第二章 第三話 |
から話をきいたときにはずいぶんと取り乱したはなも、落ち着きを取り戻しての支度を手伝っていた。 元からあまり物を持たなかったが、父の代から飾られていた調度品や他の金目のものをすべて売ってしまったから、屋敷はいつもより寒々しかった。 家は領地を持たず、この屋敷は北条家から借りている。が出て行ったあとは、北条家が使用するのだろう。 一郎は、さきほどからずっと、室内で黙って座っている。 とはなも、言葉数は少ない。 「さま、こちらの包みに薬を入れておりますから、何かの折にはお使いください」 「あぁ、ありがとう」 はなは昨日から、ありったけの薬や薬草類を用意していた。 はこれまでに、はな以外の薬師に身体を見せたことがない。 理由はもちろん、正体を隠すためだ。 戦場など、はなが近くにいない場合のために、薬や薬草類の使い方は日々はなより学んでいたが、こんな形で役に立つとは思わなかった。 「・・・・・・なんで、なんだよ・・・・・・」 それまで黙っていた一郎が、うめくように言う。 「さまが、今までどれだけ北条のために尽くしたか・・・・・・ッ」 「一郎」 昨日、一郎が東山家に戻ると、北条家からの使者が訪れていた。 曰く、東山家はこれより、北条家に直接仕えるようにとのお達しだった。 つまり昇進である。喜び半分、驚き半分での屋敷にやってきた一郎は、事の次第をからきいて、その喜びを怒りへと変えたのだった。 「すでに決まったことだ、一郎。お前は東山家のことだけを考えていろ」 一郎の前に跪き、目線の高さを合わせて言う。 わざわざ口に出して言わずとも、一郎は賢い男だ。 今は感情に押されて納得できかねているかもしれないが、東山家の将来を思えば悪くはないことなのだと理解するだろう。 「・・・・・・こんなことになるのなら、お前とでも早々に子を成しておくのだったな」 はなが弾かれたように顔をあげ、を見る。 その表情にはもちろん思慕の情などない。あるのはただ、あきらめた笑み。 「そんな、言い方、するんじゃねぇよ・・・・・・」 一郎の声に、は立ち上がる。 「・・・・・・そうだな、今のはお前に失礼だった。悪い」 「違う!そうじゃねぇ!なんでお前はいつもそうやって全部――」 立ち上がり、に掴み掛らんばかりの勢いで迫った一郎の前に、はなが立ちはだかる。 「おやめなさい東山様。様のご心情、あなただってわかっているのでしょう」 一郎はしばらくはなを睨むように見つめ、そして視線を外した。 はながを振り返る。 「様。今はきっと何をお聞きになってもおつらいだけと察しますが、これだけは言わせてください」 はゆっくりと、はなを見る。 「・・・・・・何だ?」 「よいですか、何があってもお命をみすみすお捨てになるようなことだけは、なさらないでください」 是とも否とも、言えなかった。 構わずにはなは続ける。 「何があっても、生きるのです。それ以外に、はなはもう何も望みはいたしません。ただ生きて、生き続けてくださりませ」 「そうだよ、さま」 一郎がはなの傍らに立つ。 「どうせ御本城様はあと何年もしないうちに代替わりする、そしたら相模に戻る日があるかもしれないしな」 「・・・・・・あぁ、そうだな」 今回の下知は、重臣たちも納得してのことだ。バサラ持ちというだけで年端もいかぬ当主が重用され目障りだったのだろう。北条宗家の家督が変わったとしても、それは変わらないように思えた。 「どうしてもの家を再興できなくって、どうしても、どうしようもなくなったときのために、オレの正室はあけておくから」 何もかも失っても、帰ってこれるように。 一郎の言葉に、は苦笑で返した。 「たわけ。そんな世迷言言ってないで、さっさと嫁取りして早く家の者を安心させろ」 そう言って、支度の最後に刀を腰に差し、 二人の手をとった。 「――ありがとう」 そうして、は小田原城を後にした。 北条氏政から離縁を言い渡された黄梅院を乗せた輿が行く傍ら、馬上から、最後にもう一度だけ、振り返る。 まだ父が存命であったころ、ここから城を見上げたことがあった。 そのときにはすでに父の命はもう幾何もないと言われており、自分が男子としてこれから生きていくのだと聞かされていた。 『見よ、立派な城であろう』 誇らしげにそういう父には抱きかかえられていた。 『はい、とてもおおきくて、りっぱでございます!』 『この父の後を継いで、そなたがこの城を守るのだ』 『はい!さがみのくにも、ごほんじょうさまも、おしろも、このが・・・・・・が、おまもりいたします』 『そうか、頼もしいことだ』 ・・・・・・父上。 は唇をかむ。 ・・・・・・わたしは、あの約束を、守れませんでした。 「・・・・・・あれは」 小田原城本丸の屋根瓦の上。 ここからでは小さく小さく見える、その姿。 「小太郎・・・・・・」 顔の向きなどわからない距離であるのに、なぜかこちらを見ていると感じた。 別れの挨拶のつもりなのかもしれないと思って、も見つめる。 「――様?」 輿を担ぐ兵士のひとりから声をかけられて、は我に返った。 「あぁ、すまない」 馬を進める。 黄梅院様を無事に甲斐へお連れする。 それだけが今、の生きる目的となっていた。 もう、ここには戻らないのだろう。 予感めいた思いが、の胸の内にあった。 |
20120606 シロ@シロソラ |
http://sirosora.yu-nagi.com/ |