第十三章 第六話 |
陽は落ちたが、春日山城二の丸は人の動きでざわめいていた。 呼び出された幸村は、その只ならぬ様子を肌に感じながら、向かいに座する景勝の言を待つ。 「・・・・・・姫君の件、詳細が知れた」 「!」 景勝の第一声に、幸村は弾かれたように顔を上げる。 「姫君がおられるのはそなたらが確認したとおり、この春日山の麓、御館(おたて)だ」 言いながら、景勝は幸村との間に図面を広げる。それは春日山城とその城下の見取り図であった。 景勝が指さす先を目線で追いながら、幸村は思う。春日山城は越後の要所中の要所、その見取り図など他国の人間においそれと見せてよいものではない。つまり逆を返せば、それだけ事態がひっ迫しているということだった。 それにしても、いかに此処が他国であるとはいえ、真田忍びより、――佐助より先に菊姫の情報が景勝方に渡っていることに、幸村はほんのわずか、思考に引っ掛かりのようなものを感じる。 ・・・・・・いや、とにかく、今は。 「姫様は御無事なのでござろうか」 まずは菊姫の身の安全が第一である。幸村の窺うような視線に、景勝は頷いた。 「ああ。彼らの狙いは我らとそなたら武田の同盟の妨害。姫君はそのための人質だ」 「人質・・・・・・!?」 「今日、こちらで主犯を押さえた。これは実際に姫君を拐す役を負った者だが、すでに景虎殿の指示によると明らかにしている。・・・・・・上杉の一門からそのような荒事をする者が出たのは、甚だ恥ずかしいばかりだ」 幸村は口を噤んで、景勝の言葉を聞く。 菊姫が、攫われた。 ・・・・・・本当に? 菊姫が自分の足で城を出たことを、幸村は知っている。知っていて、菊姫の身に、――そして同盟に悪い影響のないように、そのことは伏せているが、上杉の軒猿が本気になって調べればいつ露見してもおかしくないことだった。 今もそのことで景勝から呼び出されたのだと思ったのだが。 何か、違和感のようなものを、感じる。 こちらの、武田方の都合のいいように、物事が運んでいる、ような。 穏やかな声色で、景勝が続ける。 「御館の者たちはすでに武装しているとの由。これはもはや謀反である。まさかとは思うておったが、こうなっては姫君の御身に猶予は無いかもしれぬ」 「!・・・・・・そのような」 菊姫の身が危ない、そう聞いて幸村はぎくりと眼を見開いた。 「遺憾ながら、上杉景虎はそういう男なのだ。目的のためには手段を選ばぬ。・・・・・・あるいは姫君も何ぞ、甘言で唆したのかもしれぬ」 「・・・・・・!」 「我らも明日、動く。景虎殿はこのところしばらくこの実城とのやり取りを断っておられる故、何か誤解があるのやもしれぬ。私もその可能性を捨てたくはない。よって明朝ここを発ち、城下を経由して表から御館を包囲し、景虎殿との面会を試みる。その間にそなたらは山を降り、館の裏手に待機してほしい。穏便に済むことを願うばかりだが、万一景虎殿に翻意ありと明らかになれば、狼煙を上げる。それを合図にそなたらは御館に侵入し、姫君を救い出してくれ」 図面を指示しながら、景勝は苦々しげに言う。 「その際、邪魔立てするようであれば容赦は無用。景虎殿を討ち取ることも已むを得ん」 討ち取る。 その言葉を聞いて、幸村はわずかに眼を細めた。 「・・・・・・それが、上杉謙信殿の意でもあると」 「この件に関し、御実城様は口出しはなさらない。己の義の信ずるところを行けとの仰せだ」 幸村の問いにそう答えて、景勝は脇に置いていた書状を幸村に差し出す。 「此度、そなたらが御館で振るう武力に関して、我らは一切その咎を問わない。上杉景勝の名において、ここに書にて証しよう」 書状を受け取った幸村はそれを振るって広げ、内容を確認する。 