第二章 第二話 |
謁見用の広間に近づくにつれ、複数の気配を感じた。 北条家の重臣たちが揃っているようだ。 やはり軍議、議題は今川家をどうするかだろう。 今川義元の死後、今川家は今川氏真が家督を継いだらしいが、先だっての戦で軍は壊滅、予断を許さない状況が続いている。 「にございます」 「入るがよい」 許可の声を聞いて、控えていた小姓が襖を開けた。 室内を見ると、上座に北条氏政、左右にずらりと重臣たちが並んで座っている。 は下座に腰を下ろし、平伏した。 「若輩者が遅れ、申し訳もございませぬ」 「よい、面をあげよ」 「は」 重臣たちの突き刺さるような視線の中、はゆっくりと顔をあげた。 家中の者たちの中には、バサラ持ちというだけで重用されている家の人間をよく思わないものも多い。 とくに古参で重鎮ともいえる家臣たちからは、同じ場で会議を行うことすら厭われていることをは理解している。 だがそれがなんだというのだ。 は自分の代で家を大きくするつもりは毛頭なく、嫉妬などされてもお門違いというものだった。 だから重臣たちの、あからさまに眉をひそめるような表情や、何かを探るような視線をすべて無視して、ただ氏政を見つめた。 「よ。先だっては大義であった。身体の調子はどうじゃ」 「その節はお目汚しをしてしまったこの身に、もったいないお言葉でございます。もう戦場に出ることも可能でござりますれば」 「ふむ、それはよかった」 氏政は脇息にもたれながら、言った。 「その方が寝込んでいる間に、我が国は今川と同盟することと決めた」 「・・・・・・は・・・・・・?」 は自分の耳を疑った。 今、何と。 今川と、同盟? 「それは・・・・・・、今この相模が、駿府・甲斐と同盟していること、ではなく・・・・・・?」 「うむ。今川は正式に、甲斐との同盟を破棄した。我らは今川と改めて同盟を組む」 一瞬、頭の中が真っ白になる。 今川は、すでに瀕死の状態といっていい。 家系こそ途切れなかったものの、まともな戦力は残っていないはずだ。 「なぜ、でございますか?」 どう言葉を選んでも誤った判断だと言いそうになり、はなんとか声を絞り出した。 「なぜ、と。不思議なことを聞く」 氏政はまるで幼子に言うような調子で答える。 「わしと今川氏真は義兄弟であるぞ。そして甲斐が大きくなるのを見過ごせぬ、我らの目的は同じじゃ。この東国で、甲斐の虎がごとき粗忽ものに大きな顔をさせてはおれぬわ」 義兄弟を理由にしたが、本音は後半、甲斐の虎が気に入らない、その一点なのだろうとは悟る。 確かに、氏政の妹君が今川氏真に嫁いでおり、ふたりは義兄弟の間柄だ。 しかし、それを言うならば、 「殿のおっしゃる通りでございます、しかし恐れながら、それではお方様は、――黄梅院様のお立場が」 氏政の年の離れた正室、黄梅院は武田信玄の娘だ。年齢こそ氏政のほうが上とはいえ、武田信玄とは義理の親子の間柄であるのに。 なんとか考えを改めてはもらえないのか、一縷の望みをかけて黄梅院の名を出したが、氏政はあっさりと言い放った。 「あれは、甲斐へ返すこととした」 「!」 「わしとて断腸の思いではあるが・・・・・・まぁ、やむをえんな」 は思わず、左右に控える重臣たちを見つめる。 誰も、氏政の言葉に疑問を抱いていない様子だった。これはもう、決定事項なのだ。 ぎり、と拳を握る。 これで甲斐との戦は避けられなくなった。 ――それならば、何が何でも、越後の上杉と同盟を結ばなくてはいけない。 同盟が間に合わず、虎が相模に牙を剥いたときは。 先日目にした武田信玄の姿を思い出す。 純粋な軍と軍のぶつかり合いで勝てる相手ではない。 方法は、ひとつ。 戦の混乱に乗じて、武田信玄を暗殺する。北条軍でその大役が果たせそうなのは、風魔小太郎ただひとりだ。 