第二章 第五話 |
一部始終を、佐助は見ていた。 顔と着物に返り血を浴びたのその姿は、凄惨だ。 気配を殺していなければ、口笛のひとつでも吹きそうだった。 相模がついに甲斐と袂を分かった。 北条氏政は、自分の正室と、「腹心の部下」を寄越すと書状で伝えてきた。だからすぐには攻め込まないでくれと、暗に意味しているのだろう。 正室である黄梅院はともかく、「腹心の部下」などというのは、文字ではいくらでも書けるものだ。 これから戦を始めようというのに重要な武将を寄越してくるとはとても思えなかった。 罠の可能性も、大きい。 だから信玄は、佐助とその部下たちに黄梅院の出迎えを命じた。 甲斐の国境で待たせているのは兵士に変装した甲斐の忍びたちだ。 そして、国境に近づいたところから、佐助は黄梅院一行の様子を観察していた。 黄梅院の供として着いてきているのは、あの桶狭間の時の若武者だった。 見かけの年齢から考えれば元服したてといった年頃ではないのかと思われたが、臆することなく信玄と会話をしていたこと、そして桶狭間で独眼竜に六爪を抜かせたことは記憶に新しい。 この若武者については、あのあと佐助も調べた。といえば相模・北条家の古参の家臣で、若武者はその当代当主。齢は十六、年齢の割に落ち着いて見えるのは、家督を継いでもう十年近くにもなるからだろう。 ならば、こちらに潜り込んで諜報活動を行うとか、戦が始まればその混乱に乗じて甲斐に害をなすようなこともできそうだ。 そう考えながら一行を眺めていたら、北条方の忍びが現れた。どうやら黄梅院と、あのを殺そうとしているようだ。 北条の出方が読めず、しばらく成行きを見守っていると、若武者は瞬く間に二人を葬ってみせた。 北条の忍びの質が低いとはいえ、自らと背丈がそう変わらない黄梅院を片腕に抱いて、だ。 ・・・・・・なかなかやる。 あの細腕だ、力に任せるような戦い方はできないのだろう。一切無駄のない動きで、確実に息の根を止める。 武家の人間であることは確かだからまさか忍びではないのだろうが、その身のこなしは忍びのそれとよく似ている。 しかも、あの太刀筋には、見覚えがある。 佐助が過去に一度だけ対峙したことがある忍びの太刀筋に、似ている。 ・・・・・・まさか、ね。 眺めていると、北条方の忍びの数が増えた。 まったく、自分の嫁さん殺すのに、何人用意してるんだか。 他人事のようにそう思ってから、佐助はクナイを放った。 クナイはちょうど、たちと忍びたちとを遮るように地面に突き立っていた。 「どーもこんにちは、てかハジメマシテ、かな、サン」 クナイとともに降り立った男は、平然と忍びたちに背を向けて、にへらりと笑って見せた。 黄梅院を背後に庇いながら、しかし知っている顔には目を見開く。 「――貴方は、真田幸村殿の、」 「あれ、覚えてくれてた?それは光栄。俺様は猿飛佐助、よろしくね」 そう言って大仰に一礼する佐助の向こう、北条の忍びがクナイを構えるのが見えた。 危ない、と言おうとしたが、猿飛佐助は放たれたクナイをそちらを見もせずにすべて片手で受け止めて見せた。 「・・・・・・!」 「ちょっと兄さんがた、こっちがしゃべってるときにそれは野暮ってモンじゃないのー?」 突如現れた闖入者が只者ではないと見たのか、忍びたちが一斉に刀を構える。 「悪いがこの子達はウチのお客サマだよっ、と」 猿飛佐助の両手に手裏剣が現れる。 それが合図のように、忍びたちが動いた。 「あれは――真田忍隊の忍びね」 背後から黄梅院の声。 「御存じ、なのですか?」 「えぇ、私がいたころはまだ真田家もまだ先代だったけど、『戦忍』――戦で戦える忍びを揃えていたから」 「そうなのですか」 確かに、圧倒的な強さだった。 はどちらかというと、一対一の斬り合いを得手としている。同様の戦い方をする小太郎から学んだからだものだ。 彼の忍びは忍刀と身のこなしの速さを武器に、一人ひとりを確実に仕留める戦いをする。 対して猿飛佐助の戦い方は、手裏剣だけでなくクナイや忍術を駆使し、複数の相手を同時に攻撃している。 なるほど、これならば確かに戦場の乱戦でも一騎当千の働きをするはずだ。 これが、甲斐の――真田の、戦忍。 戦場で見えることを想像してその脅威に戦慄を覚えてから、は自分で自分に呆れた。 もう、北条の武将として戦場に立つことは、きっとないというのに。無意識とは恐ろしいものだ。 は一応まだ構えた状態で戦況を見守っているが、クナイのひとつもこちらには飛んでこない。 あっと言う間に最後の一人が苦し紛れに手裏剣を放ち、あっさりと猿飛佐助の身体に突き刺さったかと思えば次の瞬間それは丸太に変化し、 「お馬鹿さん」 その隙に本物が背後からクナイで刺して、おしまい。 最後の一人が倒れたのを見て、は構えをといた。 「助かりました、猿飛殿」 「どういたしまして、ってね」 猿飛佐助はそう乱れてもいない着衣の埃を払いながらそう言い、砕け散った輿の残骸を見た。 「あー、でもこれ、もう使い物にならないね」 「しかし、先を急いだ方がよいのだろうな。黄梅院様、申し訳ございませんが」 「馬なら大丈夫よ、さすがに一人では乗れないけれど」 の言葉を遮るように黄梅院が笑って見せる。 はな以外の、しかも若い女性をはほとんど知らなかったが、「女性」は一般的に戦いや、血を恐れると思っていた。あれだけの戦闘を見てこの落ち着き様は、やはり武家の姫君なのだろう。あるいは、あの甲斐の虎の血だろうか。 感心しながら、は猿飛佐助を振り返る。 「猿飛殿、わたしたちは馬で行くゆえ、先導願えるだろうか」 「もちろん、それが俺様の仕事だしね」 返事を聞いて、は馬をひき、先にその身体を支えて黄梅院を乗せてから、ひらりと跨った。 「失礼いたします」 そう一言告げてから左手でしっかりと黄梅院を抱き寄せ、右手で手綱を持つ。 「悪いけどちょっと急ぐよ、追手がかかるかもしれないし」 「承知した」 猿飛佐助にそう返事をして、は腕の中の黄梅院に言う。 「少々揺れまする、しっかりとつかまっていてくだされ」 「まぁ」 黄梅院が笑ったのが、肩の動きで分かった。 「は凛々しくてかっこいいわ。ほんとの殿方だったら私、好きになってしまうかも」 「・・・・・・え?」 聞き返そうとしたが、前方で猿飛佐助が待っているのが見えたので、は馬の腹を蹴った。 |
20120608 シロ@シロソラ |
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