第三章 第二話 |
あてがわれている室で書簡に目を通しながら、気配を感じて幸村は口を開いた。 「佐助か」 「どーも、旦那。サンにはずいぶん振られてるみたいじゃない」 「振られている、ということはない。殿のお言葉はどれも正しい」 書簡から目を上げて、幸村は息を吐いた。 その様子に佐助がにぃ、と笑みを浮かべる。 「どしたの、らしくないね、溜息なんかついちゃって」 「・・・・・・お前は何やら楽しそうだな」 「そんなことないよ?俺様としては旦那にがんばってほしくて、こうやって声かけたんだけど」 幸村は佐助をじろりと見つめ、ぽつりとつぶやくように言った。 「お館様はおもてなししろと仰ったが・・・・・・、やはり殿はご自身で言われるとおり、北条の武将だ。あまり甲斐の内情を知らせるべきではないのかと思うと、どうしてよいのか俺にはわからぬ・・・・・・」 どこか遠くを見るような眼で、幸村は続ける。 「それに、だ。殿はいつもこう、無表情と言うか、笑ったり怒ったりされないだろう?何を考えておられるのかがわからないのだ」 佐助はふむ、と内心納得した。 確かに幸村が接してきた人間は感情表現が豊かな者が多い。その最たるものが心酔する主君、信玄である。 何事にも無関心そうなは、これまで幸村の周りにいなかった部類の人間だ。 「旦那はさ、大将がなんのために旦那をサンにつけたと思うの」 「それは当然、」 信玄は幸村に「もてなせ」との言葉で命じはしたが、それをそのまま受け取るほど幸村の頭はめでたくはない。 「――殿に不穏な動きがないか、見張るためだろう」 「んー、半分正解ってとこかな」 「半分?」 「だってさぁ、見張るだけなら俺様でもできるよ?ってか現に今も忍隊で見張ってるわけだけども」 それは幸村自身が命じたことなので、幸村は黙ってうなずく。 「わざわざ大将が旦那に頼んだってことは、旦那にしかできないことがあるからだって、思わない?」 「俺にしか、できないこと・・・・・・」 鸚鵡返しにつぶやいて、それからふと気が付いて幸村は佐助を睨んだ。 「お前何か俺に隠し事していないか」 「まっさか。サンの素性なら報告したでしょ?」 大仰に肩をすくめる佐助をもう一度睨んでから、幸村は開け放した障子の向こうへ視線を移した。 の素性は、一通り報告を受けている。 幸村より一つ年下、北条家の古参・家の当代当主。 「ただ、それは殿の外側の情報であって、例えばどのような性格であるのか、とか、そういった内面のことはさっぱりわからぬ・・・・・・」 他に情報と言えば、あの桶狭間での光景。 幸村が生涯の好敵手と定めているあの独眼竜・伊達政宗に引けを取らない戦いをし、六爪を抜かせた。 そういえば、あの場にがいたのはなぜだったのだろう。 自分の方が先に駆けたはずなのに、いつの間にか追い抜かれていた。佐助の報告では「文字通り飛んで行った」ということだったが、そぅいうバサラなのだろうか。 今川家と北条家は同盟関係にあるのだから、が今川義元の窮地に駆けつけてもおかしくはないのかもしれないが、それならばなぜ、軍を連れずに一人で。 わからないことが、多すぎる。 だいたい自分はあれこれと難しいことを考えるのに向いていないのだと幸村は理解している。 考えるより先に身体が動く性質であるから、 「・・・・・・あ」 「旦那?」 自分にしか、できないこと。 「そうか!」 幸村は突然立ち上がる。 「旦那?何かおもいついた?」 「ああ、礼を言うぞ佐助!やはり俺にはこれしかなかったのだ!」 そう言い置いて意気揚々と外へ出ていく主を、佐助はひらひらと手を振りながら笑顔で見送った。 「がんばってねー」 「殿!」 黄梅院へ茶を運んでいる最中だったの背後から、もうすっかり聞きなれた声が聞こえた。 「・・・・・・幸村殿」 振り返ると、想像通りの姿があって、はこっそり吐息した。 いつものように、幸村は笑顔だ。 ――ここ数日、自分とのやり取りで気分を害したものと思っていたのに、なぜこの男は笑っているのだろう。 「殿、今日この後、なにかご予定は」 「・・・・・・黄梅院様のご用事がなければ、他の予定はないが」 「そうであった、まずは黄梅院様へもお許しをいただかねばならぬな、某も一緒に参ろう」 「今日は、何の用ですか」 ああ、またこんな言い方をして。 反射のように口をついてでた険のある言葉に、は内心げんなりとした。 黄梅院に言われるまでもなく、別には幸村と仲違いしたいわけではないのだ。 ・・・・・・いや仲良くもないから、「仲違い」はおかしいか。 ――とにかく。 悶々と考えているの顔を、幸村が覗き込む。 「殿?お加減でも悪いのでござるか」 「――い、いや、そのようなことは」 我に返ったは、茶器を持ち直すと奥向きへ足を進めた。 「それで、わたしに時間があれば、何をなさるおつもりか」 今度はどこの案内と言い出すのだろう。 そう思いながら聞くと、幸村は顔を輝かせた。 「今日は某の鍛錬におつきあいいただきたく!」 「・・・・・・鍛錬?」 「左様でござる!以前桶狭間にて殿の並々ならぬ太刀筋を拝見いたした!ぜひともこの幸村と手合せ願いたく」 さすがに、返答に窮した。 仮想敵国の人間相手に手合せとは。 それに乗じてが幸村を殺そうとするとは考えないのだろうか。 それとも、もしそうなっても自分ひとり返り討ちにするのは容易いという自信の表れだろうか。 どちらだとしても、としては引き受ける理由がない。 ただ、いつもなら棘のある口調ですぐに口から出る「断る理由」が、今回に限っては見当たらなかった。 「・・・・・・とにかく、黄梅院様にお伺いしてからでもよろしいだろうか」 「もちろんでござる!」 うなずく幸村を、は冷めた眼で見つめる。 なぜこの男は、こんなにうれしそうに笑うのだろう。 |
20120613 シロ@シロソラ |
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