしら」
「そうっすねぇ、まぁ悪くはないんじゃないですか」
 本当に幸村がノッてしまうとこの庭園は焦土と化すので、佐助は力の抜けた返事をした。
 その意図を知ってかどうか、黄梅院は「ふうん」と相槌をうち、
「じゃぁはどう?」
 と聞いた。
サンは――」
 目の前の攻防を眺める。
 の木刀は何度か、幸村の身体をとらえている。肩、腹、腰など、打ち身にはなっているようだが、もちろんその程度で幸村の動きが止まるわけがない。そもそも幸村は打ち込まれる攻撃に対し、たいした防御もしていない。
 ・・・・・・攻撃が最大の防御、を地で行くひとだからね、旦那は。
 対して幸村の槍は、かろうじてすべての木刀に遮られている。ただ一撃一撃の力の差は傍目にも明らかで、の顔には疲労が浮かび始めていた。
 ・・・・・・やっぱ、真剣を持ってないと厳しいか。
 桶狭間や相模の国境でのの動きと、目の前のを、佐助は頭の中で比較していた。
 たとえば、初めの一撃。
 の武器(エモノ)が真剣であれば、おそらく狙ったのは胴ではなく首だっただろう。
 さらにあの姿勢なら抜刀の勢いで狙えるから、一撃の速度も格段に速かったはずだ。
 幸村もそれは避けられたかもしれないが、万一避けきれなければそこで終了である。
 佐助の見立てでは、の戦い方は一撃必殺。それが難しい木刀では、幸村の相手は難しいようだ。
「――確かに、『手合せ』は苦手みたいですね」
 固い音がして、が幸村の槍に弾き飛ばされた。

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20120615 シロ@シロソラ
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