そこには確かに景勝が言うとおりの内容が記されている。 「景虎殿のやりようは目に余るものがある。他国との同盟に乗じてこのように場を乱すとは私にも思い及ばなかった。何ぞきっかけがあったのか、・・・・・・姫君がそれであるのか、私にはわからぬが」 「きっかけ」、その言葉に、幸村はひくりと眉を動かす。 それに気づいているのかいないのか、景勝は表情を変えずに真っ直ぐとこちらを見つめたまま、言った。 「大義はこちらにある。我らの、私の義の為、力を貸してほしい、幸村殿」 景勝の元を辞し、自室に戻る回廊を行く幸村の背に、声が降ってきた。 「いいのかい、大将」 「佐助」 名を呼べば、音も無く佐助が姿を現す。 「これじゃ大将はお家騒動を納めるために体よく使われるってことだぜ」 「だが姫様をお助けするのが俺の勤めであろう」 それに、と幸村は続ける。 「・・・・・・もともと武田が、お館様が同盟相手にと選んだのは景勝殿だ。ならば景勝殿この力をお貸しするのは至極当然だ」 その言葉を噛みしめるように、己に言い聞かせるように、幸村は言う。 佐助の嘆息が聞こえた。 「・・・・・・ま、大将がそれでいいなら」 「何か言いたそうだな」 「別に?アンタの言うとおりさ、とりあえず景勝サンに従うしかこっちにできることはないんだから」 いつもの薄っぺらい声色で、佐助が言う。 そう、他に選べる方法は、無いのだ。 「――それで、佐助。御館に近づくにはお前の言っていた罠をどうにかせねばならぬ」 さきほどの景勝とのやり取りを、当然佐助も聞いていたはずだ。 彼の指示どおり山を降りて御館の裏手にまわろうとすると、そこには佐助から報告を受けていた「半端ではない数の罠」が待ち構えている。 幸村の言葉に、佐助はへらりと笑ってみせた。 「そっちは任しといて。俺らでなんとかする」 「相当の手練れと言っていただろう。目星はついたのか」 「まぁね」 「・・・・・・?」 答える佐助の表情の、微細な変化を感じ取って、幸村はわずかに眉を動かした。 そうと意識しなければ見落とすほどの変化だが、それを感じ取れるくらいには幸村はこの忍びのことを知っている。すぐにもとのとらえどころのない笑みに戻ったが、今のは。 ・・・・・・ 「嫌悪」? 感情を律することに徹しているこの忍びには、極めて珍しい表情だ。 「何にしろ、大将は前に集中してな。上杉景虎はバサラ持ちって話だ」 話題を変えるように佐助が言って、幸村は頷いた。 「うむ、わかっておる」 何にしろ、佐助が任せろと言っているのだ。そのことに幸村も異存はない。 そして、景勝の言ったとおりの展開となるならば、幸村は上杉景虎と対峙せねばならないだろう。御館に籠っているという彼の情報は限られてはいたが、それでも軍神・上杉謙信の義理の子だ。一筋縄で凌げる相手ではないことは想像に難くなかった。 口元を引き締めた幸村の様子に満足してか、佐助は頬を掻くと今も小雪の舞う夜空に視線を投げた。 「鎌之助のほうは間に合わない、か・・・・・・」 「上杉景虎殿のことを、に尋ねると言っていたな」 「そーなんだけど、返書がまだでさ。ったくあの馬鹿何をのんびりしてンだか」 「そう言うてやるな、大坂からここでは時間もかかろう。それに、いかに景虎殿が北条の出だからと言って、が知っているとも限らぬしな」 「まーそうだけどさァ。・・・・・・仕方ないね、今更上杉景虎の人となりなんて言ってる場合じゃねぇし」 ため息交じりの佐助の言葉に、幸村は答えず、雪が舞うのを見つめていた。 |
20131218 シロ@シロソラ |
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