主君を失えば、いくら勇猛な武田の騎馬隊と言えども戸惑うこととなるだろう。 北条軍が仮にでもつける隙は、もうそこしかない。 そして、バサラを持つ自分の相手は、おそらく。 炎を撒き散らしながら二槍を操る若武者の姿が、脳裏を掠めた。 「そこでの、」 武田とどう戦うかを考え始めていたに、氏政がさらに続けた。 「は、」 我に返って答える。 「その方に黄梅院付きを命ずるゆえ、甲斐へ赴くのじゃ」 は目を見開き、命令を一度飲み込んで意味を考えた。 「それは、黄梅院様が甲斐へ無事たどり着かれるまでの護衛、ということでしょうか・・・・・・?」 「否。あれの供として、甲斐に留まるのじゃ。なに、そなた甲斐を高く評価しておったではないか。それをその眼でしかと見るがよいぞ」 「何、です、と・・・・・・?」 何を言われたのかわからず、何度も頭の中で氏政の言葉を反芻した。 甲斐に、留まる。 ――相模には、戻らない。 はがば、と身体の前に両手をついた。 「お、恐れながら!我らの人間は、戦場にて御本城様をお助けすることを一族の義としております!これより甲斐と戦になるのであればなおさら、この相模を離れるわけには」 「」 遮られて、は口をつぐむ。 「すでに甲斐へは書状にて、黄梅院にひとり供をつけることは伝えておる。すべては、決まったことじゃ。出立は明日。今日はもう戻ってよいゆえ、支度をいたせ」 は何度か口を動かし、しかし感情が爆発しそうで、うまく言葉が思いつかない。 甲斐との戦に、勝ち目は少ない。 それでも自分にはバサラが備わっている。戦で役立てる、自信がある。北条家を守るための力だ。 この身が亡ぶときがあるならば、それは北条家が潰えたときだ。 それなのに。 「『御本城様』には・・・・・・『』はもう必要ないと、そう仰せなのですか・・・・・・」 やっとの思いでそう口にすると、氏政はぱらりと扇子を開いた。 「わしはのう、。バサラなどという世迷言が如きチカラに頼らぬ国づくりをすべきと思うのじゃ。先代もそうしたようにの」 感情が、沸騰しそうだった。 バサラを持たなかった先代は、隣国と同盟し、戦を避けた。一方で国内産業を充実させ、国力を蓄えたのだ。 徒に戦への道を開こうとしている当代とは、違う。 「バサラの力は強い。じゃがそれゆえに、それが失われれば国が根本から覆るような諸刃の剣。そのような不明確なものに、いつまでも国が左右されるは心苦しいことよ」 開いた扇子の柄を見つめながら、氏政は続けた。 もっともらしいことを言っているが、つまりは。 は主が言わんとせんことをうすうす感づき始めていた。 そして、次の言葉で、それが確信に変わる。 「そなたも、そのバサラゆえに、今まで苦労をしたじゃろう。甲斐でゆるりと休むがよいぞ」 ぱちん、と扇子を閉じる音がした。 「話は以上じゃ。皆、下がれ」 そう言い置いて、氏政は腰を上げる。 反射で平伏し、主の姿が見えなくなると、重臣たちも立ち上がった。 誰も、を見ようともせずに退室する。 すれ違いざまに、誰かがつぶやいた。 ――疾(と)く去(い)ね、化け物。 誰もいなくなった室でひとり、は放心したように座り続けていた。 おそらく先日、甲斐の評判を自分に言わせたのも、このためだったのだろう。 自分が、心の底では氏政を見下していたことを、気づかれていたのかもしれない。 それでも家督を継いで十年近く、北条家のためだけに働いてきた。 それを、体よく厄介払いされたと、いうことだ。 父が、そしてこれまでの祖先たちが守ってきたの家が、取り潰されたのだと、ようやくは理解した。 |
20120604 シロ@シロソラ |
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