第二章 第一話 |
この世には、稀に奇想天外な能力を持って生まれる者がある。 炎を操るもの、雷を纏うもの、陽の光を刃とするもの、根の国の怨霊を僕とするもの。 総じて「バサラ」と呼ばれるチカラだ。 この戦国乱世において、強大なチカラは何よりの武器。 国々を統べる長や、有力な武将がバサラを有する者たち――バサラ者であるのは、自然の摂理とも言えた。 戦乱の世の先駆者であった北条早雲もまた、バサラ者であった。 そして、その強大な力をもって相模を支配下においた獅子の傍らに、家の初代の姿があったという。 風を操ることに長けていた家の初代は、ときには北条早雲の繰る氷の力を合わせて吹雪を巻き起こすなど、天候すら戦の道具とした、と言い伝えられている。 しかし早雲の没後、北条家は代を重ねるごとに、バサラを失っていった。 先代の北条氏康はほとんどバサラの力を発揮することができず、しかしその優れた政治能力により相模の国を盤石のものとした。その後を継いだ北条氏政は先祖の霊を呼び出すことでバサラに目覚めるも、その頃には甲斐の虎、越後の軍神、奥州の竜と、強大なバサラを持つ国々に囲まれ、軍事力の差は歴然となり、それを見越していた先代が結んだ同盟にすがるより他ない状況となっていたのである。 対して家は、血の濃さを保つことで、一族のバサラを守ろうとした。 掟は、一子相伝。子を男子ひとりのみとし、女子が生まれた場合はその場で殺すこと。兄弟による家督争いも絶えなかった世であるから、そうした火種がないことはお家の安泰のために悪いことではなかったが、たったひとりの嫡子がたとえ戦に不向きな性格であろうと、あるいは病弱であろうと、家督を継がざるを得なかった。 そうした歪な家系により、家は病を得るなどし短命な者が多くなったが、代々当主は一定したバサラの力を発揮できたから、北条宗家を守るためという大義の元、家系は続いた。 そして、十六年前。 長く子ができなかった家当主・和重に、待望の子が生まれた。 身体が弱かった正室が、その命と引き換えに産み落としたのは、女子であった。 今後も子を成せる確率がきわめて低いと薬師より言い含められていた和重は、娘を隠して生かすことを決める。 娘が年頃になれば秘密裏に婿を取らせ、生まれる子に家督を譲る。それ以外に方法がなかった。 和重は信用のおける家臣と侍女、乳母だけに姫の存在を明かし、母に似て身体が弱くてはいけないと、幼いころより武術の稽古をつけさせた。 何の因果であるのか、武術の呑み込みがきわめて早かった娘に家督を譲るのも一興かと冗談交じりに家臣と話したその矢先、ついに病魔が和重の身に襲い掛かかり、和重は冗談を現実とする苦渋の決断をする。 娘を男子として元服させ、家督を譲る。そしてできる限り早く男子を生み、その子に家督を譲ること。 病床の父の言葉を、姫は表情を変えずに聞いた。 ――姫が、七つのときのことである。 寒空の下、小田原城庭園の一角で、剣戟の音が響いていた。 「――ッ!」 風に意識を集中する。跳躍した相手に、は足元で風の塊を繰って押し迫る。 刀を薙いだその先、迷うことなく狙った首はしかし刃の届く寸前に掻き消え、 「ッく」 次の瞬間には刀を振り切って手薄になった左から斬撃。 風を使って空中で体勢を整えようとしたが間に合わず、無数の斬撃を刀で防ぐので精いっぱい、ついに致命的な角度にまで体勢が崩れ、 「――が、ッ」 庭に敷かれた玉砂利に、背中から落ちた。 傍らに音もなく降り立った相手を仰向けに倒れたまま見上げる。 「やはり空中戦ではお前に勝てそうにもないな、小太郎」 風魔小太郎は両手の刀をその背の鞘に戻し、を見下ろした。 話すごとに、口から白い息が漏れた。冬将軍の本隊がこの小田原を覆うのはまだ少し先、今はこうやって汗をかくことが心地よい。 「――あぁ、わかっている、風の力を活かしきれていない、そう言いたいのだろう?」 が小太郎から学んだ戦い方は、バサラを使って自分の周りの風を正確に動かして、身体の動きの補助とすることだ。 基本的にはその動きの速度を上げることにバサラを使っている。 追い風があれば通常より速く走れるのと原理は同じ。足元で風を起こせば跳躍力が上がったり、空を飛ぶことができる。腕の回りで追い風を起こせば、その力で抜刀の速度を上げられる。 必要なのは、集中力。 効率よく風を動かせれば、筋力に恵まれない自分でも相応の相手と渡り合うことができるのだ。 自分の言葉にこくりとうなずく小太郎のように、汗ひとつかかず、息も乱さず。 は嘆息し、身を起こした。 「よし、小太郎。もう一本、手合せ願いたい」 着物についた砂利を払い、刀を納めて抜刀の姿勢をとると、小太郎はうなずいて背の刀に手をかけた。 「――いざ!」 の言葉を合図に二人は砂利を蹴り、互いの刃が、 「ッこらァ!!!」 交わる直前、聞こえた怒鳴り声により動きを止めた。 「お前何してンだ!まだ安静って言われたとこだろ、ってかお前それ真剣じゃねぇか!!」 「・・・・・・一郎」 刀を納めて、は縁側に現れた家臣を見た。 「お前仮にも主を前に、なんて口のきき方をする」 「すんませんねぇその主があんまりにもアホなんで!」 「アホってお前・・・・・・。もう身体も元通り動くんだ、そろそろ鍛えないと鈍るだろう」 桶狭間で今川義元が討たれてから、ひと月近くがたとうとしている。 いつまでも寝ているわけにはいかなかったから、は最後の包帯が取れたのを機に小太郎に稽古をつけてもらっていた。 「それでどうした、一郎」 あさっての方向を仰いでいったい誰に似たんだ、とかぶつぶつ言っている一郎に声をかけると、一郎は「そうだった、」とに向き直った。 「御本城様がお呼びだよ。俺はちょっと家の方から連絡があったから戻るけど」 「わかった、すぐ伺おう」 はうなずき、相変わらず無言で腕を組んでいた背後の忍びを振り返った。 「小太郎、すまぬが今日はここまでとさせてくれ」 そう言って金子を包んだ袋を小太郎に差し出す。 いつものように無言でそれをつかもうと出された小太郎の右手が、ぎこちなく止まった。 「・・・・・・小太郎?」 そのまま腕を組んでしまった小太郎に、は首をかしげる。 この忍びが、金子を受け取らないところを、見たことがない。 「どうした?額が足りないか?今あまり持ち合わせがないのだが」 懐を探ろうとすると、小太郎は首を横に振る。 どうしたのだろう。 「金子はいらない、のか?」 そう聞くと小太郎は縦に首を振る。 では何が欲しいのだろう。 今自分が持っているものの中で、何か人に渡せるようなものは―― 「あ」 今朝はなが持たせてくれた干菓子が懐に入っていたのを思い出す。 取り出すと、少し包みがつぶれていたが、おそらく中身は問題ないだろう。 「よくわからんが、それならば今日の礼はこれにしておいてくれ」 そう言って、干菓子の包みを小太郎の腕に押し込む。 「ではわたしはこれで失礼する」 一礼して、は小太郎の元を後にした。 「・・・・・・」 残された小太郎はの背中を見つめ、そして押し付けられた干菓子の包みに目を落とした。 そして包みをそうっと懐へ入れると、屋根の上へと跳んだ。 |
20120604 シロ@シロソラ |
http://sirosora.yu-nagi.com/ |